フリーワード検索


タグ検索

  • 注目キーワード
    業種
    目的・課題
    専門家
    国・地域

NRI トップ ナレッジ・インサイト コラム コラム一覧 2020年DX書籍ランキング(1):テクノロジーと法の関係のアップデート

2020年DX書籍ランキング(1):テクノロジーと法の関係のアップデート

2020/12/24

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

今年も残すところ僅かとなった。今回は、今年DX的に重要だと個人的に感じた本を全4回に分けてランキング形式で取り上げたい。今年のDX領域の大きな流れを以下の4つとし、それぞれの論点に関する書籍を紹介する。まずは「テクノロジーと法の関係のアップデート」、ついで「デジタル時代の産業政策」、そして「テクノロジーが社会を変革するスピード感・時間軸」、最後に「デジタルワールドにおける経済学の活用可能性」である。第一回は「テクノロジーと法の関係のアップデート」の3冊を紹介する。

テクノロジーと法の関係のアップデート

テクノロジーと法の関係を考える時よく言われるのが「テクノロジーは常に法に先行する」という経験則だ。これは進化のスピードが早いテクノロジーに対して、法はその成立までに多くの手続きを必要とすることによる時間軸のズレでもあり、また変化してやまないテクノロジーに対して、一度成文として規定されてしまった法はその変化にあわせて柔軟に変更することが難しいという両者の性質の差異も含んでいる。

近年、急速に性能を進化させたAIは、そのできることが広がるにつれ、そしてAIの利用が安価かつ容易になるにつれ、これまでの法が想定してきた社会像を大きく書き換えてしまうのではないかとの懸念が現実のものとなりつつある。そして、実は法の分野でもこのAIの進化に対して「手遅れ」になる前に対処すべきではないかとの危機感が共有されつつある。今回はそのような動きを俯瞰できる本を選んでみた。なお順位は便宜的につけただけで、順位そのものに深い意味はない。

第1位『AIと社会と法 - パラダイムシフトは起きるか?』

■AIと社会と法

[著]宍戸 常寿、大屋 雄裕、小塚 荘一郎、佐藤 一郎
[発行日]2020年8月発行
[出版社]有斐閣
[定価]3,400円+税

本書は『論究ジュリスト』誌上で行われた誌上対談をまとめたものだ。タイトルにあるように本書はAIが社会に与える影響を検討・分析した上で、AIが社会に及ぼす影響に対して法はどのように向き合うべきかを論じている。そして法の取るべきスタンスは「過去からの延長線上に位置する」のか、それとも「AIによる変化は法にも新たなパラダイムシフトをもたらす」のかという大きな問いが投げかけられている。

本書はもともと各巻で行われたそれぞれのテーマごとの座談会をベースとしてまとめられており、扱ったテーマも「データの流通取引」「契約と取引の未来-スマートコントラクトとブロックチェーン」「専門家責任」「フェイクとリアル-個人と情報のアイデンティフィケーション」など多岐にわたる。レギュラー陣に一流の法学者と技術者を揃え、各回には当該分野の専門家を招いて行われる座談会は、理論と現実、過去と未来、課題とチャンスを俯瞰しており、毎回目からウロコがボロボロと落ちる内容である。

また巻末の第10章では座談会のレギュラー陣による総括と、今後の展望が新たに追加され、この長い連載でたどった道(これだけでもかなり長い道のりなのだが)のさらに先に光を当てている。法は決してスタティック(静的)なものではなく、常にある程度はダイナミック(動的)なものなのだという事実は、実はあまり知られていないのではないだろうか。そして、法学という分野が取り扱う領域が想像以上に広く、また深いことも実感できるのではないだろうか。

そしてこれは完全な蛇足だが、AIに代表されるBigTechが社会のあらゆる側面に大きな影響を与えつつある現在、あるべき法の議論と既存法の改定、また必要であれば新たな立法を迅速に行うことは、その国の経済および社会にとってクリティカルな課題である。しかし、わが国の立法機関はその重要な責務を果たすに足る活動をしているのか、さらに言えば霞が関を含めたわが国の立法機能は、この重要な課題に取り組むために必要なリソース・能力を備えているのだろうか。本書を読んで余計な心配が増えてしまった。

第2位『ブロックチェーンと法 ー〈暗号の法〉がもたらすコードの支配』

■ブロックチェーンと法

[著]プリマヴェラ・デ・フィリッピ、アーロン・ライト
[翻訳]栗田昌裕、三部裕幸、成原慧、福田雅樹、松尾陽
[発行日]2020年11月
[出版社]弘文堂
[定価]4,000円+税

本書は2018年に出版された"Blockchain and the Law: The Rule of Code"の待望の邦訳版である。本書はブロックチェーンの技術的特性から説き起こし、ブロックチェーンの画期的な特性を「非中央集権性」「耐改竄性」「透明性」「自律性」と定義する。そしてこのような特性を持つブロックチェーンが変化を及ぼす領域として、「金融・契約」「情報システム」「組織」を取り上げる。続いてそれぞれの領域について何が起きるのかを解説する。

