第1次オイルショック時の経験を振り返る
イラン情勢を受けた原油・ナフサの供給不足への懸念や価格高騰は、「令和のオイルショック」とも呼べる大きな衝撃を日本の経済・社会にもたらしている。現時点では1970年代の第1次オイルショックほどの経済的打撃ではないものの、時間の経過とともに原油・ナフサの供給不足懸念が強まっていき、各種製品の価格上昇の動きが広がっていくことが予想され、そうなれば経済、社会生活への影響は非常に甚大となり得る。
令和のオイルショックに対する当面の対策やそれからどのような教訓を得て、今後の日本経済の成長に活かしていくのかなどについて考える上では、第1次オイルショック時の経験を振り返ることが有効だろう(図表)。
令和のオイルショックに対する当面の対策やそれからどのような教訓を得て、今後の日本経済の成長に活かしていくのかなどについて考える上では、第1次オイルショック時の経験を振り返ることが有効だろう(図表)。
図表 第1次オイルショックと令和のオイルショックの比較


オイルショックを生んだ国際情勢の類似点と相違点
第1次オイルショックは、イスラエルとエジプト・シリアを中心とするアラブ諸国との間で起きた、1973年10月の第四次中東戦争を契機に生じた。その際、アラブ産油国は、イスラエルを支援した欧米諸国に対して、原油の減産や禁輸を実施した。原油を外交・政治の手段として用いたのである。
米国と軍事同盟関係にあり、またイスラエルとの国交を維持して明確にイスラエルを非難していなかった日本も当初は「イスラエル側」と見なされ、原油の禁輸対象国に含まれていた。
そこで日本政府は外交方針の転換を決断した。1973年11月に政府はイスラエル軍による占領地からの撤退と、パレスチナ人の権利尊重を明確に支持した。これは、日本政府として初めてイスラエルを名指しで批判した声明であり、これを受けてアラブ諸国は、日本を全面禁輸の対象から外す判断をした。
この日本のアラブ接近は、日米関係を決定的に悪化させなかった。日本の政策転換は、米国の中東和平外交(いわゆるキッシンジャー・プラン)が多国間協調に移行する過程と並行して行われたため、米国も日本の立場を一定程度容認したとされている。
イスラエルとアラブの対立から生じたという点で、今回の令和のオイルショックも第1次オイルショックと共通している。また、原油輸出についての対応を、味方か敵かで区別したことも、今回のイランによるホルムズ海峡の船舶の通過許可の姿勢と似ている。
しかし決定的な違いは、今回は米国が直接関与しており、さらに、米国が敵対してきたイランが当事国であることだ。その結果、日本は米国に敵対してイランの友好国と認められることは難しく、ホルムズ海峡を通じた原油の輸入再開は見えてこない。
米国と軍事同盟関係にあり、またイスラエルとの国交を維持して明確にイスラエルを非難していなかった日本も当初は「イスラエル側」と見なされ、原油の禁輸対象国に含まれていた。
そこで日本政府は外交方針の転換を決断した。1973年11月に政府はイスラエル軍による占領地からの撤退と、パレスチナ人の権利尊重を明確に支持した。これは、日本政府として初めてイスラエルを名指しで批判した声明であり、これを受けてアラブ諸国は、日本を全面禁輸の対象から外す判断をした。
この日本のアラブ接近は、日米関係を決定的に悪化させなかった。日本の政策転換は、米国の中東和平外交(いわゆるキッシンジャー・プラン)が多国間協調に移行する過程と並行して行われたため、米国も日本の立場を一定程度容認したとされている。
イスラエルとアラブの対立から生じたという点で、今回の令和のオイルショックも第1次オイルショックと共通している。また、原油輸出についての対応を、味方か敵かで区別したことも、今回のイランによるホルムズ海峡の船舶の通過許可の姿勢と似ている。
しかし決定的な違いは、今回は米国が直接関与しており、さらに、米国が敵対してきたイランが当事国であることだ。その結果、日本は米国に敵対してイランの友好国と認められることは難しく、ホルムズ海峡を通じた原油の輸入再開は見えてこない。
1次エネルギーの中東依存度は半分程度に低下
第1次オイルショック時に生じた原油の減産によって、原油価格は短期間で約4倍にまで高騰し、世界経済は深刻な混乱に陥った。
