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【COVID-19】コロナ禍での財政政策:『経済政策で人は死ぬか?』

2020/05/15

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COVID-19が引き起こした景気後退はリーマン・ショックを超え、約一世紀前の大恐慌に匹敵する規模になるのではないかと言われている。過去にも多くの経済危機が世界中で起きたが、経済危機への政府の対応は、その後の国民の健康や生活に大きな影響を与えることがわかっている。2014年に出版された『経済政策で人は死ぬか?』では、経済危機への対応策として「緊縮財政」を選んだ国は、結果として「国民の命や健康」を大きく損ない、景気回復が遅れ、結局はさらなる財政負担が発生したことを統計的に明らかにした。今回のCOVID-19ショックで同じ轍を踏むことは絶対に避けないといけない。

■経済政策で人は死ぬか?

[著]デヴィッド・スタックラー 、サンジェイ・バス
[翻訳] 橘明美、臼井美子
[発行日]2014年10月15日発行
[出版社]草思社
[定価]2,300円+税

経済危機が生んだ「自然実験」

本書は過去に生じた様々な経済危機に対する当時の政府の対策によって、その後の国民の命や健康がどのように変化したかを統計的に明らかにしている。取り上げられている経済危機は、「大恐慌下のアメリカ(1930年代)」「ソ連崩壊後のロシア、東欧諸国(1990年代)」「アジア通貨危機後の東・東南アジア(1990~2000年代)」「サブプライム問題後(2008年以降)」である。

これらの経済危機後の各国の政府の対応は大きく二分される。一つは景気後退に対処するために財政支出を拡大し社会機能の維持に努めた国であり、もう一つは財政破綻を回避するために社会福祉を含む大規模な財政支出の削減を行った国である。同じ経済危機でもその危機への対応が二分された結果、同一の環境のもとで「財政政策」だけが異なるという「実験」を行っているという状況が生じたのである。

このような現象を「自然実験」と呼ぶ。実はある政策が実施された後に、その政策が実際にどの程度の効果を持っていたのかを計測するのは非常に難しい。政策実施後に現れた効果には、例えば人口の変化によって生じたものが多く含まれているかもしれないし、世界的な景気動向によって政策の効果が過大に出たり、逆に打ち消されたりしている可能性もある。しかし、他の条件がほぼ同一で、政策だけが異なっているような状況が生まれれば、その両者の差の多くが政策の効果によるものだと言うことができるだろう。そして過去の経済危機を詳しく見ると、このような自然実験とみなせる事例が数多く見つかったのである。

■大恐慌後のニューディール政策の効果

大恐慌下のアメリカではルーズベルト大統領のニューディール政策が有名だが、実はニューディール政策の実施状況は各州によって異なっていた(ご想像の通り、共和党選出の知事のいる州はニューディール政策に積極的ではなかった)。そのため、州単位で比較することでニューディール政策の効果がわかった。

ニューディール政策に積極的に取り組んだ州(ルイジアナ州)と、消極的だった州(ジョージア州、カンザス州など)を比較すると、前者ではその後の公衆衛生状態が長期にわたって改善した。特に伝染性疾患による死亡率、小児死亡率、自殺率などが大幅に改善された。そして最も重要な効果は、公衆衛生・医療への財政支出はその後の景気回復にも大きく寄与したことである。そして景気回復の結果、財政状況も好転した。財政緊縮派がよく口にする「医療・福祉への支出は財政状況を悪化させる」という懸念はあたらなかったのである。

■ソ連崩壊後の民営化のスピード

同じようにソ連崩壊後に、急速に市場化・民営化を進めた旧ソ連諸国と、漸進的に市場化・民営化を進めた東欧諸国との間の比較ができる。この場合はこの改革のスピードによって、その後の国民の健康にどのような影響があったかがわかった。

端的に言えば、急速かつ徹底した改革を進めたロシアでは、男性の平均寿命が1991年から1994年のわずか3年間で64歳から58歳へと縮んだ。そして死亡した男性の多くが25歳から39歳の若年層であり(通常の災害などでは死亡者は子供と高齢者が中心になる)、彼らの職業はブルーカラーが多く、急速な改革で工場の閉鎖などで失業者に転落した人たちであった。その結果、彼らはアルコールに溺れた。しかもウオッカならまだマシな方で、彼らは非飲料用アルコール(アフターシェーブローションやマウスウォッシュなどに含まれるアルコールを蒸留したもの)にまで手を出していた。このような密造酒は「オーデコロン」と呼ばれ、多くの健康被害を引き起こした。

そして急速な改革は経済も破壊した。1990年から1996年にかけて旧ソ連諸国(ロシア以外にもカザフスタン、ラトビア、リトアニアなど)では一人あたりGDPが30%以上も低下した。また、民営化によってそれまでの国有資産を一部の旧エリート層が不当に独占したため貧富の格差が急拡大し、1988年にはわずか2%だった貧困率は1995年には40%に上昇した。「共産主義で最悪なのは、なんと崩壊後だった」という絶望的なジョークが流行ったそうである。

一方、改革を比較的ゆっくり進めた国もあった。ロシアの隣国ベラルーシや、チェコ、ポーランドなどの東欧諸国である。これらの漸進的改革国では貧困率や失業率は安定したまま推移し、時間をかけて制度を整備し、外資を呼び込むことで穏やかに市場経済に移行した。

■アジア通貨危機後とIMF

またアジア通貨危機では、危機後にIMFからの支援を受けるかわりにIMFの提唱する緊縮財政を受け入れた国と、IMFの支援を受けずに緊縮財政の道を取らなかった国の間で自然実験が成り立つ。IMFからの支援を受け入れた上で緊縮財政の道をとったのは韓国、タイ、インドネシアなどで、IMFの支援を受けなかったのはマレーシアである。

そして、IMF主導の緊縮財政を受け入れた国では貧困率、自殺率、物価上昇が急増した。貧困率を見てみよう。アジア通貨危機後に各国のGDPは、韓国で30%、タイで27%、インドネシアで56%、マレーシアで34%減少した。しかし貧困層への補助金という形で財政拡大を行ったマレーシアでは貧困率は7%から8%と微増しただけなのに対し(しかもその後低下した)、IMFに従って緊縮財政を進めた韓国では11%から23%へ、インドネシアでは15%から33%へと貧困率が跳ね上がった。

さらに公衆衛生にも甚大な被害が生じた。その中でも最も悲惨な結果がHIVの蔓延である。特にタイでは1980年代からHIV感染者の急増が問題になっていた。特に新規感染の原因の97%が性労働者との性交渉であり、1994年の推計では性労働者の3分の1がHIV陽性だった。そのためタイ政府は1990年代前半から「コンドーム無料配布」のHIV感染対策を開始した。その結果は劇的で、コンドームの無料配布の対象となった県では、キャンペーンをはじめてわずか2か月で新規感染者の性労働者比率が13%から1%に低下した。しかしIMFによる緊縮財政の要請を受け、このHIV対策費も削減された。結果、それまで減少傾向にあったタイの感染症による死亡率は再び上昇に転じてしまった。

同時期、マレーシアは逆に医療費への財政支出を拡大した。1998年から1999年にかけて同国では医療費支出を8%増加させ、国民の健康を維持した。そして、この不景気から最も早く回復したのはマレーシアだった。1998年には平均所得が下がり、食料品価格が約9%上昇したが、翌年から所得は上昇に転じ、食料品価格も2000年には落ち着いた。

ノーベル経済学賞受賞者であり世界銀行のチーフエコノミストでもあったジョセフ・スティグリッツはアジア通貨危機でIMFが果たした役割をこう評した。「IMFが何をしたかといえば、要するに東アジアの不況をより深刻で、長く、厳しいものにしただけである」(本書、pp.105-106)。そして、IMFも2012年にアジア通貨危機に際しての政策の誤りを自ら認めた。IMFが指導した緊縮政策と自由化によって東アジアが当初の試算の3倍に上る経済的損失を被ったと認め、IMFの専務理事が謝罪した。

経済危機への対処として「緊縮財政」を選択することがどのような結果をもたらすのかもう明らかだろう。そして逆に社会保障領域への財政拡大を行ったマレーシアを見ればわかるように、経済危機によって苦境に陥った国民を救うために財政支出を行うことは、結果として危機の影響を和らげ、回復を早くし、その後の財政状況も安定させるのである。ちなみにインドネシアはアジア通貨危機の10年後に再び訪れたリーマン・ショックによる経済ショックに対して、貧困層への補助金を増額し食料品や燃料の価格上昇の影響を緩和した。

