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【COVID-19】行動変容を促すには:『医療現場の行動経済学』

2020/04/22

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4月7日に7都府県へ緊急事態宣言が発令され、ついで4月16日には対象が全国に拡大された。緊急事態宣言では人との接触の7~8割の削減を目指し、外出自粛、出勤数削減、「三密」が懸念される店舗などの営業休止が要請された。人々に今までとは異なる行動をとってもらうことを「行動変容」と呼ぶ。「行動変容」の中でも「頭ではメリットがわかっているが、短期的にはデメリットしか感じない「行動変容」を自発的に行ってもらうことは非常に難しい。今回のCOVID-19の感染抑制のための行動変容はまさにこの「難しい行動変容」に当てはまる。しかし近年、医療分野での行動経済学的アプローチによって、健康・医療面での行動変容を促進する方法論が進展してきている。

■医療現場の行動経済学―すれ違う医者と患者

[著]大竹 文雄、平井 啓
[発行日]2018年7月27日発行
[出版社]東洋経済新報社
[定価]2,400円+税

行動経済学をCOVID-19に応用したら

「どうしてあの人は合理的な行動をとらないんだろうか?」というのは誰しもが抱く疑問である。一方で他人から見れば、別の側面ではあなたも不合理な行動をとっている人に見えていることだろう。医療の現場では、エビデンスに基づいた効果的かつ合理的な治療方針を説く医者と、「頭ではわかっているんですが」と申し訳なさそうに(もしくは居丈高に)言いつつも、「でもやっぱり」と治療方針に従わない患者のせめぎあいはありふれた光景だ。しかし、患者は本当に非合理な選択をあえて選んでいるのだろうか。その非合理な行動選択には、何か別の要因があるのではないかという疑問からスタートしたのが行動経済学である。

行動経済学では、人の選択には「ある特定の方向へのバイアスが存在する」ということがいろいろな面でわかっている。古典的な経済学では、人は「完全に利己的かつ合理的な存在(ホモ・エコノミクスなどと呼ばれる)」という仮定に基づいて様々な理論を構築してきた。が、近年、人にはバイアスが存在するので、「完全な合理性」から外れた選択をすることが、その人にとっては「合理的」な選択になりうるということがわかってきた。そして、その「外れ方」、つまりバイアスにも一定の方向性や規則性があることも判明している。そこで近年、医療現場でも患者と医者の間で治療方針を決めるような意思決定の場で、患者と医者双方の認知に潜むバイアスを意識し、よりよい選択肢を選べるようにサポートする方法論が提示されている。

そして、この方法論は現在のCOVID-19に対する公衆衛生のための行動変容にも活用できるのではないだろうか。今回は行動経済学でよく知られているバイアスとCOVID-19下での問題行動をつなぐ仮説を考え、その上で公衆衛生的に望ましい行動変容をもたらす(かもしれない)アイデアを示したい。

主観的確率が生む「自信過剰」

本来自然現象に分類される「感染症」にかかるリスクは、同じ行動を取っている人の間であれば誰にとっても等しいはずである。しかし、「客観的」な感染リスクは等しいにも関わらず、その人の考える「主観的」な確率は上下してしまうのである。

主観的にリスクを低く見てしまう人は「自信過剰」と呼ばれる行動をとりがちである。今の状況下では感染リスクを低く見積もり、平時とあまり変わらない外出や通勤をしている人たちがこの「自信過剰」にあてはまるだろう。実は、この自信過剰の傾向は男性に多いとの研究結果が報告されている。そして、国立感染症研究所の4月17日付の報告書(注1)によれば、国内の症例の男女比は1.4:1(男性2,373例、女性1,677例)で男性に多かったことがわかる 。これは男性の自信過剰な行動の影響かもしれない。ただし、これは疫学的に検証されたわけではないので、あくまで個人的な印象である(もしかしたらウイルス感染リスクの高い職業に男性が多く従事していたといった可能性もある)。ただ、世の男性は今よりも慎重な行動を取るほうがいいとは確実に言える。

時間割引率の大きい「せっかちな人」

予防行為は常に将来のリスクと現在のコストのトレードオフである。例えば予防接種を進んで行う人は将来の感染リスクと現在の予防接種にかかわるコストを比較した結果、将来の感染リスクのほうが大きいと判断した人である。言い換えれば将来のメリットを高めに評価する人である。一方、「忙しいから」とか「かかっても、たいしたことはない」などという理由で予防接種を受けない人もいる。このような人は将来のメリットを低く評価していると言える。この差は、将来のメリットを現在の価値に置き換える際の「時間割引率」の差で説明ができる。