当時、日本の1次エネルギーのうち石油製品が約75%(電気事業連合会)を占めていた。また石油の99%を海外から輸入しており、その8割近くを中東に依存していた(ENEOS)。日本の経済活動や国民生活は、中東への依存度が極めて高かったのである。石油という資源が「安価で無尽蔵」という前提のもとで形成されてきた戦後日本の経済秩序の脆弱性が一気に露呈した。
一方、今回はWTI原油先物価格で見る原油価格の上昇は、今のところピークで70%程度であり、第1次オイルショック時と比べれば大きくない。
また、日本の1次エネルギーのうち石油製品は2023年度で約36%であり、中東からの原油輸入依存度は94%程度であることから(資源エネルギー庁の2026年3月資料)、中東に依存する1次エネルギーの比率は第1次オイルショック時の半分程度の約3割にまで低下している。
当時、日本の1次エネルギーのうち石油製品が約75%(電気事業連合会)を占めていた。また石油の99%を海外から輸入しており、その8割近くを中東に依存していた(ENEOS)。日本の経済活動や国民生活は、中東への依存度が極めて高かったのである。石油という資源が「安価で無尽蔵」という前提のもとで形成されてきた戦後日本の経済秩序の脆弱性が一気に露呈した。
一方、今回はWTI原油先物価格で見る原油価格の上昇は、今のところピークで70%程度であり、第1次オイルショック時と比べれば大きくない。
また、日本の1次エネルギーのうち石油製品は2023年度で約36%であり、中東からの原油輸入依存度は94%程度であることから(資源エネルギー庁の2026年3月資料)、中東に依存する1次エネルギーの比率は第1次オイルショック時の半分程度の約3割にまで低下している。
原油価格の上昇は前回ほどではないが供給不足の潜在的リスクは今回の方が深刻
それでもイラン情勢が今後の日本経済に与える影響は、非常に深刻となる可能性がある。原油価格の上昇率は第1次オイルショック時と比べれば大きくないが、中東からの原油輸入量の減少幅は格段に大きいからだ。
第1次オイルショック時には中東からの原油輸入量はピークで25%程度減少したとみられるが、中東からの原油輸入のうちホルムズ海峡を経由する割合が紛争前は93%程度(資源エネルギー庁の2026年3月資料)であるなか、紛争直後の日本の原油輸入量は90%程度減少したと考えられる。紅海ルートが開拓された現状でも、紛争前と比べて60%~70%程度減少した状態が続いていると推察される。
代替ルートを通じた原油調達の拡大によって、政府は5月時点で紛争前の6割程度の水準まで原油の調達に目途を付けたとしているが、それでも、第1次オイルショック時と比べて原油、そしてナフサの潜在的な供給不足リスクはより深刻だ。
ホルムズ海峡の日本船舶の航行が正常化するまでは、原油・ナフサの供給不足の懸念は高まり、それが幅広い製品の価格の上昇を伴う形で、経済活動に甚大な打撃を与える可能性がある(コラム「原油の需要抑制策の必要性と石油備蓄枯渇シミュレーション」、2026年5月1日)。
第1次オイルショック時には中東からの原油輸入量はピークで25%程度減少したとみられるが、中東からの原油輸入のうちホルムズ海峡を経由する割合が紛争前は93%程度(資源エネルギー庁の2026年3月資料)であるなか、紛争直後の日本の原油輸入量は90%程度減少したと考えられる。紅海ルートが開拓された現状でも、紛争前と比べて60%~70%程度減少した状態が続いていると推察される。
代替ルートを通じた原油調達の拡大によって、政府は5月時点で紛争前の6割程度の水準まで原油の調達に目途を付けたとしているが、それでも、第1次オイルショック時と比べて原油、そしてナフサの潜在的な供給不足リスクはより深刻だ。
ホルムズ海峡の日本船舶の航行が正常化するまでは、原油・ナフサの供給不足の懸念は高まり、それが幅広い製品の価格の上昇を伴う形で、経済活動に甚大な打撃を与える可能性がある(コラム「原油の需要抑制策の必要性と石油備蓄枯渇シミュレーション」、2026年5月1日)。
今回は需要抑制策の対応が遅い
1973年10月に第四次中東戦争が生じ原油価格が高騰すると、政府は翌11月に緊急石油対策推進本部を設置し、「石油緊急対策要綱」を閣議決定した。そこでの主な内容は、石油・電力の10%節約要請、マイカー利用自粛、営業時間短縮、ネオン広告の削減、便乗値上げ・買い占めの取締りなど、行政指導中心の需要抑制策であった。
