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経営役 産業グローバル事業本部 副本部長 兼 証券ソリューション事業本部 副本部長
Australian Investment Exchange Limited 会長 小宮 正哲


不確実性の高い時代において、個人の生活を防衛し、安定を確保するための重要な手段が「資産形成」である。資産形成はもはや一部の富裕層だけのものではなく、すべての国民が主体的に取り組むべき喫緊の課題となっている。
筆者は豪州に5年間駐在する中で、日本とは大きく異なる資産形成の考え方と社会システムを目の当たりにしてきた。豪州では、資産形成が個人任せだけではなく、社会全体で将来に備える仕組みが根づいている。そこで日本と豪州の資産形成における制度、国民性、そしてIT活用の違いを比較することで、今後の日本が歩むべき資産形成の未来像について考えてみたい。

社会全体で支える豪州の資産形成エコシステム

豪州の資産形成を語るうえで最も重要な要素は「スーパーアニュエーション(Superannuation)」と呼ばれる確定拠出型の年金制度である。この制度の最大の特徴は強制加入である。国民は就労と同時に意識せずとも資産形成の第一歩を踏み出すことになる。各個人は、オンラインで自身のスーパーアニュエーション口座にアクセスし、運用状況の確認や投資先の変更を容易に行える。この透明性と自己裁量権が、国民の投資への関心をより一層高めている。結果として、豪州国民は若いうちから複利効果やリスク分散といった投資の基本概念に触れ、株式や不動産への投資を「特別なこと」ではなく「当たり前のこと」として捉える文化が醸成されている。
この投資文化をさらに加速させているのが、ITの活用である。豪州ではFinTechが発達しており、「Raiz」や「Spaceship」といったマイクロ投資アプリが若者を中心に普及している。これらは、日々の買い物の端数を自動的に投資に回す「おつり投資」機能などを提供し、投資への心理的ハードルを劇的に下げた。また、洗練されたUI/UXを持つオンライン証券が主流であり、口座開設から取引まですべてスマートフォンで完結する手軽さは、投資をより身近な存在にしている。このように豪州では、「強制的な制度」と「それを支える利便性の高いIT」が両輪となり、社会全体で資産形成を推進するエコシステムが構築されている。

個人任せが主流の日本の課題と現状

一方、日本の資産形成は、その多くが個人の主体的な意思決定に委ねられている。政府は「貯蓄から投資へ」のスローガンを掲げ、NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)といった税制優遇制度を導入してきた。これらは、投資への第一歩を踏み出すきっかけとなり、近年は利用者が着実に増加している。しかし、日本では長年、「貯蓄は美徳、投資は投機」という価値観が根強く、その結果、個人の金融資産に占める現預金の割合は50%を超え、欧米諸国と比較して極端に高い水準が続いている。
IT活用の面では、近年、手数料を低価格化し、取引の利便性が飛躍的に向上したが、伝統的な大手金融機関のWebサイトやアプリは、UI/UXの観点から必ずしも最適化されておらず、初心者にとっては依然として敷居が高いと感じられるケースが多い。また、マイクロ投資アプリも存在するが、その普及は限定的であり、投資が日常生活に溶け込んでいるとは言いがたい。日本の課題は、優れた制度(NISA/iDeCo)は用意されたものの、それを国民全体に浸透させるための仕組みと文化、そしてITによる後押しがまだ十分でないことである。

日本が進むべき資産形成の未来

このような点を踏まえると、日本の資産形成の将来に向けて3つの重要な示唆が浮かび上がってくる。
第一に、半強制的な仕組みの導入である。たとえば企業型DC(確定拠出年金)において、従業員が拒否しない限り自動的に加入する「オート加入制度」の普及や、iDeCoへの加入手続きを就職や転職の際に標準プロセスとして組み込むなど、投資をデフォルト(初期設定)にするための工夫は可能であろう。個人の意思決定だけに頼るのではなく、行動経済学の知見を活かした「そっと後押しする(ナッジ)」制度設計が求められる。
第二に、実践的な金融経済教育の継続である。日本では、学習指導要領の改訂により、高校で金融教育が必修化されたが、一過的なもので終わらせてはならない。NISAやiDeCoの具体的な活用法、ライフプランニングと連動したポートフォリオの考え方など、より実践的かつ継続的に学べる機会を提供していく必要がある。
第三に、徹底したユーザー中心のIT活用である。金融サービスにおけるITの今後の役割は、複雑な制度を分かりやすく可視化し、投資のハードルを下げ、継続をサポートすることにある。日本の金融機関やFinTech企業は、UI/UXの改善にさらなる投資を行い、誰もが直感的に操作できるようなサービスの開発を急ぐべきである。投資のプロセスがネットショッピングやゲームのように簡単で、楽しい体験に変われば、若者世代の参加は飛躍的に進むだろう。
インフレという潮目の変化は、日本の眠れる資産を揺り動かす最大の契機である。日本が個人の努力任せから脱却し、社会全体で資産形成を支える仕組みを構築できるかどうかが、未来の豊かさを左右するカギとなるだろう。

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    小宮 正哲

    経営役
    産業グローバル事業本部 副本部長 兼 証券ソリューション事業本部 副本部長
    Australian Investment Exchange Limited 会長

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