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NRI トップ ナレッジ・インサイト コラム コラム一覧 2020年DX書籍ランキング(2):デジタル時代の産業政策

2020年DX書籍ランキング(2):デジタル時代の産業政策

2020/12/25

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前回に続き、今年のDX関連書籍ランキングの第2回目だ。今回は「デジタル時代の産業政策」に関連する本を3冊紹介する。産業政策は非常に幅広い概念だが、今回注目したのは「デジタル経済における産業政策は、今までのアナログ経済における政策とどう違うのか?」という点である。一つの視点は「デジタル経済では『競争』はどのように行われているのか」であり、もう一つは「国策としてデジタル化を推進することの意味」である。そして、ちょっと視点は異なるが、「デジタル経済下で政策を立案する際のエビデンスのあり方」についてである。

第1位『デジタルエコノミーの罠』

■デジタルエコノミーの罠

[著]マシュー・ハインドマン
[翻訳]山形浩生
[発行日]2020年11月30日発行
[出版社]NTT出版
[定価]2,600円+税

本書は「デジタルエコノミー」に対するこれまで信じられてきた幻想を堅実なデータ分析によって覆し、現実のデジタルエコノミーは民主主義を支えてきた重要な社会基盤を破壊しかねない脅威になりつつあることを示した画期的な本である。

デジタルエコノミーの「幻想」とは次のような主張を指す。

  • ネットは流通コストを劇的に下げ、限界費用ゼロの経済構造をもたらした
  • ネットは物理的チャネルを無効化し、巨大企業も個人も平等な土俵で勝負できる競走環境をもたらした
  • ネットは多様なコンテンツを供給し、幅広い様々な価値観を社会にもたらすことができる

これらの主張はこれまで広く信じられてきたものだ。しかし著者は現実のネットのトラフィックデータを用いてこれらの主張が幻想であったことを示す。そして、現実のデジタルエコノミーは「コンテンツ流通には想像以上のコストがかかっていること」「データセンターやネット回線といったインフラへの投資が競争力を決める」「ネット上のコンテンツはますます均一化しつつあり、一方でフェイクニュースやデマを抑止することは難しくなりつつある」ことが明らかになる。

では現実のデジタルエコノミーはどのようなメカニズムを内包しているのだろう。著者はそのメカニズムを一つのキーワード、「粘着性(Stickiness)」で説明する。粘着性とは「人は一度訪れたサイトで満足すれば、そのサイトを再び訪れる」というごく当たり前の行動特性を指す。しかしこの何でもないような特性がデジタルエコノミーでは大きな差異を生み出すのである。

まず最も基本的な粘着性を生み出すのはサイトの反応速度である。サイトを訪れたときにコンテンツが表示されるまでの時間が短かければ短いほどいい。これも当たり前の話に聞こえるが、実はサイトの反応速度を上げるには実は莫大な投資が必要なのである。著者はGoogleが世界中に巨大なデータセンターを設置しているのが何よりの証拠だという。そう、ここでの反応速度はコンマ何秒、もしくはミリ秒を争う世界の話なのだ。この競争の勝敗を決めるのは技術力と資本力だ。

そして次に重要なのはコンテンツの鮮度である。訪れるたびに新たなコンテンツがあることがサイトの粘着性を高める。そしてこのコンテンツの鮮度にとって、実はコンテンツの「質」はほとんど寄与しない。ということは、例え内容は陳腐でも常に新たなコンテンツを用意できるサイトの方が有利になるということだ。そして、大量にコンテンツを生産できるのは資本力にものを言わせることができる大企業に有利に働く。

とどめがコンテンツのパーソナライズである。サイトを訪れた人に向けてその人が読みたい、見たいと思うコンテンツを常に提示できる方が、あれこれコンテンツを探し回るよりも有利なことは自明だろう。そしてこれは多様なコンテンツを用意でき、しかもその人が何に興味があるかに関するデータを大量に持つサイトに有利に働く。つまりビッグデータを持ち、そのデータを高度な分析で利用できる企業が有利になるのだ。

そしてこの粘着性は指数関数的な特性を持つ。当初のちょっとした差は足し算ではなく掛け算として作用する。1%の差は時間とともに拡大し1年後には数十%、数百%の差をもたらす。つまり、巨大な投資が行える企業にデジタルエコノミーは有利に働くのである。これは重厚長大産業というアナログ経済の世界で生じた「規模の経済」がデジタルエコノミーでも重要であることを示している。

実際、ネット上のトラフィックの大半がトップ10のサイトに集中しており、アメリカのネット広告の実に7割がGoogleとFacebookに集中しているのである。そしてこのメカニズムは日々ますます強化されつつある。

