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【COVID-19】今必要なリスク・コミュニケーションとは:『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』ほか

2020/05/07

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5月4日、緊急事態宣言が延長された。COVID-19の感染爆発を抑えるためには社会全体の行動変容が必要だ。そして行動変容を促すためには適切なメッセージを社会に届ける必要がある。特に感染症といった社会的危機に際しては、通常時のコミュニケーションとは異なる「リスク・コミュニケーション」が必要になる。リスク・コミュニケーションの目的は「社会全体のリスクを下げること」である。そのためには人々がどのようにメッセージを受け止めるのか、行動を変えてもらうためのメッセージの出し方はどのようなものかといった知識・洞察が必要だ。

現在の政府のCOVID-19のリスク・コミュニケーションはうまく行っているのか

結論から言えば、現在の政府のリスク・コミュニケーションのやり方はまずい。これは私が個人的に思っている印象ではなく、公衆衛生分野のリスク・コミュニケーションの専門家の指摘である。

このインタビューに登場する堀口逸子教授(東京理科大学薬学部)は、現在の政府のCOVID-19に関するリスク・コミュニケーションの問題点を以下のように指摘している。

●感染抑止の全体戦略を考える機能・仕組みが不明
官邸、厚労省、専門家会議の機能や権限、意思決定プロセスが外部から見てよくわからない。
●出てくる情報が少ない、足りない
感染者数や死亡者数は発表されているが、退院者数や病床のキャパシティや逼迫率などの情報は不足している。また、現在取り組んでいる対策の検討状況や達成状況といった情報はほとんど出てこない。
●政策の意思決定プロセスが不透明
大規模イベントの自粛要請や休校要請が出された際、専門家会議からの提言があったのかどうか、根拠や効果についての検討がなされていたのかも不明。
●デマや間違った情報への対応が不足している
リスク・コミュニケーションは「デマ」や「間違った情報」が流れることを前提として、「間違った情報」以上の量で正しい情報を提供する必要があるが、そのような情報発信がなされていない。
●長期戦に備えたコミュニケーション戦略がない
緊急事態宣言のような「強い」措置は短期的には行動抑制の効果を持つ。これは「恐怖喚起コミュニケーション」であり、一回きりの行動変容には有効。しかし、長期の行動変容を促すには、行動変容が達成された節目節目で「褒める」「認める」といった自己効力感を高めるメッセージ戦略が必要になるが、それがなされていない。

現在の政府のリスク・コミュニケーションにはこのような問題があり、同教授は政府の対策組織の中にリスク・コミュニケーションの専門家を配置すべきだとしている。

行動変容を促すコミュニケーションのとり方

■事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

[著]ターリ シャーロット
[翻訳]上原直子
[発行日]2019年8月11日発行
[出版社]白揚社
[定価]2,500円+税

さて、では行動変容を実現させるためにはどのようなコミュニケーションが必要なのだろうか。もっともシンプルなやり方は「単純に事実を伝える」ことだろう。「新型コロナウイルスは潜伏期間がX日で、感染力は通常の季節性インフルエンザより強く、重症化率はY%程度、ただし高齢者や基礎疾患のある人では更に高まる。致命率は現時点ではZ%です」という事実を提示するやり方だ。さてこれで行動変容は生じるだろうか。残念ながらこのようなメッセージでは社会全体の行動を変えることは難しいだろう。なぜなら人は「事実」を提示されただけでは簡単に行動を変えないということが認知神経科学の研究から明らかになっているからだ。

これは次のような状況を想像してみてもわかるはずだ。あなたは人間ドッグで肥満を指摘されたとしよう。その時医者に「肥満度が高い人は生活習慣病の死亡リスクがX倍高まります」とだけ告げられていたとしたらどうだろうか。これで長期的な行動変容を起こせる人がいるとは考えにくい(中には一念発起する人がいるだろうが)。

本書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』は、認知神経科学の専門家が最近の研究結果をわかりやすくまとめた本である。本書は全体を通して、人間の脳の構造は無意識に短期的なストレスを回避する傾向があり、その傾向によって長期的なメリットを無視した意思決定を行いやすいことをいろんなケースで示してくれる。そして、この認知バイアスは、本来はヒトの進化過程で生存に有利なように最適化された機能なので、矯正することも難しい。

しかし、この認知バイアスの存在を前提とした上で、短期的なストレスをあまり感じさせず、より長期的なメリットを意識させるようなメッセージの伝え方もあることがわかっている。

そしてこれは先ごろ紹介した行動経済学の知見とも重なる部分が多い。行動経済学も人間の意思決定の系統的なバイアスを研究している。本書の認知神経科学は、このような認知バイアスのより生理的な側面からの分析アプローチと見ることもできる。

メッセージは「ムチ」より「アメ」

例えば、「罰を伴う強制や命令よりも、自発的な行為を褒めるほうが行動変容は起きやすい」ことがわかっている。同書では、アメリカのICU(集中治療室)で働く医療スタッフに、手指の消毒を徹底させるための取り組みの実験結果が紹介されている。まずは「命令型」の取り組み(壁に「手指消毒徹底!」とポスターを貼る的な)では遵守率は低いままだった。ついで出入り口に監視カメラを設置し、常に外部から出入りするスタッフが手指消毒を行ったかをチェックした。監視されているとわかっていてもやはり遵守率は低いままだった。最後にとった方法は、スタッフが手指消毒をするたびに実施率が表示される電光掲示板の設置だった。誰かが消毒をするとすぐに掲示板の数値が上がる。そしてこの電光掲示板が設置されると、手指消毒の実施率はなんと90%に跳ね上がったのである。

この結果は次のように解釈されている。当初の命令型・強制型は「消毒を徹底しないと院内感染が増える」といった「罰(ムチ)」を示すことで行動変容を促すやり方だった。そしてこの「ムチ」式のメッセージは、受け手に対して暗黙のうちにストレスを与えてしまうのである。一方の電光掲示板のほうは、「自分が消毒すればすぐに肯定的なフィードバックが得られる(電光掲示板の数字がアップする)」という「アメ」のメッセージを与えていたのである。そして面白いことに、この電光掲示板を設置して3か月も経つと、出入りの際に手指消毒を行うことは習慣化され、電光掲示板を撤去した後も手指消毒の習慣は継続したことである。より良い行動変容はそれが習慣化されると持続性を持つのである。

これは現在の感染予防のための手洗い励行にもぜひ取り入れてほしいと思う。現在日本をはじめ手洗いや手指消毒を日常的に行うことが定着しつつある。しかし、これが「新型コロナウイルスが怖いから」という「ムチ」的な意識で行っている場合、そのうちやめてしまう人が出てきかねない。できれば「手を洗ったね!えらい!」と褒めてもらえる仕組みがほしいところだ(子供は褒めてもらえるが、大人は褒められる機会がないよね)。

「事実」は簡単に歪められる

これはもう様々な側面があるのですべてを列挙することはできないが(というかこの本全体がこのことを説明していると言える)、今回のCOIVD-19に関連しそうないくつかの事例を挙げておく。

■自分の意見を裏付けるデータばかりを集める「確証バイアス」

一つは「確証バイアス」である。これは、人は自分が好む「事実」を補強する「事実」を好んで収集し、自分の信念をより強化させてしまうバイアスのことである。今回のCOVID-19騒ぎではワイドショーの報道姿勢がこの確証バイアスを強化してしまっている可能性が高い。

この記事では、ビッグデータによるマーケティング分析を手掛けるTrue Data(東京・港)が、全国のスーパーやドラッグストアにおける延べ約5000万人の購買情報からドラッグストアでの購買情報を抽出し、今回のコロナ騒ぎの実態を分析している。この分析から中高年、特に50~60代がテレビの情報(トイレットペーパーの品切れ報道など)に敏感に反応し、買い占めに走ってしまったことや、開店前にドラッグストアの前に長蛇の列を作ったことが確認されている。

今回のCOVID-19は、高齢者が感染すると重症化する割合が高いため、高齢者は若年層に比べて不安感が強い。そして不安感を抱えた高齢者は、その不安感を打ち消すような情報よりも、その不安感を裏付けるような報道を無意識のうちに選んで見てしまう傾向がある。ワイドショーなどの不安を煽るような報道は、自身が抱える不安感を裏付けてくれる。これも一種の確証バイアスだろう。

■一人の専門家よりも多数の素人の意見に従ってしまう「平等バイアス」

これは意思決定の必要に迫られた時、人は多数派の意見を信頼性が高いとみなしてしまうバイアスである。よく見られるのは、主治医がすすめる治療法よりも、まわりの家族や友人・知人のすすめる民間療法を選んでしまうといったケースだろう。本来なら医療の専門家である主治医の意見のほうが正しい確率が高いのだが、人は「身の回りの同意見の人数の多さ」を判断基準にしてしまうことが多い。これが「平等バイアス」である。

今回のCOVID-19騒ぎでワイドショーに出てくる素人コメンテーターや自称専門家が、科学的な裏付けもないまま好き勝手なことを言っている。SNSを見てみても、政府の施策や専門家のモデルに文句を言っている人はいっぱいいる(中には本当に専門的な立場から批判を行っている人もいるが、ほんの僅かだ)。このような状況では、人は少数の専門家の意見よりも、多数派の意見のほうを自分の判断基準にしてしまいがちだ。このような歪みを正すためにも、政府はより正しい情報を大量に発信し続ける必要がある。改善を待ちたい。

同書はこのような人間の事実認知、判断にまつわる様々なバイアスをあげ、そしてそのバイアスをやわらげるようなメッセージの出し方・伝え方を示している。人間である限り自分にも同様の「思考の癖」があることに自覚的であることは無駄ではない。

本物の公衆衛生のリスク・コミュニケーション

■「感染症パニック」を防げ! リスク・コミュニケーション入門

[著]岩田 健太郎
[発行日]2014年11月13日発行
[出版社]光文社
[定価]860円+税

さて、感染症という公衆衛生のリスク・コミュニケーションの本当の理想像を知りたい方にはこの本をおすすめする。著者の岩田健太郎氏は先ごろのクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号の現場に乗り込んで感染対策の不備を指弾した感染症対策の専門家である。本書の出版は2014年だが、本書には【エボラ出血熱】【1999年の西ナイル熱】【2001年のバイオテロ】【2003年のSARS】【2009年の新型インフルエンザ】【2014年のデング熱】といった近年の感染症の重大事態の現場の経験が元になっている。そしてそこで培われたリスク・コミュニケーションの要諦がまとまっている。

本来であればこの本の読み手は、対策を指揮する政府や医療関係者、官公庁、自治体などだろう。しかし情報を受けとる側も、コミュニケーションに関するリテラシーを高めておくことは無駄ではない。この機会に一読しておくことをおすすめする。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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