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2020年DX書籍ランキング(4):デジタルワールドにおける経済学の活用可能性

2021/01/12

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前回に続き、2020年のDX関連書籍ランキングの最後の第4回目だ。今回は「デジタルワールドにおける経済学の活用可能性」と名付けた分野の本を3冊紹介する。以前、本コーナーで『Information Rules』を紹介した際に、近年テック企業に多くの経済学博士が就職しているという論文を紹介した。最新の経済学の理論やモデルを実際のビジネスに応用するのは世界的に見ると既に珍しいことではなくなっている。しかし日本の状況を見るに、日本企業は経済学の知見を自らのビジネスにあまり活用していないように見える。原因の一つは、日本のビジネスパーソンの持つ「経済学」に対するイメージが「古い経済学」のままとどまっているからではないだろうか。ここに挙げた本で、少しでも経済学に対する認識がアップデートされることを願っている。

第1位『進化するビジネスの実証分析 経済セミナー増刊』

■進化するビジネスの実証分析

[編集]経済セミナー編集部
[発行日]2020年4月
[出版社]日本評論社
[定価]1,600円+税

本書は経済学が実際のビジネスや政策のイシューに対して有効な分析ツールになっていることを示すものだ。タイトルに「進化する」とついているのは、近年経済学で起きた分析フレームワークの高度化が背景にある。世間に流布している「経済学」のイメージは未だ完全に合理的なプレーヤーが市場の需要・供給曲線を通じて何かやってるという姿のままかもしれないが、現在の経済学はそのような素朴な姿とは大きく異なっている。

現在の経済学の進化には次の4つの革新が関わっている。

  • ゲーム理論によって戦略的行動の分析が可能になった
  • 行動経済学の発展によって一見非合理な意思決定も分析できるモデルが整備された
  • 因果推定手法が整備されたことでより厳密な原因と結果の因果関係の分析が可能となった
  • 世の中の様々な経済活動がデジタルデータとして利用可能になり、これまで実証分析が行えなかった経済活動も分析の対象としてできるようになった

これらの革新が相まって、現在の経済学は実際のビジネスにおける意思決定をサポート可能なレベルに達しようとしている。例えば高度な価格戦略、ある市場への参入戦略・既存市場からの退出戦略、M&Aの効果分析といった領域で経済学はどんどん活用されている。また政策の現場でも、政策の効果分析から最適な政策の組み合わせや、カルテル・談合といった非競争的行為の検出や影響分析といった領域で経済学は不可欠な分析モデルを提供している。

本書は日本人の最前線の研究者が、現実のビジネス・政策の課題に対して実際に経済学のフレームワークを適用する見取り図を広く紹介している。

本書で紹介されているトピックから、日本の金融産業につながりうるものをいくつかピックアップしてみたい。

例えばChapter 7「個別取引データによるリテール決済需要の推定」では、現在乱立気味のキャッシュレス決済手段がどのように利用者に選択されるのかの基本的なモデルを提示している。この分析での一つの示唆は、仮にキャッシュレス決済の受け付けを事業者に義務づけたとしても、現金での決済は一定程度残るだろうといったものがあったりする。これは銀行にとってATMなどの現金インフラを今後どうしていくべきかの一つの指標となりうる。

また、Chapter 9「小売業の参入・立地・成長戦略」ではコンビニやスーパーマーケットのチェーン店舗の立地戦略が分析されている。日本では近年地銀が自らの商圏を超えて域外の大都市への支店進出を進めているが、この分析からこのような大都市商圏への参入に対する示唆が得られるだろう。

一方で、Chapter 10「衰退産業での退出戦略」では、アメリカの映画館産業の分析から、地域的に寡占状態にある市場でどのように振る舞うのが最適なのか(さっさと見切りをつけるか、それとも最後まで踏ん張って残存者利益を狙うのか)といった意思決定のモデルが得られる。このフレームワークは金融機関が支店網をどの程度維持すべきなのかといったチャネル戦略に応用することも考えられるだろう。