著者はこのデジタルエコノミーが独占・寡占に向かう本質的なメカニズムを豊富なデータをもとに実証してしまった。では、GAFAではない普通の企業はどうすればいいのだろうか? 著者は非常に厳しい提言をしている。それは「このメカニズムに全社を挙げて対応しないと生き残れない」というものだ。それまでの幻想に乗っかっている限り、いずれ待ち受けているのは「死」しかない。であれば自社のサイトの反応速度を上げ、コンテンツを大量生産するリソースを持ち、サイトのデザインを見直し、さらに顧客の嗜好を分析するデータサイエンティストを用意するしかないのである。しんどいですね。

筆者はこの本を読んで、実は「DX」とはこの「トラフィックを取り戻すための改革」なのではないかと思い始めている。そしてこれはかなり痛みを伴うものになるんだろうなと想像している。筆者のこの危惧を実感してもらうためにも一読して欲しい本だ。

第2位『デジタル化する新興国 ー 先進国を超えるか、監視社会の到来か』

■デジタル化する新興国 ー 先進国を超えるか、監視社会の到来か

[著]伊藤亜聖
[発行日]2020年10月21日
[出版社]中央公論新社
[定価]820円+税

著者は中国経済の研究者である。本書は中国に代表される急速なデジタルイノベーションの社会実装が進む新興国の現状と、その可能性、さらにはリスクを分析した本だ。

中国のモバイル決済の急速な普及や、東南アジアでの配車サービスの経済インフラ化、インドの国民全員に対する生体認証基盤の確立、そしてアフリカで進む農業などの社会課題を解決しようとするベンチャー企業の勃興など、現在新興国では先進国とは異なった形で社会のデジタル化が進展している。本書はその現在の姿のルポを提供するとともに、過去の発展途上国、新興工業国、新興国が経済成長を遂げた歴史を振り返ることで、今後の新興国におけるデジタル化がどのような社会をもたらすのかを見通そうとする。さらに、この新興国のデジタル化の進展に日本がどのように関わるべきかの仮設も提示してくれる非常に意欲的な本である。

著者による新興国のデジタル化の分析の仮説を端的に言えば、「新興国はその抱える社会的課題が深刻なため、デジタル化による問題解決が社会に与える影響は先進国よりも大きい。一方で、デジタル化は社会の変革の度合いが大きいため、プラスの影響を与える一方で新たな(もしくは既存の)社会的課題を生み出す(もしくは拡大する)リスクも秘めている」とでもなるだろう。

まずはデジタル化がプラスのインパクトをもたらした要因と、新興国でなぜデジタルの社会実装が素早く進んだのかについての分析が提示される。まずデジタル化が大きな恩恵を生み出した大きな要因として「プラットフォーム」の出現が挙げられている。新興国は法制度とその法制度の実効性を担保する社会インフラが脆弱なため、先進国と比較して経済活動に大きなコストが存在する。それが「信用・信頼」の欠如だ。常に取引相手が信用できるかどうか、支払いが円滑に実施されるか、契約違反による損害がきちんと補償されるかといった経済活動の取引コストは新興国では非常に高い。このことが経済活動の順調な拡大の足かせになっていたが、プラットフォームによってこの「信用・信頼」がシステム的に担保されたことの影響は非常に大きなものだ。

そして逆説的ではあるが、新興国でデジタルの社会実装が進んだ要因として、法制度や規制にあまりかっちりと固まっていない隙間があったことで、ベンチャーなどが現実社会で活発なデジタル化の試行錯誤が行えたことも挙げられる。この試行錯誤は党が絶大な統制能力を持つ中国でも実は活発に行われた。著者は中国におけるデジタルの社会実装の「手数の多さ」の遠因を鄧小平時代に確立した「経済成長を絶対的な是」とする社会運営方針にあったと喝破する。

加えて、新興国には「後発性の利益」がうまく機能した点も見逃せない。ソフトバンクの孫正義会長が唱えた「タイムマシン経営」を国単位で行うことができたのが新興国であるとすれば、「フロンティア創出型の先進国経済」よりも「キャッチアップ型の新興国経済」のほうが成長速度は早いだろう。このようなメカニズムが複合的に働いたことで、新興国では急速なデジタル化が進展しているのである。