「政治とは大規模な医療にほかならない」

これは本書の冒頭に掲げられた19世紀のドイツの病理学者であり政治家でもあったルドルフ・ウイルヒョーの言葉である。経済危機後の緊縮財政が国民にどのような災厄をもたらすかは前段で見てきたが、現在多くの国で進行中の医療制度改革や福祉予算の見直しといった「ネオリベラリズム路線」の改革によって、いずれまた起きるであろう経済ショックに対する社会の耐久力が失われつつあると同書は警告する。そしてその警告の一部は今回のCOVID-19ショックによって現実のものとなってしまったようだ。

本書の第3部では公衆衛生や福祉、失業対策といった制度を平時に充実させておくことが危機の影響を緩和し、その後の回復も早くすることを示している。まさに「政治とは大規模な医療」なのである。整備しておくべき政策として本書は「充実した医療保険制度、特に国民皆保険制度」「十分な医療予算の確保」「再就職を容易にする失業対策」「ホームレスを産まない住宅政策・福祉政策」などをあげている。これらのセーフティネットを備えておくことが、次の経済危機への最善の備えなのである。そして、保健医療と教育の政府支出乗数は高いことがわかっている。

■日本の公衆衛生・医療のセーフティネットは十分か

振り返って我が国を見てみよう。現在日本は長く続くデフレ不況の環境下で、国・自治体はこれまで長きにわたって財政支出を切り詰めている。医療保険では、なんとか国民皆保険制度を維持しているものの、医療現場は常に人手不足・予算不足に悩まされている。しかも政府は団塊の世代が高齢者のピークを超えた後の医療費削減を目指して病床数の削減を進めようとしている。

また今回のCOVID-19パンデミックで最前線の防波堤として奮闘した保健所は、平成8年の845か所から減り続け、現在では469か所と実に4割以上も減らされている。

保健所数の推移(厚生労働省健康局健康課地域保健室調べ)
令和2年4月1日現在

今回のような新型ウイルスのパンデミックは今後も必ず起きる。その影響を最小限に留めるためにはそのための備えが必要だ。

また、「病気の治療(cure)」には多くの医療リソースが必要だが、より少ない医療リソースで達成できる賢い予防治療、いわゆる「ヘルスケア(care)」の推進も今以上に求められるだろう。今回のCOVID-19では糖尿病、肥満、高血圧などの既往症を抱えている感染者の致死率が高いことがわかっている。このような生活習慣病を減らすような医療政策の充実が必要だ。

■日本の失業対策は弱い

また、日本の失業対策は公衆衛生の観点から見て、もっと強化する必要がある。失業による健康への悪影響は様々な側面がある。一つはうつ病の増加である。これは順番が前後することもあるので、一方向の因果関係ではない。過重労働によってうつ病を発症し職を失うこともあれば、失業したストレスでうつ病になる人もいる。日本では近年メンタルヘルスを患う患者数が急増している。そして今回のCOVID-19ショックによって失業者が大量に生まれており、彼/彼女らへの対策を十分に行うことが求められる。

もう一つの失業による健康被害が自殺者の増加である。日本では失業率が1%上昇すると年間の自殺者数が約2,000人強増える傾向がある。特に経済的困窮を理由にした自殺は男性に多い。

失業率とシンクロする自殺率の推移(ニューズウィーク日本版)

そして日本は他のOECD諸国に比べて自殺と失業率の相関が高い。

しかし気をつけないといけないのは、失業と自殺は必ずしも直結しないということである。同書ではスウェーデンの失業対策が紹介されている。スウェーデンの失業対策は「積極的労働市場政策(Active Labor Market Policy:ALMP)」と呼ばれ、失業手当給付はもちろんのこと、失業者の再就職を行政と企業が支援することで失業者が労働市場から長期間離脱してしまうことを防いでいる。このALMPは1960年代から制度が順次整備され、1980年代には現在の形に近い制度ができ上がっている。

この制度は実際機能したのだろうか。実はスウェーデンでも1991年から1992年にかけて金融危機が発生し、国内のほぼすべての金融機関が破綻の危機に瀕するなど深刻な経済危機に見舞われた。その間失業率は10%にまで上昇した。しかし、同国では1980年から2000年にかけて一貫して自殺率は低下し続けているのである。

