フリーワード検索


タグ検索

  • 注目キーワード
    業種
    目的・課題
    専門家
    国・地域

NRI トップ ナレッジ・インサイト コラム コラム一覧 Appleと任天堂(前編):「ザ・ワン・デバイス」

Appleと任天堂(前編):「ザ・ワン・デバイス」

2019/11/25

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

「発売前からファンの間で期待され、手に入れるために行列ができ、見たこともないインタフェースで驚きを与え、斬新で魅力的なコンテンツが続々と誕生し、それまでの業界の販売台数記録を塗り替え、莫大なキャッシュをもたらしたデバイスを生み出し続ける会社」がある。Appleと任天堂だ。先ごろ相次いで両社に関する本が出た。両社の「ものづくり」に注ぐ情熱(と狂気)、組織風土、さらにはビジネスモデルには多くの共通点と、また絶対に相容れないであろう哲学の違いがある。
AppleのiPhone開発の歴史をめぐる「ザ・ワン・デバイス」と、惜しくも2015年に若くして亡くなった任天堂の岩田聡元社長の発言をまとめた「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」を中心に両社の「ものづくり」を紹介したい。今回は前編としてAppleを取り上げる。

ザ・ワン・デバイス

[著]ブライアン・マーチャント
[翻訳]倉田 幸信
[発行日]2019年7月発行
[出版社]ダイヤモンド社
[定価]2,000円+税

【製品コンセプト】「電話の再発明」と試行錯誤

「ザ・ワン・デバイス」はiPhoneの誕生を追ったノンフィクションだ。iPhoneはそれまでの生活を一変させたデバイスである。携帯デバイスの歴史の専門家ヨン・アガーは「一度手に入れたら二度と手放さなくなる新発明というは、皆無に近いほど珍しい(p.22)」という。携帯電話は「衣服」「メガネ」に匹敵する歴史的なデバイスなのである(同上)。

2007年1月のマックワールドの基調講演でスティーブ・ジョブスがiPhoneの発売を表明した。しかし「スマートフォン」は決してAppleが最初に発明したものではない。iPhoneの発売に先立つこと15年、1993年にはIBMの研究所で働くエンジニア、フランク・カノヴァ・ジュニアが「サイモン・パーソナル・コミュニケータ」という「スマートフォン」を発明しているのである。このサイモンには、現在のスマートフォンに盛り込まれている様々な要素がすでに実装されていた。「タッチパネル」「アプリ群」「通話機能・メッセージ機能」、そして画面を横に倒せば横向きに回転する画面。しかしサイモンは発売されてから半年間でわずか5万台しか売れず、IBMは1995年に生産を打ち切った。サイモンの失敗には様々な要因があるが、それでも「スマートフォン」というコンセプトは、決してジョブスが初めて考え出したものではないということは記憶しておくべきことだろう。

さて、同書ではiPhoneの製品コンセプトが一本道ではなく様々な紆余曲折を経て現在のデザインに落ち着いたことも明かす。大きくは「携帯電話機能を持ったiPod」路線と、「iOSを搭載したモバイル情報端末」路線である。この製品コンセプトが固まるまでにAppleでは大量の試作品を作ってはテストし、時には両チーム(それぞれの路線ごとに開発チームが組まれていた)が感情的に激しく対立するまでの緊張感の中でデザインが練られていったのである。

そして、最終的にiPhoneは「唯一無二の機械:ザ・ワン・デバイス」となった。

【UIへのこだわり】ユーザマニュアルが必要になったら負け

実はiPhone開発時には「物理的なキーボード」を搭載するデザイン案が優勢だった時期がある。ちょうどBlackberryがビジネスマン必須のデバイスとして大流行していたこともあり、Apple社内でも物理キーボードは必要だとする意見が多かった。しかし、最終的にはマルチタッチの性能が十分に実用に堪えることと、Apple製品のすべてのインダストリアル・デザインを決めてきた天才的デザイナーのジョナサン・アイブ、そしてジョブスによってフルスクリーンで一つだけのホームボタンのあのデザインにまとまった(現在はそのホームボタンもなくなったが)。

