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Information Rules(邦訳「情報経済の鉄則」)

2019/09/04

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前回取り上げた「予測マシンの世紀」の源流といえる「情報経済」を既存の経済学で読み解いた古典的名著。ほぼ20年前の1998年の時点で、現在のGAFA的なプラットフォーマーの登場はすでにこの本で予見されていた。著者の一人であるハル・ヴァリアンは2002年からGoogleの経済学のブレーンを務めている。そして今、テック企業は経済学Ph.Dの採用を拡大している。

<原書>

[著]Carl Shapiro、 Hal R. Varian
[発行日]1998年11月19日
[出版社]Harvard Business Review Press
[定価]40ドル

<翻訳本>

[著]Carl Shapiro、 Hal R. Varian
[発行日]2018年2月26日
[出版社]日経BP社
[定価]3,000円+税

経済学が最強の学問である?

見出しはとあるベストセラーシリーズからのパクリだが、1990年代からの急速なIT技術の発達とそれに伴う社会変化を、冷静な目で分析・予測してきた分野の一つが経済学である。「Information Rules」はその分析の一端を紹介した本である。

前回、「予測マシンの世紀」を取り上げたが、新たなテクノロジーやイノベーションがビジネスや産業にどのような影響をもたらすかという分析に既存の経済学の枠組みを適用した嚆矢と呼べるのが本書である。邦訳として「『ネットワーク経済』の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針」(IDGコミュニケーション)が1996年に出版されたが、長く絶版になっており、日本語で読むのは難しかったが、2018年に日経BP社から新訳として、「情報経済の鉄則 ネットワーク型経済を生き抜くための戦略ガイド」が出版された。これを機に初めての方も昔読んだ方も、改めて手にとっていただきたい本である。

本書で繰り返し主張されるのは「情報経済には新たな経済原理・ニューエコノミーが必要だ!」という意見への痛烈な反論である。情報経済で起きている一見目新しい現象は、すでに既存の経済学で分析できるというのが著者の一貫した主張だ。ただし、そこで用いられる経済学は確かに経済学部生が授業では取り上げられることの少ないテーマだったことは事実である。

それまでの物理的な産業と最も異なる情報経済の特徴は「限界費用が限りなくゼロに近づく」という点である(コスト面でいうと流通コストも限りなくゼロに近づくという特徴がある)。この限界費用ゼロという特徴が既存の産業とは異なった一種異様な経済構造を作り上げた。

このような情報経済の特徴の中での「ネットワーク外部性」という概念の紹介のインパクトは絶大だった。ネットワーク外部性とは、「利用者が増えることによって、一人ひとりの利用者にとっての価値が高まる」構造を言う。よく使われるジョークとして「最初の一台目の電話機を売ったセールスマン」というネタがある。最初の電話機は他の誰とも通話できないため、全くの無価値な商品である。しかし、電話機が普及すればするほど、個々の電話機の価値は自然と高まっていく。このように、利用者が増えれば増えるほど、そのサービスの価値が高まる構造が持つ性質が「ネットワーク外部性」である。

この性質を理解した産業の一つがSNSだろう。Facebookやtwitter、WeChatやLINEなど、「周りが使っているから自分も使う」という構造のサービスは至るところで目にするようになった。そして現在様々な陣営が乱立している「○○ペイ」というスマートフォン決済の競争にも、この「ネットワーク外部性」が深く関わるだろう。個人的な意見として、予言めいたことを言えば、「○○Pay」は最終的に2~3陣営に収斂するだろうと思われる(中国が典型例)。もしかしたら一社独占という可能性も考えられるが(本来ならFelica陣営がその位置に最も近いはずだがどうもそのような動きには見えない)、これは当局が競争促進を理由に認めないかもしれない。

このような情報経済の特徴を既存の経済学の枠組みで説明しきったことに本書の最大の価値があると私は考えている。実際、「予測マシンの世紀」の著者も「『Information Rules』は、私たちのプロジェクトのインスピレーションの源になった(同書、p.293より)」と謝辞で述べている。そして、最近頻繁に目にするようになった「プラットフォーム・ビジネス」の登場を予見していたとも言える(近いうちに「プラットフォーム・レボリューション」(ダイヤモンド社)もここで取り上げたいと思っている)。

また、この書籍が出版された後(2002年)、著者の一人である当時カリフォルニア大学バークレー校の経済学教授であったハル・ヴァリアンが、Googleに招かれて経済学の知見をGoogleの戦略に活かすという役職に就いたことも非常に印象的だった。実際、その後Googleはヴァリアン教授の専門分野であったオークション設計の領域で様々な成果をあげる。そして、2010年にはハル・ヴァリアンはGoogleのチーフエコノミストとして現在に至っている。経済学者が現実のビジネス戦略に貢献できるということを示した点も非常に印象的だった。そして、この流れは現在さらに加速しているようである。

経済学Ph.Dの就職先としてのテック企業

さて、ここで本ではないが一本の論文を紹介したい。タイトルもずばり「テック企業におけるエコノミスト(および経済学)」である。

この論文では、近年テック企業が経済学のPh.Dを積極的に採用していることを取り上げており(図参照)、さらにテック企業の中でどのような領域で経済学の知見を活用しているのかを説明している。

本論文では「経済学PhDが習得していると期待される3つのスキル」をあげ、そして、具体的にどのような領域でその知識を活用できるかを述べている。スキルとしてあげられているのは以下のような領域である。

  • 経験的関係の分析:構造分析や因果推論などが含まれるが、データのバイアスや見かけの相関関係などの影響を取り除き、真の因果関係を抽出する分析スキル。ランダム化比較試験(RCT)などが代表的な手法。ネット業界では「A/Bテスト」として知られる手法の本家。
  • マーケットデザイン、インセンティブ設計:オークション設計や最適マッチングなどの理論が含まれる。先程のハル・ヴァリアンの広告オークション設計などもこの領域に含まれる。Uberの料金設定モデルや、評価モデル設計など応用範囲は幅広い。
  • 均衡市場分析:競争的な市場環境での最適戦略を模索する理論的基礎。参入市場の優先順位を検討したり、M&A戦略を評価したり、寡占市場での競争戦略の検討などこちらも幅広い。

このような能力を持つ経済学Ph.Dは、日々激しい競争を繰り広げているテック企業にとって重要な頭脳として評価されているようだ。また、アカデミズムの研究者にとってもテック企業は新たなキャリア先として有力な検討対象になっているようである。

金融業界でキャリアとしての「エコノミスト」というと、多くはマクロ経済や計量経済学の分野を想起するだろう。ただ上であげられているスキル領域はミクロ経済学に含まれている。金融ビジネスも「ネットワーク外部性」が発生しうるビジネスである。なぜなら金融ビジネスの本質が「情報産業」だからである。デジタル化が「情報産業」としての金融ビジネスを変質させる動きは今後ますます加速していくだろう。その際に自らの戦略を見つめる視点の中に、経済学の視座を持つことの意義は大きいだろう。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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