&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

中東情勢緊迫化を受けて金融市場は「いいとこどり」に

イスラム組織ハマスによる7日(土)のイスラエル攻撃を受けて、世界の金融市場はリスク回避傾向を強めている。

週明け後の9日(月)の米国債券市場は休場であったため、中東情勢緊迫化を受けた米国債の反応は、10日(火)の東京市場に大きく表れた。米国10年国債利回りは、前週末の4.8%台から一気に4.6%台に低下した。11日の東京市場では4.5%まで低下した。5%超えの可能性は遠のいたのである。

地政学リスクの高まりを受けて、安全資産である米国債がリスク回避傾向の下で買われるのは自然な流れだ。しかし、中東情勢緊迫化を受けて原油価格は上昇している。戦闘の長期化、拡大やイランの原油生産に対する米国の制裁強化、あるいはサウジアラビアの原油生産の姿勢によって、原油価格はさらに上昇する可能性もある。これは、ようやく山を越えつつある世界の物価高騰の状況を、再び悪化させかねないだろう(コラム「 中東情勢緊迫化と原油価格上昇:対ロ制裁の効果を低下させる可能性も 」、2023年10月10日)。

原油高は、インフレリスクの高まりや、米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げを後押しする。この面からは、米国債が売られ、長期国債利回りを上昇させる要因である。ところが、米国債市場は、地政学リスクの高まりを受けたリスク回避、という要因のみを反映して買われている感がある。

また、地政学リスクの高まりを受けたリスク回避傾向は、リスク資産である株式には逆風であるはずだ。また、原油価格の上昇は経済に悪影響をもたらすことから、これも株式市場全体にはマイナスだ。ところが、足もとで株価は上向いている。長期国債利回りの低下というプラス材料に主に反応しているのである。

このように、債券も株式も中東情勢緊迫化の良い影響だけに反応する、いわば「いいとこどり」の様相を強めている。この状態は、長くは続かないのではないか。

日本では円安、長期国債利回り上昇が一服し当局が危機を脱する助けに

中東情勢は緊迫化したが、その影響を受けて危機感がむしろ緩んでいるのは、日本の通貨当局だろう。イスラエル攻撃の直前には、米国10年国債利回りは4.9%近くと5%の水準が目前にまで迫っていた(コラム「 米国債メルトダウン:米国10年国債利回り5%に強い違和感 」、2023年10月5日)。その影響から、日本の10年国債利回りも0.81%まで上昇していた。このまま上昇を続け、日本銀行のイールドカーブ・コントロール(YCC)の事実上の上限である1.0%まで達すれば、日本銀行は毎営業日指値オペなどを通じて大量の長期国債の買い入れを強いられる。あるいは、10月30日・31日の次回金融政策決定会合で、10年国債利回りの変動幅の上限引き上げあるいは撤廃など、さらなるYCCの運営柔軟化の実施を余儀なくされる可能性もあり得た。

しかし、米国10年国債利回りの低下を受けて、日本の10年国債利回りも足元で0.77%程度まで低下している。10年国債利回りの表面的な変動の上限である+0.5%と事実上の上限である+1.0%の中間程度の水準まで戻り、とりあえず危機を脱した形である。YCCの枠組みは安定感を取り戻した。これも、中東情勢の影響と言える。

さらに、10月3日のニューヨーク市場では、ドル円レートが一時150円台に乗せた。その直後に147円台を付けるなど、激しい動きを見せ、日本の当局による円買いドル売り介入が実施された可能性も指摘された。

ところが、中東情勢の緊迫化を受け、リスク回避で米国長期国債利回りが低下すると、ドルは軟化した。また、地政学リスク上昇によるリスク回避傾向は、円高要因でもあることから、ドル円レートは148円台まで円が巻き戻されたのである。

日本政府は、1ドル150円を第1防衛ラインにしていると考えられるが、それが破られるリスクがいったん遠のくこととなった(コラム「 1ドル150円の第1防衛ラインを突破して円安が進行:為替介入が実施されたか 」、2023年10月4日)。

このように、日本の通貨当局にとっては、中東情勢の緊迫化は危機を脱する助けとなったのである。

原油価格上昇は大きなリスク

それでも、中東情勢が一段と悪化すれば、原油価格が大きく上昇し、日本の物価上昇率の低下を阻むことになる。現在、政府はガソリン、電気・ガス代補助金の延長など物価高対策を中核とする経済対策を策定中である。仮に原油価格が大きく上昇すれば、それは物価高対策の効果を損ねてしまうだろう。

16か月連続で実質賃金は前年比で低下を続けるなかでも個人消費は比較的安定しているが、原油価格上昇が物価上昇率を押し上げ、実質賃金がプラスとなる期待が遠のけば、個人消費は下振れる可能性もあるだろう。それは、内閣支持率の低下にもつながりかねない。

また、原油価格上昇は物価上昇率を押し上げる一方で、景気には下振れ要因となることから、日本銀行の金融政策運営もより難易度が増し、その不確実性の高まりが金融市場のボラティリティを高める事態ともなりかねない。

中東情勢の緊迫化を受けた金融市場は「いいとこどり」の様相を強め、また日本の通貨当局にとっては危機回避のきっかけを与えてくれている。しかし、中東情勢の一段の緊迫化が原油価格の大きな上昇をもたらす場合には、日本経済そして世界経済にとっては新たな脅威となっていく。それは政治の不安定化にもつながる大きなリスクであることは疑いがない。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。