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2021年後半から2022年にかけての良書(1):NFT・Web3への幻滅とメタバースへの期待

2023/09/14

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実はこの書評コラムは2021年後半から2022年一杯は開店休業状態になってしまっていた。その理由(言い訳とも言う)をちょっと書いておこうかとふと思い立った。筆者の恥をさらすようで若干気が引けるのだが、本読みの奇妙な生態のサンプルとしてご笑覧いただきたい。

シリーズというわけではないが、ギャップをいくらかでも埋められるといいなと思っているので、この空白期間にタイムリーにご紹介できなった良書を、遅ればせながら紹介していきたいと思っている。

NFTとWeb3関連本の惨状

正直に言えば、この空白時期も相変わらず本は読んでいたし、良書もたくさんあったのだが、なぜかここに書くべき本がうまく思い浮かばなかった。なぜならこの時期、筆者は本業でNFTやメタバース、Web3といった領域を追いかけていたからだ。そしてこれらの領域に関して出版された本はそれなりに読んだつもりだが、皆様にお勧めすべき良書があまりに少ないことにちょっと絶望もしていた。特にNFTやWeb3界隈は悲惨だった。実際今でも重版されているNFTやWeb3の本なんて一冊もないんじゃないだろうか。

まず大前提として、筆者は、弊社が発行している金融ITフォーカスの2022年10月号の『NFTにまつわる「誤解」』で表明したように、NFT自体は「現状のやり方に課題はあるものの、これら課題を解決できるのであればネット上のコンテンツ流通に革新をもたらすのではないか」との評価をしている。なので、筆者は決してNFT否定論者ではない(とはいえ積極推進派でもないが)。

ただ、この時期に出版されたNFT関連本は正直読むに耐えなかった。自分が読んだ何冊かのNFT本のすべてが技術的な説明、そして法的な解釈が間違っているか怪しいものしかなかった。こういうときの徒労感は結構重たかったりする。時間返せ!

同様に「Web3」とタイトルに銘打った本もほとんどがひどいものだった(なんとなく予想はしてたんですけどね)。そもそも「Web2.0」の後継としてのコンセプトであるなら、なぜ「Web3.0」と呼称しないのか?という当たり前の観点すらスルーする本など読むに値しない。わざわざ「Web3.0」というコンセプトを捨てて「Web3」と呼ぶようになったのかの背景説明すらない本がほとんどだった。

当然、先のダメなNFT本同様、技術的な説明には間違いが散見され(そもそものコンセプトが理解できてないんだから当たり前ですがね)、語られるのは無根拠なブロックチェーンによるハッピーな未来だけ。普通筆者は気になった本はとりあえず買っておくタイプなのだが、Web3本は最初に2冊ほど買っただけで、あとはご遠慮させていただいた。なのでWeb3関連本は2冊しか手元にない。そしてこの二冊も、紹介すべきような本ではない。というわけで紹介もできない。ご了承ください。

本コラムは良書を勧めることをコンセプトにしているので、「この本はひどかった」というネガティブ書評は書かない。ただ書店で「NFT」とか「Web3」とかのタイトルの付く本のほとんどは読む価値がないと思っている。例外があるのであればぜひお知らせいただきたい。

さて、メタバースはいずれ来ますよ

一方、NFTやWeb3と同時に盛り上がったメタバースのほうは、メタバース内のバブルを差し引いても、「人類が新たなコミュニケーション手段を手に入れるかも」という未来を冷静に分析している良書がいくつか見つかった(駄本のほうが当然多かったのだが)。なので、メタバースについての良書だけを今回は3冊ほど紹介したい。

■メタバース進化論

[著]バーチャル美少女ねむ
[発行日]2022年3月発行
[出版社]技術評論社
[定価]1,980円(税込)

本書は実際にメタバースの黎明期から現在に至るまで実際にメタバース上でバーチャル美少女として活動している「ねむ」氏によるメタバースの現場からのミクロな詳細な報告と、マクロな視点からの分析、未来予想、目指すべきビジョンが一体化した稀有な良書だ。

ねむ氏はメタバースを人類の新たなコミュニケーションプラットフォームと位置づける。そこでのキーワードは「解放」だ。メタバース上のアバターは年齢も性別も人種も性別も社会的な地位もすべてが「解放」される。さらにいえば地域や時間といった時空的な制約からも解放される。

この「解放」の快感は実際に経験してみないとわからないかもしれない。しかも、ただ「解放」されるだけではなく、自分を「好きな姿・キャラクター」に設定できるのだ。ねむ氏はこの「解放」とその先の自己設定を「アイデンティティをコスプレする」と表現する。このフレーズに出会ったときに筆者は目からウロコが10枚くらい落ちた気がする。

さて、ねむ氏はこの本だけでなく現実世界(?)でもメタバースの現状と発展に関する情報発信を様々に行っている。最も大規模なものが「ソーシャルVR国勢調査」だろう(これは2021年の最初のもの)。つい最近2023年の「VR国勢調査」を開始したようなので、この結果も楽しみだ。