とはいえ自社の中にこのような高度な分析を行える人材はいないよ、というのが実際のところだろう。そのような中、実に興味深い組織が発足した。それは東京大学の経済学部が主体となって立ち上げた「東京大学エコノミックコンサルティング株式会社(略称:UTEcon)」だ。同社は研究成果を活用した様々な経済コンサルティングサービスを民間企業、政府、法律事務所等のクライアントに提供することを目的に2020年8月に東京大学の全額出資で設立された。UTEconは東京大学の教員やその他UTEconのエキスパートがメンバーとなり、需要予測、価格戦略、政策評価、機械学習に基づいた倒産や不正会計予測、マーケットデザイン、ナウキャスティング、独占禁止法等の法規制、計量・行動マーケティングなどを行うとなっている。

そして本書に寄稿している研究者の多くがこのUTEconに参画している。本書の内容に興味がを持たれた方は一度話を聞いてみてはいかがだろうか。

第2位『メカニズムデザインで勝つ ミクロ経済学のビジネス活用』

■メカニズムデザインで勝つ

[著]坂井豊貴、オークション・ラボ
[発行日]2020年8月12日
[出版社]日本経済新聞出版
[定価]1,600円+税

本書は株式会社デューデリ&ディールと慶應義塾大学の経済学部の坂井教授が開催している「オークション・ラボ」というワークショップの内容をまとめたものだ。タイトルの「メカニズムデザイン」とは聞き慣れない言葉かもしれないが、経済学の分野の一つであるオークション理論を活用することで、これまでの取引形態では取引が難しかった財やサービスの取引を可能にするための制度設計という意味だ。

オークションといえばサザビーズなどの美術品の取引や、卸売市場でのマグロのセリなどが思い浮かぶだろうが、実はオークションはもっと多様な領域で活用され始めている。一つ例を挙げるとすれば、アメリカなどで行われた周波数オークションなどは(もうだいぶ過去の話だが)オークション理論の新たな活用として代表的なものだろう。もう一つ挙げれば、ネット上で表示される広告枠のオークションもオークション理論のビジネス利用として有名だろう。

本書はオークション理論を現実のビジネスに活用するためのアイデアが数多く詰め込まれた本だ。本書で取り上げられるオークションの活用のコンセプトを一言で言えば「価格をそれが欲しいと思うお客さんに決めてもらう」というやり方だ。通常の取引では基本的に価格は供給側があらかじめ設定し、それに対して顧客はその価格が妥当かどうかを検討するという形態を取る。しかしオークションは顧客側が「自分がその商品に対していくらまでなら支払ってもいいと考えているか」を提示し、その中で最も高い価値を見出した顧客がその商品を獲得するという形態を取る。

実はこのオークションという方法はその商品の値付けが難しい商品にうってつけのやり方だ。その商品が唯一のものであって、他に代わりになるものがないような商品では特に威力を発揮する。代表的なものは不動産だろう。「不動産で重要なものは一に立地、二に立地、三、四がなくて五に立地」と言われるくらい、不動産の価値はその不動産がどこに存在するか、またどれくらいの規模や面積かに大きく依存する。そしてその不動産は唯一のものであることが多い。さらに、その不動産を活用するにあたって、ホテル業者にとっての価値とマンションデベロッパーにとっての価値は全く異なるだろう。このようにその商品が唯一であり、顧客にとっての価値が様々に考えられるような商品の取引ではオークションは非常に相性がいい。

本書で取り上げられるビジネス活用のアイデアを列挙すれば、「不動産取引」「暗号通貨の取引」「複数の商品を組み合わせたオークション」「多数の参加者同士の間で行われるマッチング」「参加者にとって最適な選択肢を選べる投票制度」などである。それぞれのオークションのやり方の詳細は本書を読んでいただくとして、この本を読むと自分のビジネスでもオークションが活用できないかと想像するのは非常に楽しい作業だ。