開発時、ヒューマンインタフェースグループの開発のメンバーだったチョードリーは、iPhoneのコンセプトを次のようにまとめている。「コンピュータは難しすぎると普通の人は考えます。(中略)私は、自分の父でも使えるようなインタフェースを目指したのです」(p.364)。それは、自分の操作が自分の思った通りの結果を返してくれるという信頼感につながるようなUIを意味する。それまでの携帯電話は多くの機能が複雑なメニューに埋もれてしまっており、自分の操作が期待する動作につながっていなかった。その点をiPhoneは劇的に改善した。

そしてUIの統一コンセプトもこのときに決められた。

  1. いつホームボタンを押しても必ずホーム画面に戻る
  2. すべての動作は、ユーザが指で触れたらすぐに反応を始めなければならない
  3. すべての動作は、最低でも60フレーム/秒で動かなければならない。あらゆる操作でそれを徹底する(p.373)

また、後に「スキューモーフィズム」と呼ばれる「現実世界で利用される機能を想起させるデザイン」もわかりやすさに一役買った。例えば「メール」は「封筒」で表され、「連絡先」は「アドレス帳」といった具合である。このデザインを作り上げたガナトラは「ユーザマニュアルのようなものは絶対に作りたくなかったのです。そんなものが必要になったら我々の負けだと考えていました(p.374)」と述べている。そして、操作の際のアニメーションにも徹底的にこだわった。例えばiPhoneではスクリーンをスクロールした際に一番下まで来ると、ちょっとだけ跳ね返るアニメーションがある。このちょっとしたアニメーションによって、ユーザはこれ以上のスクロールが必要ないことが直感的に理解できる。このような細かいUIの工夫がiPhoneには当初から詰め込まれている。

これらのこだわりの結果、iPhoneはあの素晴らしいデザインを持つ類まれなUIを実現したのである。

【技術は積み重ね】技術は複利預金のようなもの

iPhoneには実に様々な先端技術と驚きのイノベーションが盛り込まれている。ざっと上げるだけでも「マルチタッチ」「ガラス製画面」「ARMチップ」「Wi-Fi接続」「高精細カメラ」「各種センサー」などである。ところがこれらの技術も、決してAppleが単独で開発したものではないし、またそれぞれの技術はiPhoneのために開発されたものでもないことが明らかになる。それぞれの技術はある意味バラバラにそれぞれの歴史と経緯を持ちながら発展し、ある意味偶然に「iPhone」という製品に結実したのである。

先に上げたマルチタッチも実は長い歴史のある技術である。実は今から何十年も前にCERN(欧州原子核研究機構)、トロント大学、そして障害者支援のためのデバイスを開発していたベンチャーなどが作り出した技術なのである(Appleの前CEOだったスティーブ・ジョブスはこのマルチタッチはApple独自の発明と公言していたが)。このマルチタッチ技術は実はApple社内ではiPhoneの開発とは全く関係のないところで研究プロジェクトが始まり、その後紆余曲折を経てiPhoneのUIとして採用される。

また、当初試作品段階ではiPhoneの画面は樹脂製だった。静電容量方式という指で触れただけで動くマルチタッチの機能を実現するには樹脂製の画面がもっとも優れていた。しかし(みなさんも想像がつくだろうが)、樹脂製の画面はすぐに傷ついてしまうのである。そして(これも想像通り)この「醜い」画面に腹を立てたジョブスは、なんとiPhoneのお披露目まで四ヶ月を切っているタイミングで、樹脂製の画面を傷がつきにくいガラス製に変更することを命じるのである。当然、傷がつかず、落下しても割れにくく、しかも価格も高すぎないというような都合のいいガラスの調達の目処などあるはずもない。ただ、幸いにしてコーニング社がそのような特性を持つガラスを作っていた。それが「ゴリラガラス」である。ちなみにこの耐久性の高いガラス素材が最初に開発されたのは1962年である。ここでも技術の長い歴史があることがわかる。

それ以外でも、先ごろノーベル化学賞を受賞した旭化成名誉フェローの吉野彰氏が開発貢献した「リチウムイオン電池」も研究開発自体は数十年の歴史があるし、iPhoneが売りにしていた「光学式手ブレ補正機能」は1980年代に松下電器の研究者だった大嶋光昭氏によって発明されたものである。iPhoneに利用されている技術は確かに「デバイスとして統合された形」として見ると斬新でそれまで見たこともないものだが、実は長い歴史を経てきた様々な技術の美しい融合体なのである。

その意味でiPhoneは、過去から連綿として続く技術開発の結晶であり、ある日一人の天才が天啓を得て生み出したものではないのである。iPhoneはその派手な成功に注目が集まるが、実は「工業製品」としては基礎的かつ継続的な技術開発がいかに重要かを物語っているデバイスなのである。

「20年も銀行に預けていた預金に年率三%の複利効果が発生していて、気づいたら資産残高が急カーブを描いていたのです。それが(iPhone開発に成功した)理由の半分だと思います」(同書、p.414)

【カリスマ経営者】「単独の発明者」、「無謬の経営者」という神話

ここまで延々とiPhoneの開発チームの苦労について述べてきたが、やはりAppleといえば伝説の経営者であるスティーブ・ジョブスのことにどうしても触れざるを得ない。天才的なコンセプトリーダーであり、かつ偏執的な完璧主義者であり、さらに毀誉褒貶の激しい独裁者でもあったジョブスとiPhoneの発明は同一視されて語られることが多い。しかし、著者のブライアン・マーチャントは「たった一人の人間が地道な努力を果てしなく積み重ねたあげく、ついに歴史を変えるほどの大発明をなす」というストーリーを否定する。「ジョブスは『iPhone開発物語』の登場人物の一人でしかない」と言い切り、「『単独の発明者』という神話」がおとぎ話であることを明らかにする。

たしかに同書には、iPhoneの開発の要所要所でジョブスが決定的な決断を下す場面が多々登場する。しかし、その決断は周囲の開発者、デザイナーやマーケティング担当者たちが周到に準備した「成功シナリオ」を用意し、ジョブスが受け入れやすい形にまで落とし込んだ上でジョブスの決断を仰ぐという形を取ることが多い。その意味ではジョブスは「独裁者」ではあっても、決して「すべてを見通していた天才」ではない。

また、ジョブスは「無謬の経営者」でもないことが強調されている。例えば、ジョブスはiPhone発売当初「プラットフォーム」を否定していた。ジョブスは自分たちの製品に勝手に手を加えられることを極端に嫌う。実際、2007年に発売された初代iPhoneにはApple社製のアプリしか搭載されていなかった(Google MapとYouTubeアプリがあったが、それらもソフトはAppleとGoogleが共同で開発した)。ジョブスは初めてiPhoneを発表したときに「キラーアプリ」という言葉を口にしている。そしてジョブスにとっての「キラーアプリ」は「電話機能」だった(p.199)。

今から考えれば信じられないが、ジョブスはニューヨーク・タイムズのインタビューでも「携帯電話はPCと違います。オープンなプラットフォームにしないほうがいい(p.200)」と言ったり、「外部のデベロッパーに我々のデバイスをいじらせることは認めない(p.201)」と言ったりしていたのである。このこだわりの理由は「外部のアプリのせいで通話中にシステムがクラッシュして通話が途切れる」ことをジョブスが徹底して警戒したことにある。しかし、ジェイルブレイク(iPhoneを私的にハッキングし、独自の機能を追加する行為)の流行や、外部のデベロッパーからの強い要請で、結果的にAppleはAppStoreを開始する。その後のプラットフォーマーとしてのAppleの成功はみなさんがご存知の通りだ。

そしてもう一点、本書で悲しげに指摘されている点がある。それは「iPhone開発の功労者たちの多くがすでにAppleを去ってしまっている」という点である。ジョブスの徹底したクオリティへのこだわりは確かに製品として結実した結果を見るとケチのつけようがないが、しかしそれは多くのエンジニアや関係者の忍耐と犠牲に支えられたものとも言える。

見てきたように、iPhoneという類まれなデバイスは、数多くの過去からの技術のつながりと、多くの才能あるエンジニアたちの努力と、そして時代の流れという運の要素が見事に結実したデバイスである。決して一人の天才が発明したものではない。その意味で、昨今メディアで見かける「日本にはスティーブ・ジョブスが生まれない」「日本のメーカではiPhoneは作れない」といったたぐいの言説に対して、私は言いようのない不満と反発を覚える。なぜなら、Appleと同じかそれ以上に素晴らしい企業が日本にはあるからだ。後編では任天堂をとりあげる。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

新着コンテンツ