原油価格の高騰から1か月でこのような需要抑制策を打ち出したのは、迅速な対応だったと言えるだろう。それでも、原油不足や原油価格高騰による電力不足は解消されず、1974年1月には、より強力な規制措置である電力使用制限令が出され、契約電力500kW以上の大口需要者に対し15%削減が義務付けられた(コラム「第1次オイルショック時と同様の電力使用規制が行われた場合の影響を試算:実質GDPを0.94%押し下げ」、2026年3月27日)。
一方、今回は、第1次オイルショックを機に石油備蓄が強化されたことから、石油備蓄の放出を通じて企業や国民は、従来通りの原油消費に支えられた経済生活、国民生活を維持できている。
しかし既に見たように、原油の供給不足については第1次オイルショック時よりも深刻な状況であり、いずれは石油備蓄も底を突く。こうした大きな潜在リスクが明らかにある中で、何も起こらなかったかのように、イラン紛争前と同様の水準で原油の消費を続けることは適切でないだろう。原油供給が不足する時期を少しでも先送りするため、そして、より長い目で見れば脱炭素を進めるためにも、ガソリンや電力の消費を節約する行動を早期に国民に呼びかけるべきだ。
原油価格の高騰から1か月でこのような需要抑制策を打ち出したのは、迅速な対応だったと言えるだろう。それでも、原油不足や原油価格高騰による電力不足は解消されず、1974年1月には、より強力な規制措置である電力使用制限令が出され、契約電力500kW以上の大口需要者に対し15%削減が義務付けられた(コラム「第1次オイルショック時と同様の電力使用規制が行われた場合の影響を試算:実質GDPを0.94%押し下げ」、2026年3月27日)。
一方、今回は、第1次オイルショックを機に石油備蓄が強化されたことから、石油備蓄の放出を通じて企業や国民は、従来通りの原油消費に支えられた経済生活、国民生活を維持できている。
しかし既に見たように、原油の供給不足については第1次オイルショック時よりも深刻な状況であり、いずれは石油備蓄も底を突く。こうした大きな潜在リスクが明らかにある中で、何も起こらなかったかのように、イラン紛争前と同様の水準で原油の消費を続けることは適切でないだろう。原油供給が不足する時期を少しでも先送りするため、そして、より長い目で見れば脱炭素を進めるためにも、ガソリンや電力の消費を節約する行動を早期に国民に呼びかけるべきだ。
令和のオイルショックの教訓は何か
第1次オイルショックは、日本経済がエネルギー効率を高める大きなきっかけとなった。さらに、産業構造は重厚長大から省エネ・高付加価値へとシフトした。そうした中、鉄鋼・石油化学・造船などエネルギー多消費型産業は地位を低下させていった。他方で、自動車・電機・精密機械など省エネ・高付加価値型産業が重要性を増した。第1次オイルショックは、これらの業種がいずれ世界を席巻する土台を作ったとも言えるだろう。
令和のオイルショックの大きな教訓は、原油・ナフサの中東依存度の高さがもたらすリスクが改めて確認されたことだ。これを機に、エネルギー輸入先の分散化を進める必要がある。
さらに、国民生活が依然として原油製品に大きく依存していることも明らかになった。リスク分散の一環として、国民も原油・ナフサ由来の製品から代替製品へのシフトを進める必要があるだろう。
脱炭素の観点からも原油依存の高さは問題だ。令和のオイルショックを機に、脱炭素をさらに推進することが求められる。発電においては、国内で生み出す再生可能エネルギー等の利用を拡大し、輸入に依存する化石燃料の依存度を低下させていくことは、最強のエネルギー安全保障強化策になるだろう。
令和のオイルショックの大きな教訓は、原油・ナフサの中東依存度の高さがもたらすリスクが改めて確認されたことだ。これを機に、エネルギー輸入先の分散化を進める必要がある。
さらに、国民生活が依然として原油製品に大きく依存していることも明らかになった。リスク分散の一環として、国民も原油・ナフサ由来の製品から代替製品へのシフトを進める必要があるだろう。
脱炭素の観点からも原油依存の高さは問題だ。令和のオイルショックを機に、脱炭素をさらに推進することが求められる。発電においては、国内で生み出す再生可能エネルギー等の利用を拡大し、輸入に依存する化石燃料の依存度を低下させていくことは、最強のエネルギー安全保障強化策になるだろう。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。