例えば個人向けの融資にオークションは使えないだろうか。中国で始まった個人の信用情報スコアリングは日本でもいくつかの事業者がサービスを提供している。現在はサービス提供者が登録者の信用状態を判断して独占的に融資サービスを提供する形態をとっていることが多いが、これがFICOスコアのように広く共有されたらどうだろうか。融資を提供する側はそれぞれの信用スコアを参照しつつ、さらにそこに自社独自のスコアリングを組み合わせることで、融資のオファーを出すというような「融資オークション」は考えられないだろうか。

また例えば新卒で入社した新入社員の配属を決める際に、マッチングアルゴリズムが活用できないだろうか。望まない配属で辞めてしまうという第二新卒というお互いにとっての不幸を少しでも減らせるなら一考の価値があるだろう。

ワークショップでのやりとりを素材としているので扱っている内容にもかかわらず、本書は非常に読みやすい。オークション理論の入門書として最適だろう。

ついでに、経済学部で学ぶ内容も近年は大きく変わっている。現在の経済学部のカリキュラムを疑似体験できるのが『経済学を味わう—東大1、2年生に大人気の授業』編:市村英彦・岡崎哲二・佐藤泰裕・松井彰彦(日本評論社)だ。こちらもあわせて紹介しておきたい。

第3位『経済学を知らずに医療ができるか!? 医療従事者のための医療経済学入門』

■経済学を知らずに医療ができるか!?

[著]康永秀生
[発行日]2020年8月発行
[出版社]金芳堂
[定価]2,400円+税

本書は「医療従事者のための医療経済学入門」と銘打っているが、実は現実の社会に対して経済学がどのように関わりを持っているのかを効率よく知ることができる良書だ。医療経済学の目的は(というか経済学の目的でもあるのだが)「社会全体での医療資源(医療従事者などの人的資源、医療施設・医療機器・医薬品などの物的資源、医療情報など)の最適な配分のあり方を分析・考察し、医療現場や医療政策に役に立つ示唆を与えること(本書 p.iii)」である。

本書は経済学を全く知らない読者層向けに書かれている。まず基礎編として、冒頭で高校レベルの経済学の基礎知識が簡潔に整理されている。当然ながら経済学の全体をカバーすることは無理だが、社会福祉領域における経済学の重要概念は一通り学べるようになっている。ついで日本における現在の医療介護制度の概要がまとめられており、社会人として知っておくべき内容となっている。

そして応用編として日本の医療制度が抱えている課題が列挙され、それぞれの課題がどのような背景を持っているのか、そして課題に対してこれまで行われてきた取り組みとその限界が整理され、そして医療経済学の立場から進むべき方向性が示される。挙げられている課題として例えば「医療費の増大に対する抑制策」「過剰な検査・治療・投薬への対処」「医療資源の偏り」などがある。

その中でも現在進行中の問題に対して示唆に富む内容がある。新型コロナウイルスが猛威を振るう中、とうとう恐れていた医療崩壊が現実のものとなった。しかし、本来日本は人口あたりの病床数はそれなりにあったはずである。ではなぜこのような状況に至ってしまったのか。その背景を知るには、本書の「多すぎる病院問題(医療リソースの過度な分散)」、「地方における医師不足問題」、また「医療の質の維持を無視した医療費抑制政策の問題」などが参考になるだろう。

冒頭の医療経済学の目的にある通り、経済学とは「希少なリソースを最も効果があるように最適な配分を達成すること」を目指した学問分野である。この経済学の基本概念は実に幅広い分野で活用すべきものだと個人的に思っている。その意味では、本書のようなコンセプトの本はもっと多くの分野で出版されて欲しいなと思う。ぜひ出版社は「経済学を知らずに○○ができるか⁈」としてシリーズ化してほしい。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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