また、日本の失業対策のうち特に脆弱なのが住宅支援である。安定した職がない人たちがネットカフェに寝泊まりしていることはCOVID-19以前からよく見かける光景になっていた。それらの人たちが今回のCOVID-19によってネットカフェが営業休止になった途端、ホームレスに転落してしまった。ホームレスになると平均寿命が40年短くなるという調査結果や、リーマン・ショック後のアメリカのホームレスは平均的なアメリカ人に比べ、薬物乱用による死亡率が30倍、暴力による死亡率が150倍、自殺率が35倍高かったといった調査結果もある。

日本の住宅政策は主に「住宅の購入を後押しする」ための制度に偏っている。例えば金利優遇や減税、高層マンション建設促進のための容積率緩和といった施策が日本の住宅政策の大部分を占める。しかし、日本の公営住宅は縮小の一方であり、また若年層の非熟練労働者に安定した住居を提供していた社員寮や社宅は次々に廃止された。現在の日本において非正規雇用の人たちは企業の借り上げマンションに住んでいることが多い。すると企業から派遣契約を切られると同時に住む場所も失ってしまう。日本にはホームレスに転落しかねない人に対するセーフティネットが圧倒的に不足している。

また一度ホームレスに転落して住民票を失うと、日本の制度では公的な支援や、賃貸契約、そして再就職へのハードルが一気に高くなる。「住む家を失っている」という最も困窮しているはずの人たちは、「住む家を持たない」がために必要な支援が受けられないのである。この本末転倒な状況を改善するためには「ハウジングファースト」と呼ばれる公的な住居の提供・保証の提供といった施策が必要である。このあたりの政策は以下も参照してほしい。

「住宅政策と社会保障」(視点・論点) | 視点・論点 |NHK 解説委員室

医学的に正しい政策を求める

最後に本書の主張をまとめておく(第10章)。

●国民の命は経済政策に左右される
●不況時での緊縮財政は景気にも健康にも有害
●不況下にとるべき経済政策
  1. 公衆衛生的に有害な施策は行わない(医療・福祉予算の削減は有害)
  2. 人々を職場に戻す(失業手当給付よりも再就職・復職の支援がより有効)
  3. 公衆衛生に投資する(不況下では国民の健康は一般に悪化する。この悪化を放置してしまうといずれより大きなツケとなって返ってくる)

著者らは社会保障政策への適切な財政支出は、景気後退期には短期的な景気浮揚効果を持ち、長期的には予算節約につながることを示している。「つまり健康維持と債務返済の両立は可能であり、それは過去のデータからも明らかである(本書、p.15)」ということだ。

私が個人的に本書でもっともうなずかされたのは以下の主張である。

なにしろ経済政策の選択はわたしたちの健康に、ひいては命に、甚大な影響を与えるのだから。医薬品の審査はあれだけ厳しいのに、なぜ経済政策の人体への影響は審査しないのだろうか。同等の厳しい審査があってしかるべきではないだろうか。(中略)だが現状ではそうした審査が行われていないため、安全な経済政策ではなく危険な経済政策が横行している。 (本書、p.27)

最近「大きな政府・小さな政府」といった議論が聞かれる。しかしその議論は「大きな政府の維持は望ましくない」というデータを伴わないイデオロギーに過ぎないのではないだろうか。実際、本書では繰り返しIMFによる緊縮政策がいかに対象国に悲惨な結果をもたらしたかを明らかにしている。それでもなお緊縮財政をよしとするのであれば、データで根拠を示してもらわなければいけない。

日本政府は景気が弱いにもかかわらず財政規律を錦の御旗として消費税を引き上げては景気を腰折れさせるという愚策を繰り返している。今回のCOVID-19に対する経済対策でも、既に危機収束後に増税を求める声が出てきている。これ以上の愚策を繰り返すべきではない。特に、増税すれば将来の安心が確保されるので消費が上向くと唱えていた人たちは、データをもってその主張を証明してほしい。ちなみに昨年10月に消費税が増税された後、2019年10-12月の四半期GDPの家計最終消費支出は年率で▲11.1%減少している。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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