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日米合意は日本の対米貿易黒字解消に十分な成果を上げない見込み

8月11日付の日本経済新聞に、ベッセント米財務長官との単独インタビューが掲載された。ベッセント財務長官は、関税政策の目的は「国際収支のバランスを取り戻すことにある」とした。米国の貿易赤字が解消に向かうなど国際収支のバランスが改善することが確認されれば、将来的に相互関税率を引き下げる、あるいは撤廃する可能性もあることを示唆した。
 
しかし、日米合意の内容では、日本の対米黒字額(米国の対日赤字額)は解消されることはなく、2024年の対米貿易黒字を半減させる程度にとどまると試算される(コラム「日米関税合意は対米貿易黒字を6.2兆円削減する計算だが黒字解消には至らない:トランプ政権による対日圧力はなお続く」、2025年7月24日)。
 
特に5,500億ドルの巨額の対米投資計画を評価して、トランプ大統領は日米関税協議で合意を受け入れたと考えられる。しかし、需要増加を生じさせる対米投資の拡大は、輸入増加を通じて短期的には日本の対米貿易黒字(米国の対日赤字額)を拡大させてしまう可能性がある。
 
日米合意が、トランプ政権が最優先とする日本の対米貿易黒字(米国の対日赤字額)解消に十分な成果を上げないことを認識すれば、トランプ大統領は日本への相互関税を引き上げる可能性も残されているのではないか。

トランプ大統領は関税政策からドル安政策に軸足を移していくか

為替政策についてベッセント財務長官は、「ドルを基軸通貨として維持する政策という意味での強いドル政策を目指す」と説明した。ベッセント財務長官は以前、ドル高の修正を掲げていたことを踏まえると、やや見解を修正したようにも見える。
 
しかし円については、「日本銀行が物価上昇に対処して利上げを進めれば円安相場は反転する」との見方を示した。これはドル安円高への期待を表明したものと解釈できる。米財務省が6月に発表した半期に一度の為替報告書は日銀の利上げによる円安是正効果を評価していた(コラム「米国為替報告書は日銀の利上げによる円安是正効果を評価:ベッセント財務長官のFRB議長起用でトランプ政権の政策は関税からドル安に軸足を移すか」、2025年6月13日)。
 
ベッセント財務長官はドルの基軸通貨としての地位を維持することを以前から重視しており、その考えは変わらないだろう。しかしトランプ大統領は、関税による米国の貿易赤字解消が難しいことを認識すれば、ドル安政策を通じた貿易赤字削減に着手する可能性があると考えられる。当初は関税政策に反対していたベッセント財務長官がトランプ大統領の関税政策を大統領選挙中に受け入れざるを得なかったように、ベッセント財務長官はトランプ大統領のドル安政策もしぶしぶ受け入れる可能性も考えられる。

FRB次期議長にウォラー氏が有力との報道

ドル安政策の手段としては、プラザ合意の時のように為替介入ではなく、金融政策が主に使われることが考えられるだろう。トランプ大統領が日本銀行の金融政策に直接影響を与えることは難しいが、米連邦準備制度理事会(FRB)への利下げ要求やFRB次期議長の人事を通じて、FRBの政策に影響を与えることが容易だ。

2026年1月の任期満了を前に辞任したFRBのクーグラー理事の後任にはミラン米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長が指名された。ミラン氏は上院で承認されれば、連邦公開市場委員会(FOMC)で利下げを主張し、利下げに慎重な姿勢を維持してきたパウエル議長を揺さぶることになるだろう。ミラン氏はクーグラー理事が残した2026年1月までの短期の任期となるが、その後には、2026年5月に任期を終えるパウエル議長の後任候補となる人物がまず理事に指名され、5月に議長職に就く可能性がある。

パウエル氏の後任候補には、FRB理事のクリストファー・ウォラー氏が有力とする報道がされている。それ以外に、ケビン・ウォーシュ元FRB理事、ケビン・ハセット国家経済会議(NEC)委員長、いわゆる2人のケビンも候補であるとトランプ大統領は発言している。

FRBの政策信認低下とドル安が進むか

インタビューの中でベッセント財務長官は、トランプ大統領のパウエル議長に対する執拗な利下げ要請は、彼の意見の表明に過ぎず、FRBへの政治介入ではない。それゆえ、FRBの独立性は維持されると語っている。しかし、大統領がFRB議長の人事権を握っており、自身に忠実で、利下げに前向きな人物を後任に充てる考えでいる限り、政治介入は強まる方向にある。
 
ベッセント財務長官が仮に反対しても、トランプ大統領はFRBに大幅な利下げを実施させ、それを通じて貿易赤字の削減に貢献するドル安政策を進める可能性が考えられる。政策金利の大幅低下に、FRBの信認低下、関税による貿易赤字解消への期待の後退という3点が重なれば、為替市場では顕著なドル安が一時的にせよ引き起こされる可能性があると見ておきたい。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。