時間割引率の小さい人は、将来のメリットの現在価値を高く評価し、現在のコスト負担を厭わない。一方で時間割引率の高い人は将来のメリットを低く評価するため、現在のコスト負担を回避する。このような時間割引率の高い人を「せっかちな人」と呼ぶ。肥満や喫煙といったリスクの高い生活習慣がある層にせっかちな人が多く見られる。

COVID-19では糖尿病、心不全、慢性的な呼吸器疾患などの基礎疾患を持っている感染者が重篤化するリスクが高いことがわかっている。これらの基礎疾患はリスクの高い生活習慣と密接に関係しているため、「せっかちな人」は潜在的にCOVID-19の高リスク群である可能性が高い。喫煙者はこれをきっかけに禁煙を考えてもいいかもしれない。

フレーミング効果が「自粛」に与える影響

フレーミング効果とは、伝える内容が同じでも表現方法が異なるだけで人々の意思決定が左右される効果のことである。よく示される例が、手術の説明として
A「術後一ヶ月の生存率は90%です」
B「術後一ヶ月の死亡率は10%です」

という内容的には同じだが、表現方法が異なる場合である。実際、この表現の違いによって、Aの説明の方では約80%が手術の実施を選んだのに対して、Bで手術を決断したのは約50%にとどまったという結果が報告されている。

このように表現方法がポジティブかネガティブ化によって、人の意思決定は影響を受ける。有名な事例として、イギリスの税金滞納者に向けたメッセージの効果を測定した実験がある。片方は「この地区の滞納者はx%しかいない」というメッセージを、もう片方は「この地区ではy%の人が適正に納税しています」というメッセージである。これは情報としては同じだが、後者のメッセージでは納税率が有意に高まったのである。このように人は「皆がルールを守っている」という情報に接することで自らもそのルールを遵守するようになるのである。

一方で、今回のCOVID-19の報道で気になっているものがある。それは「週末に外出自粛を行わない人たちが集まっている様子」の報道である。実はこのような「ルールを破っている人がこんなにいる!」というタイプのネガティブな情報提供は、結果的に「ルールを破ること」に対する抵抗感を低下させてしまう効果を持ってしまうのである。このようなメディアの報道姿勢はその意味では全くの逆効果でしかない。この本の著者の一人である大竹文雄教授も自粛要請の報道に懸念を示している。

自粛要請の報道について|大竹文雄|note

メディアには自制と自省を求めたい。

高齢者への情報提供のあり方

高齢者には若年層と異なる意思決定のプロセスがあることがわかってきている。その違いは主に4つに整理されている。

  1. 偏った情報収集
    高齢者の情報収集の特徴の一つが、あまり情報の検索範囲を広めないことである。ネット検索による情報収集では、ある特定の語句やキーワードの検索結果のリンクをずっとたどって検索する傾向が強いことがわかっている(若年層は様々に検索語を変化させ、情報収集範囲を広げる傾向が強い)。また日本では新聞やTVといったマスメディアが情報源となっていることが多い。
  2. 膨大な情報を処理するのは苦手
    自分の病気の状況や治療方法などを検討する際に、高齢者は膨大な情報を系統立てて理解し、比較検討することが苦手な傾向にある。特に馴染みのない概念や、統計的な数値情報の理解は不得手であることがわかっている。
  3. 多すぎる選択肢の忌避
    高齢者は多すぎる選択肢を避ける傾向がある。日常の意思決定でも、高齢者は若年層と比較すると、希望する選択肢の数は若年層の約半分である。
  4. トップダウン型の意思決定
    高齢者は過去の経験や確立された自分の思考スタイルに沿って意思決定をする傾向が強い。情報収集にも現れているが、このスタイルでは情報収集とその処理にはあまりリソースを割かずに、少ない情報のもとで過去の経験に従って意思決定を行う事が多い。

このような高齢者が過去に経験したことのないCOVID-19の感染拡大にさらされた場合、その意思決定には過剰な負荷がかかっていることが予想される。特に、情報源が昼間のワイドショーや新聞などに限られている高齢者は、繰り返し報道される「ショッキングな情報」に過剰に反応してしまうことが懸念される。また、統計的な情報、例えば基本再生産数(一人の感染者が平均して何人に感染を拡大するか)や、重症化率、致死率といった情報を咀嚼するのにもかなりの負担が生じている。

このような状況下では、高齢者は極端な行動をとってしまいがちである。一つは行動に伴うリスクが判断できないことで結果的に高リスクな行動をとってしまうこと、もう一つは過去のパニック経験を再度繰り返してしまうことである。前者についてはマスクやトイレットペーパーを買うために長時間の行列に参加してしまったり、極端に外出を控えることによる体力が低下してしまったりする弊害などが考えられる。また後者では、過去のオイルショックや近年の自然災害の経験から、過度な買いだめ行為に走ることなどが考えられる。

