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日米関税交渉に臨む日本側の戦略

日本時間の4月17日朝に日米関税交渉が始まった。トランプ政権は他国に先駆けて日本と関税交渉を行うことを決めたが、これは、同盟国である日本を重視し、関税率の引き下げに積極的に応じる準備があることを意味するものでは必ずしもないだろう。日本が真っ先にトランプ政権との関税交渉を申し出た、いわば下手に出たことを評価したに過ぎないのではないか。日本との交渉に早期に応じることを通じて、米国に報復関税を打ち出した中国への対応との差を見せつけ、中国や中国に続いて米国への報復関税を検討する国を牽制する意味もあるのではないか。
 
交渉を担当する赤澤経済再生担当相が想定している交渉の段取りは、以下のようなものではないかと推察される。第1に、日本が対米投資を積極的に行っており、今後も投資を積み増す考えであることや、米国からのLNGの輸入を拡大する考えを伝える。これは、2月の日米首脳会談で石破首相がトランプ大統領に説明したことの単なる繰り返しだ。
 
第2は、トランプ政権が、日本の米国製品の輸入を阻む非関税障壁としているものについて、改善に向けた努力をする方針を示す。
 
第3は、そのうえで、日本貿易を巡る米国側の誤解をやんわりとただすことだ。それは、トランプ政権が指摘する、「コメの関税率700%」、「日本は円安政策をとっており、それが非関税障壁になっている」、「米国車が日本で走っていないのは、厳しい安全・環境基準や日本車に有利な補助金制度のせい」といったことだ。
 
第4は、トランプ政権の考えや日本への要望を聞き、日本に持ち帰り、次の交渉に向けた戦略を練る。
 
貿易赤字額で国別に見て7位、輸入額で5位の日本に対しては、トランプ政権が安易に関税率の大幅な引き下げに応じるとは思えない。トランプ大統領の貿易赤字削減に向けた意思は非常に固いだろう。
 
トランプ政権が日本への関税率を大きく下げるのは、日本が、2024年に8.6兆円に達した対米貿易黒字を短期間で解消する「驚くような提案」をする場合だけではないか。しかしその際には、日本のGDPは直接効果だけで1.4%も低下し、甚大な悪影響が日本経済に生じてしまう。それであるなら、日米関税交渉をやめて、今の関税率を受け入れる方がましだ。
 
トランプ政権に対して中途半端な譲歩案を示しても、それは大幅な関税率の引き下げを引き出す取引にならず、譲歩が無駄に終わってしまいかねない。この点から、日本は安易な譲歩をしないということが、重要なのではないか。そして、関税による物価高、景気悪化などが米国で明確に表れ、米国国民がトランプ政権の関税策への批判を強め、来年の中間選挙への悪影響を回避するために、トランプ政権が関税策全体を縮小方向で見直すのを、日本は待つことが得策ではないか(コラム「日米関税交渉:日本は拙速に大幅譲歩するのは得策でない:世界の自由貿易を守る役割を果たすべき」、2025年4月14日)。その時期は、最短で4~5か月ごと見ておきたい。

トランプ大統領の参加で初回の日米関税交渉の行方には不確実性が一気に高まる

ところで、日米関税交渉の直前になって、トランプ大統領が交渉に直接加わる考えを明らかにした。これは、トランプ大統領が日米交渉を重視していることの表れ、との解釈もある。しかし、これも中国などを牽制するためのパフォーマンスかもしれない。
 
トランプ大統領が参加することで、初回の日米関税交渉に不確実性が一気に高まったことは確かだろう。上記のような段取りを通じて、日本側は米国側とできるだけ軋轢を生じさせない形で日米関税交渉をスタートさせることを狙っているとみられるが、トランプ大統領によってその計画が大きく狂ってしまう可能性もあるだろう。
 
トランプ大統領は、交渉の冒頭から「日本は米国を長い間だまし続けてきた」などと日本を強く批判するかもしれない。さらに、関税交渉と分けて行うはずの為替の議論を始め、日本の円安政策を強く批判する、あるいは米国のドル安誘導策に日本が協力するように求める可能性もあるかもしれない(コラム「日米為替協議:マールアラーゴ合意(プラザ合意2.0)の布石か」、2025年4月16日)。
 
このような展開となった場合、赤澤経済再生担当相は防戦に追い込まれ、今後もトランプ政権に押され続ける形の交渉スタイルが、初回で方向づけられてしまいかねない。
 
重要なのは、日本側が安易に米国側に譲歩しないことである。さらに、トランプ関税は不当なものであるとの正論を赤澤経済再生担当相がトランプ大統領に直接ぶつけることができれば大いに評価したいが、実際にはそれは難しいだろう。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。