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「価格」とDX(6):「価格」にラディカルな役割を―『ラディカル・マーケット』ほか

2020/03/19

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これまで価格について色々見てきたが、今回は社会的課題の解決に「価格」メカニズムを活用しようという「ラディカル(急進的)」なアイデアを提唱するポズナー、ワイル『ラディカル・マーケット』を取り上げる。格差の拡大や生産性向上の鈍化といった現在の資本主義の行き詰まりは、私有財産の「価格」を歪めることによって、不当な市場支配力の行使が可能になっていることが原因だと同書は言う。この私有財産の「価格」を適正化するためのラディカルな仕組み、それは「オークション」である。

■ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革

[著]エリック・A・ポズナー、 E・グレン・ワイル
[翻訳]安田 洋祐、 遠藤 真美
[発行日]2019年12月20日発行
[出版社]東洋経済新報社
[定価]3,200円+税

「市場原理主義」の行き詰まり

現在、アメリカをはじめとした先進国では、格差の拡大が様々な社会問題を引き起こしている。中でも一部の大企業や富裕層に富が集中することで、社会に歪みが生じている。特にアメリカでは富裕層への富の集中が顕著であり、所得の上位1%の世帯がアメリカ全体の所得に占める割合は1970年代から急上昇している(図I.1)。

出所)本書 p.38より

また、労働分配率は80年代から低下を続けている(図I.2)。

出所)本書 p.39より

この労働分配率は国民所得における賃金の割合を示したもので、これは工場労働者の賃金から高額の報酬を受け取るCEOまでのすべての労働者が受け取った賃金が対象だ。つまり、労働の成果が労働者に渡らず、企業に渡っている可能性が高い。実際、図I.3の上では、アメリカの企業の「超過利潤(=独占力から得られた経済的利益)」の比率が年々拡大していることがわかる。また図I.3の下の図は、そういった超過利潤を得ている企業の収益力、いわゆる価格のうちコストに上乗せして得ている利潤である「マークアップ」の推移と、企業の株式の時価総額を比較したものだが、両者の間に強い相関が見て取れる。つまり、労働の成果は労働者に分配されず、また企業は超過利潤を得られるような独占的な市場を形成しており、最終的にそれらの富が一部の超富裕層に吸い取られていることを示している。

出所)本書 p.41より

このようないびつな資本主義になぜなってしまっているのか、と著者は問う。そしてその結論として、主流の経済学者がよって立っていた大前提、「現行の市場制度のデザインはうまく機能している」という間違った前提が招き寄せた結果であるというのである。

著者らは、経済学者が想定するような「需要と供給が均衡した完全競争市場」といったものは現実の世界にはほとんど存在しないという(ただし穀物市場や原油市場は完全競争市場として機能しているが)。例えば住宅一つとっても、それぞれの物件の間取りやロケーション、築年数。そしてその時の市況といった多様な要素によって同質な(例えば穀物のように)物件など存在しない。このような市場が数多く存在するのに、「完全に競争的な市場」という前提に立って制度設計を行うことは間違っていると著者らは言う。

そして、この「完全に競争的な市場」が存在し機能しているという前提に立っている人たちを、著者らは「市場原理主義」と呼ぶ。そして現在はこの「市場原理主義」の行き詰まりなのだ。

19世紀の「政治経済学者」「哲学的急進主義者」が目指したもの

では、市場を機能させるにはどのようにすればいいのか。著者らはその原点を19世紀の思想家の一群にさかのぼる。アダム・スミス、コンドルセ、ジェレミー・ベンサム、ジョン・ステュアート・ミル、ヘンリー・ジョージ、レオン・ワルラスなどなど。

これらの思想家は当時「政治経済学者」とか「哲学的急進主義者」と呼ばれていた。なぜなら、彼らは18世紀後半から始まる産業革命による社会経済の変化に、それまでの古い体制が全く適合しないことを指摘し、社会の体制を変革するための理論的基礎を提示したからだ。より直接的に言えば、貴族によって支配されていた生産要素(土地、労働者)を開放し、貴族や王室によって独占されていた商取引の場(市場)を開放し、そして経済活動から生み出された富の公平な分配をもたらすための制度を作り上げようとしたのである。

そして、この構図は現代にも当てはまる。非効率的なままで放置されている労働力(失業者)や資本(研究開発や設備投資に向かわない金融資本)といった遊休資産の存在、一部の大企業に寡占されている市場、一部の超富裕層に集中している富の再分配といった一連の必要な改革は、まさに「急進的」な制度改革が必要であることを示している。