ねむ氏は本書で「人類にとってメタバースの普及は必然であり、人類のさらなる進化を後押しする存在だ」とする立場から様々な展望を描いている。さんざん大企業主導の新技術が描く「美しい未来像」が失敗してきた姿を見続けてきたことでちょっと冷笑的な性格になってしまった筆者としてはすべての意見に賛同できるわけではないが、本書は読めば読むほどなぜか元気が出るし、明るい未来を考えたくなる。筆者はあまり使わないようにしている表現の「騙されたと思って一度読んでほしい」と言いたくなる本だ。

■メタバース×ビジネス革命

[著]西田宗千佳
[発行日]2022年12月発行
[出版社]SBクリエイティブ
[定価]1,650円(税込)

先の『メタバース進化論』が楽観論とするのであれば、こちらは現実派とでも呼べる本だ。著者の西田宗千佳氏は「メタバースはいずれくるけど、今じゃないよ」というスタンスを冒頭で明確に表明する。なぜなら環境がまだ整っていないからだ。ただ、この本のメッセージを一言で言えば「メタバースは5-10年後には実現してる可能性が高いよ。それに備えとかないとまずいよ」となる。

本書の特徴はメタバースに必須のVR(バーチャルリアリティ)を体感するために必要なゴーグルといったデバイスの性能の現状と将来見通しを冷静に分析している点、そしてそもそものVRの世界に魅力的なコンテンツ(「世界」と言ってもいいかも)をプラットフォームがどこまで用意できるのかという点、つまり技術と投資の両面を冷静に分析している点だと言える。

プラットフォームビジネスはよく「鶏と卵」に例えられるように、「ユーザが増えないとコンテンツは増えない、コンテンツが増えないとユーザは増えない」という宿命を負っている。この宿命を乗り越えられるポイントはいつなのか、超えられる事業者は誰なのかがこの先の重要な論点になってくるだろう。それがGAFA的な存在なのか、まったく新しい彗星が登場するのか、それは筆者の能力では予測できるはずもない。ただ、最近日本企業が散発的に取り組んでいるメタバース上でのチャチなマーケティングの延長線上にこの未来は存在しないだろうなという確信はある(皆さん「セカンドライフ」で何を学んだんでしょうね?)。

「メタバース」というフワフワしたテーマに対して、ここまで地に足の付いた考察を出してくれた著者の分析力に舌を巻くばかりだ。

■ザ・メタバース

[著]マシュー・ボール
[翻訳]井口耕二
[発行日]2022年11月10日発行
[出版社]飛鳥新社
[定価]2,750円(税込)

400ページを超える大著だが、メタバースが実現するための要素技術の必要十分条件を見通させてくれるありがたい本だ。「ネットワークの帯域」「コンピュータの処理能力」「サーバ側の演算能力」「ゴーグルなどのユーザ側のハードウエア性能」「異なるメタバース同士の相互運用性(データの標準化)」といった、メタバースが本格普及するには乗り越えなければいけない諸々の課題がきちんと整理されている(ただ当然ながら「将来はこうなる!」といった断言はしていない。あくまで予想にとどめているのがさらに好感がもてるポイントだ)。

本書のメッセージを端的にまとめるのは難しいのだが、上記2冊と共通するのは「いや、メタバースはいずれくるっしょ」という楽観論というか信念だろう。

もう一方で本書には「メタバースが私企業によって運営される」ということへの危機感が非常に強く出てくる。メタバースはユーザのすべての行動をアルゴリズムで管理できる社会でもある。そこに営利企業の論理が全面に出されれば、ユーザはすべての行動を「広告」を見るために最適化されてしまうかもしれない。

著者はメタバースは「人々の距離を縮めるチャンス、世界経済の格差を減らすチャンスなのだ」と唱える。もしこの意見が正しいのであれば、そのような「理想郷」が企業の一方的な思惑で左右されることは全力で避けるべきだろう。ただ、メタバースに関して、現時点ではこの懸念はなかなか回避できないのでは?と思わざるを得ない状況なのも事実だ。

我々はインターネットで良くも悪くも新しい世界を手に入れた。しかし明確な管理者がいないインターネットは、一方では様々なプレーヤーの力関係で一夜にしてそれまでの秩序が新しい秩序に変わってしまう世界でもある(Yahoo!とGoogleの入れ替わりとか)。そういった新陳代謝にはメリットもデメリットもあるが、独占的な構造になるのがまずいことは経験的にわかっている。しかし実際は、我々は国境があるようでないインターネットという空間の統治をどうやって行うべきかという課題に、実は真剣に向き合ってこなかったのではないだろうか。

そのような経験をしてきたインターネット老人会の一人としては、次なる「新しい世界」になるかもしれないメタバースを一部の私企業の管理下に置くのか、それともより民主的な仕組みのもとで分散した管理が行われるのかといった点は非常に気になるところだ。

最後にインターネット老人会からのメッセージを。

「備えよ、常に(Be prepared)」

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    エキスパートリサーチャー

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