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「価格」とDX(1):価格はメディアである―『価格の心理学』

2020/02/19

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これから何回か「価格」というものについて考えてみたい。「価格」は経済活動のあらゆる側面に登場するものだが、経済のデジタル化に伴なって、アナログ時代の「価格」とは異なる性格の「価格」が登場しつつある。新しい「価格」を通じて経済の進化を論じた本を紹介していく。まずは『価格の心理学』を取り上げる。同書に出てくる多様な価格戦略を一言でまとめるなら、「『価格』はそのビジネスの『価値』を消費者に伝えるメッセージである」とでもなるだろう(その意味で価格は「メディア」なのだ)。行動経済学などの知見を取り入れた様々な価格戦略を一望できる本書をまずは取り上げる。

顧客に「価値」を伝えるための「価格」

■価格の心理学

[著]リー・コールドウェル
[訳]武田 玲子
[発行日]2013年2月15日発行
[出版社]日本実業出版社
[定価]1,600円+税


これからしばらく「価格」というものについてシリーズで本を紹介する。最初に取り上げるのはリー・コールドウェル『価格の心理学』である。本書はある架空の新商品を題材に、多様な価格戦略をストーリー仕立てで紹介してくれる本である。紹介される価格戦略の多くは現実の社会で実際に活用されたリアルな価格戦略であり、かつ、行動経済学などの実証的な研究によって効果が実証されているものである(実際本書の参考文献には行動経済学の名著が挙げられている)。本書の最大の前提は次の引用文に集約されている。

「顧客は自分の考えをわかっていないし、自分がわかっていることを言わないし、言ったとおりに実行しない。(後略)」
広告会社オグルヴィ・アンド・メイザーの創業者 デイヴィッド・オグルヴィ(p.62)

そう、顧客は自分たちが何を欲しているのか、それにどれくらいの額を支払う気があるのか、そして仮にその金額で売っていたとして本当に買うのかどうかわかっていないという身もふたもない割り切りが本書を通じてぶれないリアリストの視点である。このリアリストの視点に立つとき、商品の「価格」は顧客がその商品に対して感じるであろう「価値」という顧客の主観に訴えかけるためのメッセージとして捉えられることになる。

その意味で「原材料費を積み上げたもの(に適正マージンをのっけたもの)」を価格の根拠にした場合、顧客に対して「お客様がこれと同じものを作る手間が省けますよ」というメッセージを伝えていることになってしまうのである。これは昨今ネットに登場する「原価厨」と呼ばれる人たちにも見られる現象である(曰く「たこ焼きなんて原材料費考えたら数十円でできるよね」といったたぐいのアレである)。しかし、著者は顧客の「主観」ではなく、事業者の「客観」によってたつ値付けは、結局このようなメッセージを顧客に送っていることと同様だという。「価格」とは、その商品が顧客にとってどのような「価値」を与えるのかを顧客に想像させるものでなくてはいけないのである。

本書では「チョコレート入りの紅茶が手軽にできる製品」という架空の商品が登場するが、この商品(架空の名前で「チョコレートポット」という)の「価格」と、顧客にとっての「価値」を、マーケットのセグメンテーションの概念をもとに次のように紐付ける(数字は本書とは異なる)。

自宅やオフィスで淹れるありふれたティーバッグ市場の商品 → 数円~数十円程度
ちょっと高級でこだわりのあるティーバッグ市場の商品 → 百円程度
カフェやレストランで飲む紅茶市場の商品 → 三百~五百円程度
オーガニックカフェや高級専門店で飲む紅茶市場の商品 → 七百円~千円程度

つまり、この「チョコレートポット」という商品をどのような価格にするかによって、対象とする顧客は異なりうるし、そして顧客が感じる価値も異なるというのである(当然、流通させるチャネルも異なるし、販売数量も異なるだろう)。これが顧客の感じる「価値」に基づく「価格」という考え方である。そして、この「顧客の感じる価値」というものはTPOによって変わりうるものであり、そこに様々な価格戦略が活躍する場面が生じるのである。

顧客の感じる「価値」を操作する価格戦略

というとなにか悪いことをしているように感じるかもしれないが、いえまっとうな経済活動です(一部、ちょっと悪辣かな?という戦略もあるのだが)。一言で言えば「顧客に高い『価値』を感じてもらうような価格戦略があるよ」ということである。

例えば「リフレーミング(第6章)」という価格戦略が紹介されている。このリフレーミングとは、もともと顧客の中にあった価格と価値の判断基準を書き換えるような価格変更を行う戦略である。商品のサイズを変更したり、機能を追加したり、品質を変化させたりすることで、価格と価値の単純な新旧比較を難しくするような戦略である。実際、われわれ消費者は「大容量サイズ」とか、「消臭機能追加」とか、「天然成分配合アップ」とか言われてみると、過去の価格と現在の価格が変わっていることを認知しづらくなる生き物らしい。