一方で、デジタル化によるリスクもある。大きくは二つ、一つはデジタル化による雇用の変化である。ネットによって時間や場所にとらわれない柔軟な働き方が可能になる一方で、それまでは固定的な雇用契約に守られていた労働者は、徐々にフリーランス的なより流動的な雇用形態へと押しやられつつある。またAIに代表される新たなテクノロジーは、低スキルの労働者を代替してしまうことで雇用のパイ自体を大きく減らすかもしれない。もう一つのリスクはプラットフォームが巨大になりすぎることによる独占の弊害の可能性である。これは先進国でも同様の構図が問題として意識されつつあるが、プラットフォームが巨大になり、その事業範囲が様々な領域に及ぶことで(アリババグループやアマゾンを想像してもらえればいい)、新規のベンチャー企業が競争力では太刀打ちできなくなる事態や、既存の産業が巨大プラットフォームの低価格攻勢で産業ごと没落してしまうリスクが想定される。実効性ある規制インフラを持たない政府ではこのような巨大プラットフォームに対峙することは難しいのではないだろうか。

このようなプラス・マイナスの両面を持つデジタル化に対して、著者は先進国である日本(これは最近ちょっと疑問に思えてくることもあるが)が果たすべき役割があるという。一つは必要な社会インフラを整備するためのリソース援助であり、さらに先進テクノロジーの技術移転であり、そして課題先進国である日本によるアジェンダセッティング面での貢献である。確かにこのような貢献ができるのであれば、日本もまだまだ先進国の一員として胸をはれるだろう。

深センの視察ツアーにいくのも結構だが、まずは本書を読んで新興国のデジタル化の現状を俯瞰しておくことをおすすめしたい。

第3位『統計 危機と改革 システム劣化からの復活』

■統計 危機と改革 システム劣化からの復活

[著]西村淸彦、山澤成康、肥後雅博
[発行日]2020年9月17日発行
[出版社]日本経済新聞社
[定価]3,500円+税

ちょっと毛色の変わった本を紹介する。本書は日本の公的統計が実は危機的状況にあり、その改革が現在進行系で進んでいること、そして公的統計の抜本的強化がなぜ必要かについて詳述した本である。「産業政策」というテーマとはずれている印象を持たれるかもしれないが、実は信頼できる公的統計が存在しなければ、適切な産業政策を立案することはできないし、政策の効果を検証することもまた不可能だ。精度が高く信頼できる公的統計とは産業政策の基盤なのである。

日本の公的統計が危機的状態にあることの例示は枚挙にいとまがない。一つは国民経済のもっとも基本的な統計であるGDPの精度が低いことがある。GDPは四半期ごとに発表されるQEと、年次で発表される年次統計があるが、実は日本のGDP統計はQEと年次統計に大きなズレ、誤差が生じているのである。もっとも象徴的な例は2008年のリーマン・ショックの際のズレである。2008年7-9月期の実質GDP成長率は一次QEではマイナス0.4%だったが、一年後にはマイナス6.5%にまで下方修正された(確かときの財務担当大臣は「ハチが指した程度」と言って顰蹙を買いましたね)。同様の課題推計は一年後にも生じている。2009年7-9月期の実質GDP成長率(前期比年率)は一次QEではプラス4.8%だったが、一年後にはなんとマイナス2.3%に下方修正された。これでは適切な経済対策など打てるはずがない。

このような日本の公的統計の問題は構造的・リソース的な問題によって生じている。構造的問題として、公的統計の多くが縦割り行政のもと、各府省がバラバラに作成していることによって生じている。そしてもう一つのリソース問題は、公的統計の作成部署が長期にわたって縮小されてきたことである。経済の構造が変化し、それまでの製造業からサービス業に付加価値の源泉が移っていくなか、本来であればこの経済構造変化を捉えるべくリソースを拡充すべきであったのに、その点を軽視し、ある意味「コストセンター」として統計作成機能を縮小していったのである。

このように日本の公的統計は精度の面でも、求められる政策立案のための羅針盤としての機能の面でも求められる役割を果たせていない。政府もこの問題を深刻に受け止め、2013年から抜本的な公的統計の改革を進めてきた。道半ばとはいえ、この取組みは産業界も本気で後押しすべき課題だと思う。

そして、この「統計の軽視」は実は多くの民間企業でも見受けられる悪癖ではないかと危惧している。DXの掛け声はあちこちで聞かれるものの、DXはそもそもデータがないと成立しない。そしてデータは横断的かつ高度な分析に利用できて初めてその価値を発揮する。分析に利用できるデータをいかに整備するか、そして意思決定に資するレベルの分析結果を出せる能力をいかに構築するかがDXの本質的な要素だろう。その意味で、意思決定層の統計リテラシーの向上が日本のDXを考える上で実は一丁目一番地なのかもしれない。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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