と、ここまではこれまでのブロックチェーン本でもよく見られる内容なのだが、本書の本領が発揮されるのはこの先である。それはブロックチェーンが生み出すシステムは、既存の「権力機構」にとって「規制可能」なのかという問いを提起したことである。上にあげたようなブロックチェーンの特性は既存の政府や組織がこれまで行ってきた規制を無力化する方向に働くことはビットコインに対する政府や規制当局の反応を見れば理解できるだろう。そしてサトシ・ナカモトがビットコインを生み出した動機の一つといわれる「国や政府にコントロールされないシステム」を現実のものとしたように見える。このテクノロジーは多くの「ネット自由主義者」達に、かつてインターネットが誕生した時と同様の希望を抱かせた。しかし、著者たちはその希望は実は脆弱なものだということを示したのである。

現在のネット上の世界の規制について考える際のフレームワークは、2000年にローレンス・レッシグが提示した「規制のアーキテクチャ」を外して考えることはできない。レッシグはネット上の世界は、物理法則が支配し、人間の認知能力には限界のある現実の物理世界と異なり、すべてが「コード」で記述された完全なる人工物であり、そこでは「完璧な規制」が可能であることを示した。そして、そのネット上で稼働するブロックチェーンも人工物である限り、規制は可能であることを示したのである。実際、現在のインターネットは当初の自由なユートピアといった想像に反して、かなりの部分が権力によって規制された「秩序ある世界」になっている。

さらにもう一つの視点として、ブロックチェーンとその上に記述されたスマートコントラクトは、実は国や政府に「効率的な規制」を実行可能にするためのツールとして活用されるという主客が入れ替わる可能性も示している。その究極の姿は「アルゴリズム支配ーアルゴクラティック」として描写される。

現在の物理世界を前提とした規制の多くは自然言語で書かれた法に基づくため、その運用には必ず何らかの曖昧さが伴う。また法による規制の多くは事後的であり、さらに言えば法を犯す自由もある程度は担保されている(例えば殺人を犯す自由は万人に開かれている)。しかし、コードによって規定された法システム上ではそもそもその法を逸脱する自由が与えられない(コピー不可の音楽ファイルなどを想像して欲しい)。アルゴクラティックが支配する世界では規制は事前に行われているのである。さらに、その上で稼働するスマートコントラクトは厳密かつ自動で遂行されるため、規制は即時に、そしてより透明かつ徹底的に実行される。そこには自然言語による条文が持つ曖昧さはない。

結局のところ我々は新たなテクノロジーが登場するたびに「このテクノロジーをどのように用いればより良い社会がもたらされるのか」という問いに向き合う必要があるということなのだろう。そこには過度な楽観や悲観を我慢した現実的な思考が求められる。ブロックチェーンに関わる人は一読すべき本だ。

第3位『TOOLs and WEAPONs - テクノロジーの暴走を止めるのは誰か』

■TOOLs and WEAPONs

[著]ブラッド・スミス、キャロル・アン・ブラウン
[翻訳]斎藤栄一郎
[発行日]2020年8月31日発行
[出版社]プレジデント社
[定価]2,500円+税

上2冊はテクノロジーと法の関わりを考える本だったが、本書はちょっとスタンスが異なる。本書はマイクロソフトで長年コンプライアンスを担当してきたブラッド・スミスCCO(チーフコンプライアンスオフィサー)によるものだ。昨今、GAFAに代表される巨大テック企業に対する規制強化の声が強まっているが、本書はまさにその代表的な巨大テック企業であるマイクロソフトが果たすべき「責任」について書かれたものだ。そしてサブタイトルの「テクノロジーの暴走を止めるのは誰か」というメッセージが示す通り、テクノロジーによるイノベーションを追求しているテック企業も、相応の責任を負うべきであるとの主張を展開している。

マイクロソフトといえば、1990年代にネットスケープとのブラウザ戦争において反競争的行為を行ったかどで告発されたことで自社の利益のみを追求する自己中心的な企業といったイメージが付き纏っていたが、本書を読めば現在のマイクロソフトはその行動原理を大きく転換していることがわかるだろう。

本書の扱う範囲は多岐にわたる。テクノロジーによる監視とプライバシーのバランスをどう実現するか、サイバー犯罪に対抗するためのセキュリティ強化の取り組み、またネットアクセスの不平等(デジタルデバイド)への対処、そしてAIがもたらすかもしれない新たな不平等や差別にどう対処すべきかなどが語られる。そしてこれらの課題に取り組む際に共通して意識されているのは「デジタル時代の自由と正義」を実現するためにはテック企業も相応の責任を自覚して行動しなければいけないという強い信念だ。これは今までのテック企業のカルチャーに大きな転換を求めるものである。しかし、予測不可能なスピードでテクノロジーが急速に進化している現在、そのテクノロジーがイノベーションを生み出す土壌である「自由で公正な社会」を壊してしまっては本末転倒である。

結論を先取りしてしまえば、テック企業は今後政府やNPO、市民といった多様なステークホルダーときちんと協同していくべきであるということになる。その上で、著者は政府にもテクノロジーをよりよく規制するための新たな規制策定のプラットフォームを作るべきだと提言している。一つはレギュラトリーサンドボックスのような実験機会を設けること、また段階的かつ漸進的な規制の導入、そしてテクノロジーの需要者として市場を健全な方向に向かわせるような調達戦略などを提言している。

翻って日本を見ると、どちらかといえば「海外のテック企業の侵攻をどう食い止めるか」「イノベーションを抑制している規制を緩和すべき」といった主張にとどまっている印象を受ける。しかし、リクナビ問題のような個人情報保護の理念を丸切り無視したような事件が起きているのを見ると、日本企業もテクノロジーを活用するには相応の責任が伴うという点を今一度意識すべきなのではないかと思ったりもする。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn