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利上げの提案は出たが総裁の慎重姿勢は変わらず

日本銀行は9月19日に開かれた金融政策決定会合で、事前予想通りに政策金利の据え置きを決めた。しかし、2人の政策委員がそれに反対し、利上げを提案した。また、保有するETF、J-REITの売却を実施することが決定され、予想外の波乱の会合となった。
 
会合後の総裁記者会見で最も重要だったのは、関税の影響が米国経済、そして日本経済に与える影響について、植田総裁は引き続き慎重な姿勢であることが確認できた点だ。総裁、副総裁など執行部が引き続き追加利上げに慎重なのであれば、次回10月の会合で利上げが実施される可能性は高くないだろう。利上げを提案した2人以外に、同様の姿勢を示す委員も見当たらない。
 
対外公表文にはリスク要因として、「海外の経済・物価動向を巡る不確実性は高い状況が続いており」と8月の展望レポートで用いられた文言が踏襲されている。これは、次の会合では利上げはしないというメッセージと考えられる。
 
関税が日本経済に与える影響は大きく顕在化していないが、植田総裁が注目するのは、関税が米国経済に与える影響だろう。関税が足元の雇用情勢を明確に悪化させているように見える一方、設備投資は比較的堅調を維持しており、米国経済全体はなお底堅い、との見方を植田総裁は示している。
 
しかし、関税の影響は既に輸入物価の大幅上昇をもたらしている。これが消費者物価に転嫁されれば、個人消費が下振れ、米国経済全体が大きく減速する可能性もでてくる。そうしたリスクが高まるかどうかを見極めるためには、もう少しデータを確認する必要がある、というのが植田総裁の考えだ。この点を踏まえても、10月の次回会合で利上げが決定される可能性は高くないのではないか(コラム「政策金利据え置きに反対し政策委員2名が利上げを主張:日銀の利上げ再開をなお阻む3つの壁」、2025年9月19日)。

ETF、J-REITの売却決定も出口戦略の最終形ではない

ETF、J-REITの売却決定について、突然の発表となった背景についての質問が記者会見では相次いだ。植田総裁は、株価が大きく上昇していることを踏まえて売却を発表した、との見方を否定した。そして、7月に銀行から買い取った株式の売却が終了したことが今回の決定時期に影響しており、株式売却で得られた知見をETF売却に活かす考えを示した。
 
それほどの知見が蓄積されたかどうかは不透明だが、株式の売却を続ける中でETFの売却を開始すれば、株式市場に悪影響が及ぶ可能性があり、それには配慮したのでこの時期の決定となったのだろう。また、市場が大きく反応してしまう可能性があるため、事前にETF、J-REITの売却の可能性を市場に伝える(ガイダンス)ことが難しかったと植田総裁は説明した。
 
日本銀行が発表したETF、J-REITの年間売却ペースに従うと、売却が完了するまでに100年以上かかる。植田総裁は100年以上をかけて売却するつもりであるとした。株式市場に悪影響を与えないことを最優先に、市場売却を進める考えだ。
 
国債についてもそうだが、市場への影響を配慮すれば、相当な時間をかけなければ日本銀行が買い取った資産の処理は終わらない。これは異例の金融政策の大きなコストの一つであり、それに見合う大きな効果が得られたとは思えない。
 
ただし、100年以上かけないと終わらないETF、J-REITの売却は、出口戦略とは言えないのではないか。今回はマイナス金利解除、国債保有の削減に続き、ETF、J-REITの売却に着手したことをアピールするものであり、最終形としてのETF、J-REITの出口戦略は後に実施される可能性があるように思える。
 
ETFを長く持ち続ければ、株価が大きく下がる局面では日本銀行が債務超過に陥るなど、日本銀行は大きなリスクを負う。そうしたリスク資産を100年以上持ち続けることは、財務の健全性、通貨の信認維持の観点から、日本銀行としては容認できないのではないか(コラム「日銀ETF買入れ10年と将来の処理スキームの展望」、2020年12月14日)。
 
例えば政府と調整した上で、特別立法による政府保証付きの受け皿機関を日本銀行が設立し、そこにETFを移管するとともに、その機関が発行する政府保証債を日本銀行が買い入れる形でバランスシートを健全化するような枠組みを、日本銀行は考える可能性がある。植田総裁の任期中にも、そうしたETFの出口戦略の最終形が示される可能性を見ておきたい(コラム「日銀がETF、J-REIT の売却を開始:正常化に着手するも最終形ではない」、2025年9月19日)。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。