「市場急進主義」としてのオークション

しかし、著者らは現在では機能していない「市場原理主義」的経済学を投げ出してしまうのではなく、20世紀に急速に発展した経済学の領域、つまりオークション理論をベースに新たな公平かつ効率的な市場を作ろうとするのである。

オークションには様々な種類があるが、オークションがもたらすものは大きく次の2つである。一つは「資源の効率的な配分」であり、もう一つは「その財の価値の正確な評価」である。うまく設計されたオークションは、その資源を最も高く評価している人に、その評価額と同等の価格で資源を配分できるという特徴を持つ。そのため、完全競争市場を持ち出さなくても資源の効率的な配分が可能となるのである。

そして著者らはこのオークションを拡大せよという。どこまで? すべてである。住宅であれ土地であれ、自分の車であれ、電波の周波数帯であれ、とにかくすべてである。ありとあらゆる財をオークションの対象とすることで、現在の歪んだ「市場原理主義」の非効率を一掃できるというのである。ではその制度のアイデアを見てみよう。

「共同的自己申告税(COST)」というアイデア

著者らの主張するオークション理論に基づく財の取引は、大きく3つの要素から成立している。1つ目は「財の価格を自己申告で決めること」、2つ目は「その自己申告額に対して税金が課されること」、3つ目に「その自己申告額以上の額での購入オファーが来たら必ず売らなければいけない」というものである。

この仕組みを著者らは「共同的自己申告税:Common Ownership Self-assessed Tax」と呼ぶ。頭文字をとって「COST」だ。この仕組みがなぜうまく行くのかを簡単に見てみる。まず、最も重要なのが、ある財産の価値を自己申告することである。しかし普通に考えると、誰でも持っている財産の価値を高めに見積もることになるのではないか。そこで、その過剰申告を抑制するのが2つ目の「自己申告額に応じた課税」である。仮に実際の価値よりも高めに申告していれば、当然ながらその人は多めに課税されてしまう。つまり自己申告とそれに対する課税という組み合わせは財産価値を正直に申告するインセンティブを与えているのである。

では、逆に財産価値を低めに申告して節税をしてみてはどうだろうか。そこで効いてくるのが3つ目の条件、「自己申告額よりも高い価格を提示されたら必ず売却しなければいけない」である。実際の価値よりも低く申告した場合、所有者はその財産の本当の価値を知っている人から「本来の価格」よりも低い価格で購入されてしまう。そのような不利な取引は避けるだろう。つまりこの3つの条件は財産の所有者に「正直にその財産の真の価格を申告させる」というインセンティブを持たせることになるのである。おお、エレガント!

そして実際、この「COST」と同様なオークションはすでに現実の世界で機能しているのである。一つは電波の周波数帯オークションであり、もっと身近な例ではweb上に表示されるweb広告市場である。これらの経済活動はまさにオークションによって資源の効率的な配分を、適正な価格で実現している実例なのである。

そして、「COST」を導入することで以下のような効果がもたらされると著者らは言う。

「COST」がもたらしてくれるもの

まず最も大きな効果として、あらゆる資産の価格が今よりも大幅に低くなるという効果が生じる。そして税収も伸びることになる。ただし税金の負担が大きくなるのは資産を多数所有する富裕層に集中することになる(格差の是正につながる)。そして資源の効率的な利用がもっと広がることになるだろう、と著者らは言う。

それ以外にも副次的な効果として以下のようなものを挙げている。詳細は本書をぜひ読んでいただきたい。

  • 「シグナリング」や「逆選択」がなくなる
  • 「保有効果」という認知バイアスが解消される
  • 借り入れ負担が低くなる
  • 公共財の供給が効率的になる
  • 「所有」から「利用」へというパラダイムシフトが起きる などなど

さて今回取り上げた『ラディカル・マーケット』では「価格」を「市場などで事後的に決定されるもの」という立場を取らずに、「自己申告で事前に設定するもの」としているとも言える。これは「価格」により積極的な役割を持たせることを意味するのではないかと言えると思う。

『ラディカル・マーケット』はこの「COST」以外にも、新たな投票制度や、個人情報を「データ労働」として対価を請求するような仕組みといった「ラディカル」なアイデアが詰まっている。この本はまた改めて取り上げる予定である。

さて、次回が「価格」シリーズの最後となる。シリーズの最後は「価格」を相対化する試みとしての『データ資本主義』を取り上げる。ビッグデータが市場取引に組み込まれることで、どのような未来が開かれるのかを見ていきたい。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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