このような高齢者の意思決定の制約による行動を抑制するためには、正しい情報をわかりやすい形でシンプルに繰り返して提供することが重要である。特に「やってもいい/やるべき行動の選択肢」を明確に提示することが重要だろう。この点に関して、メディアの現在の報道姿勢はすぐにでも見直すべきだ。

専門家(医者など)と一般人の「常識」のギャップを埋める

「COVID-19では感染者の多くが軽症もしくは無症状」という報告が多くあがっている。しかし、ここでいう「軽症」は、われわれ一般人が想像するものと、医療関係者が想像するものとでは大きな違いがある。財団法人 救急振興財団がまとめた「緊急搬送における重症度・緊急度判断基準作成委員会 報告書」(平成16年3月)では、「軽症」とは「入院を要しないもの」であり、「中等症」は「生命の危険はないが入院を要するもの」、そして「重症」は「生命の危険の可能性があるもの」、「重篤」は「生命の危険が切迫しているもの」となっている。

以下の鈴木医師の投稿で示されている「医療関係者にとっての軽症」と、われわれ一般人が想像する「軽症」とは全くイメージが異なるだろう。

COVID-19に関してはかなり医学的かつ専門的なデータや情報が直接われわれ一般人の目に入ることが多い。その際、われわれはいったん自分たちの「常識」での意味と、「専門用語」での意味のギャップを自覚するべきだろう。また、医療関係者や研究者には自分たちの「常識」が一般人には通用しないという点を意識してほしいとも思う。特に、客観的・統計的データを提供する際には、先程のフレーミング効果の影響にも配慮してほしい。

その意味では、政府の専門家会議や対策本部などからの情報発信には、リスクコミュニケーションの専門家を登用すべきである。この点はまた稿を改めて取り上げたい。

行動変容を促すための段階的な方法

さて、今回のCOVID-19の感染拡大を抑止するためには国民全体に広く行動変容を促す必要がある。そして行動変容に関する代表的なモデルとして「トランスセオレティカル・モデル(Trans-theoretical Model):行動変容段階モデル」がある。このトランスセオレティカル・モデルは、具体的かつ継続的な行動変容に至るまでの意識状態を5段階に分類し、行動変容に至るにはそれぞれの段階を一つずつ上がる必要があり、またそれぞれの段階で効果的な介入は異なるとするモデルである。

トランスセオレティカル・モデルの各段階とそれに伴う介入は以下の通りである。各段階に関して現状のCOVID-19の状況に関するコメントもついでに書いておく。

  1. 前熟考期「ほとんど関心のない」(無関心)
    まずはその問題に対する関心を高める情報提供を行う
  2. 熟考期「関心があるが実際の変化はまだ先だと思っている」(関心期)
    自分の現状の再評価をしてもらう
  3. 準備期「関心があり準備中である」
    具体的な行動を考える
  4. 実行期「新しい行動を始めたばかり」
    行動をサポートする
  5. 維持期「行動変容を継続している」
    行動変容を継続していることに「ほうび」を与える

今回のCOVID-19の感染抑制に関する行動変容を定着させるためには、それぞれの段階にあった介入が必要であろう。まずは正確な情報提供によって、自分の現状把握をしてもらうことが不可欠である。COVID-19に関してはまだわからないことも多いが、感染リスクの高い場所や行動はほぼわかってきている。一方で、過剰にCOVID-19を恐れて極端な行動に走ることの弊害も指摘されている。買いだめのために行列したり、PCR検査に過剰な効果を求めたりすることは避けるべきだろう。寺田寅彦の言葉(注2)に「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」というのがある 。しかし、今こそ「正しくこわがる」ための具体的な行動を明確に示すことが必要である。

そして、今回の行動変容では皆が最終段階である「維持期」に入ることがもっとも望ましい。COVID-19の感染抑止のために必要な行動変容は、ともかくも対人接触を減らすことである。そしてこれは経済活動を停止させるという副作用を伴う。つまり我々がみな「維持期」に到達するということは経済活動を長期にわたって停止させるということである。であるならば、行動変容の「維持期」に必要な「ほうび」とは、経済活動を停止することに対する十分な補償という形をとることは自然なことである。

その意味では、10万円の一律給付は一回限りにすべきではなく、外出自粛・営業休止の期間にわたって継続的に給付されるべきだ。もっといえば、対人接触が目標である8割を達成したのであれば、さらに給付額を積み増すくらいのことをやるべきではないだろうか。

(注1)国立感染症研究所 IDWR 2020年第14号<注目すべき感染症> 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)
(注2)寺田寅彦 小爆発二件(青空文庫)

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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