また、別の例として「アンカリング(第7章)」がある。アンカリングとは、もとは「アンカー(Anchor);錨(いかり)」から派生した言葉で、先に与えた情報にその後の判断が影響される心理的な影響のことである。『予想通り不合理』という名著で知られるダン・アリエリーが行ったアンカリングの有名な実験がある。実験では被験者に自分の社会保障番号(日本で言うマイナンバーのようなもの)の下二桁を事前に申告してもらう。当然、この下二桁はランダムな数字であり、数字自体に意味はない。そして被験者には架空のオークションに参加してもらうのだが、その際に「社会保障番号の下二桁の金額を支払うかどうか」を尋ねるのである。もし被験者が事前の情報に左右されないのであれば、社会保障番号の下二桁と実際の入札金額には関係がないはずである。しかし実際は下二桁の数字が大きい被験者の入札金額は、下二桁の数字が小さい被験者よりも約50%も高くなっていたのである(p.105)。これは本来であれば入札額と全く関係のない数字(これは日付でも誰かの誕生日でもその日の湿度でもなんでもいい)を事前に見せられただけで、その人の意思決定はその目にした数字に引きずられてしまうことを示している。そのため、例えば高価格帯の類似商品を見せられたあとでは、われわれは本来よりも「安い」と感じてしまう可能性が高い。

ほかにも「おとり戦略(第9章)」という価格戦略もある。これは有名な話で、日本で言えば「松」「竹」「梅」というメニューがあれば、人はついつい「竹」を選んでしまうというものである。これは「人は両極端な選択を無意識に避ける」という性質を利用した価格戦略である。メニューが2種類しかなければどちらを選ぶかは難しい選択になる。しかし、選択肢が3つあれば真ん中を選ぶことで「極端な選択」を回避できる。このような傾向をうまく利用することは価格戦略の基本である。

このように顧客の感じる「価値」に影響を与える価格戦略は数多く存在する。そしてこれらの価格戦略には実証的な研究による裏付けもある。これらは言ってみれば人間の持つ認知バイアスを利用した「価格戦略」である(その意味ではあまり褒められたものではないとも思うが)。ただこれらの価格戦略はすでに世の中に数多く存在する(ドラッグストアを一周すればいくつもの実例を見つけることができるだろう)。ただし、ここまでの価格戦略には共通点がある。それはここであげた価格戦略は、あくまで自社の商品をどうポジショニングし、どのような「価値」を打ち出すかが主眼であって、決して顧客側の不利益に直結するようなものではないという点である。しかし、次にあげる価格戦略はちょっと毛色が違ってくる。

顧客の感じる「価値」を混乱させる「価格戦略」

さてここからはより顧客の認知バイアスを活用した価格戦略が登場する。

最初は「代金の後払い(第10章)である。人間には先送りバイアスが存在する。これは行動経済学では「双曲割引」として知られるもので、人は現在の金銭価値を高く評価し、将来の金銭価値を低く評価してしまいがちという認知バイアスである。この認知バイアスを利用した価格戦略が「最初の一ヶ月は無料、会費の支払いは来月以降」といったキャンペーンが挙げられる。一方で、このような「最初は無料」という価格戦略にはプラスの面もある。それは商品が「経験財」と呼ばれるようなものの場合である。経験財とは「実際に利用してみないとその商品やサービスの価値がわからないモノ」のことである。たとえばトレーニングジムなどが典型例である。ジムに通ったことがない人にとって、今から入会しようとしているジムが自分に合うのかどうかは実際に使ってみないとわからない。初心者でも気軽に通えるジムなのか、それともガチガチの猛者が集うジムなのかは外から見ただけではわかりにくい。実際にマシンも使ってみたほうがいいし、ロッカールームに集う人たちを見てみないと判断はつかないだろう。こういう場合、最初に無料期間があれば加入を検討している人にとってリスクが大幅に減少することになる。このような場合の価格戦略はプラスである。しかし、一方で「解約手続きをわかりにくくしている」ようなサービスについて、このような価格戦略は、人間の認知バイアスを利用したビジネスといえなくはない。

次にあげるのは「バンドリング(第12章)」である。バンドリングは日本語では「抱合せ販売」のことである。主要な商品にその他の雑多な商品もくっつけて販売する手法のことである。これは一見するとお得なように見えるが、実際は消費者にとって必要のない商品が含まれていることが多いこと、商品価格を不透明にしていること(本来欲しい主要な商品単体の値段がわかりにくくなっている)、そしてバンドルされた商品は、他の商品を排除してしまうため、競争を歪めてしまう可能性があることなどが問題として挙げられる。最も身近なバンドリング価格は携帯電話の利用料金だろう。様々な料金プランとオプションが複雑に絡み合ったあの料金体系はある意味最も洗練されたバンドリング価格戦略である。

他にも「プリンシパル・エージェント問題」を逆手に取った価格戦略(第16章「他人のお金」)や、対人関係による同調意識に働きかける価格戦略(第11章「ティーパーティー効果」)といったものも紹介されている。

このセクションで紹介してきた価格戦略は、個人的には倫理的にグレーな価格戦略(別の言い方をすれば、経済学的には消費者余剰を減らす価格戦略)だと思っている。実際、本書でも実に赤裸々な記述がある。

やがてすべての企業が損益分岐点で創業するようになり、利益はゼロになる(経済学を学んでいれば「競争均衡」になるとわかるはずである。完全競争で、ゼロ利潤状態におちいる。マーケティングの重要な役割は、そのような状況の回避である)。(pp.175-176、強調筆者)

ここにあげる価格戦略のうち、悪質なものは独禁法や反トラスト法に引っかかるものが存在する(「価格」と競争法との関係については今後このシリーズの後半で取り上げるつもりである)。バンドリング(抱き合わせ販売)は独禁法にも反競争的行為として規定されている。この点、著者も若干後ろめたい気持ちがあるのだろう。本書の最終章では価格戦略と倫理について若干のページが割かれている(第19章「価格設定と倫理」)。

不道徳な「価格」

ここでとりあげた様々な価格戦略は、実はデジタル化によって一気に実現のハードルが下がっている(本書の出版は英語版が2012年である)。デジタルチャネルでは、顧客一人ひとり(もっと言えば顧客がアクセスしてきた時間帯や場所)に対応して異なる価格を提示することも可能である。アナログの時代ではいわゆる「メニューコスト」と呼ばれていたように、価格を弾力的に変化させること自体にコストが発生するため、あまり現実的ではなかった。しかしデジタル化によって弾力的な価格設定・運用が可能になった。そうするとビジネスにとって「価格」は競争上大きな意味を持つ。

そして、このような価格戦略を可能とするシステムとして「自由市場」の不備を批判し、「市民がより良い生活・人生を送れるようにするための仕組み」を提言しようとしたのがノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者による『不道徳な見えざる手』だ。


■不道徳な見えざる手

[著]ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー
[訳]山形浩生
[発行日]2017年5月12日発行
[出版社]東洋経済新報社
[定価]2,000円+税


『不道徳な見えざる手』でも、消費者の認知バイアスを「利用」することで顧客に本来であれば必要でない・取るべきではない消費や選択をあの手この手で仕掛けてくるビジネスが描かれている。そして、そのビジネス側の重要な武器が「価格」なのである。

さて、「価格」とは顧客にその商品・サービスの「価値」を伝えるメッセージであると同時に、顧客の認知バイアスに巧妙に働きかけるプロパガンダにもなりうる。その意味で「価格」はメディアというタイトルをつけてみた。

次回はDX時代の価格に特徴があるビジネスモデル、「フリーミアム」と「サブスクリプション」を取り上げる。

おまけ

最後に『価格の心理学』のpp.269-271に様々な価格モデルが列挙されている(MECEでないのであくまで参考リストとしての活用になるが)。その数実に36種類。これを眺めるだけでもヒントになるかもしれない。

1. 定額価格
2. 顧客にあわせた相場
3. 月額の会費制や定期購入制
4. 成果の一定割合
5. 資産価値は取引額などの一定割合
6. 一式のパッケージ料金
7. 費用プラス一定の手数料
8. 時間あたり料金制(プラス原材料費)
9. イギリス式オークション(オークション会場のような競り上げ型)
10. オランダ式オークション(アムステルダムの花市場のような競り下げ型)
11. セカンドプライスオークション(イーベイ型)
12. 業界標準価格(役者への最低支払額など)
13. 単価設定(記者や翻訳者の1ワードあたり料金など)
14. 物価連動型の年間報酬
15. 部品別の価格設定(デル方式)
16. 基本料金プラス追加料金(一般的な航空料金など)
17. 提示価格
18. 需要に連動した価格設定
19. 事前発注割引
20. 無料と有料グループの組み合わせ(広告料収入で運営されているメディアなど)
21. フリーミアム(基本的な商品やサービスは無料で提供し、高度な機能には課金する)
22. 利子の徴収
23. 違約金制(銀行の当座貸し越しや不法駐車など)
24. カミソリと替刃モデル(本体と付属品に分けた価格設定)
25. 所得に応じた料金制(一部の労働組合は給与に応じて組合費を徴収している)
26. 限界費用価格
27. マーケットシェア拡大のための値下げ
28. 普及にともなう値下げ(技術製品では一般的)
29. 頻繁な価格変動
30. 期間限定の割引
31. 季節料金制(休暇シーズンのホテル料金など)
32. 購入料に応じた値引き(クロワッサンを3個購入すれば1個無料サービス、5人セットで4万円など)
33. 食べ放題
34. 競争価格
35. 資本参加
36. 高度な専門サービスに対する報酬

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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