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野村総合研究所と
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はじめに

昨今、企業の持続的な成長のためには、デジタル戦略の策定とその実行が不可欠です。しかし、綿密に作成されたロードマップやマイルストーンが形骸化し、戦略実行が計画通りに進んでいない企業が多いのも現実です。そのような事態を避けるためには、経営層や事業部門が「自分事」としてデジタル戦略を捉えられるよう適切に巻き込んでいくことが重要です。NRIが実施した「ユーザ企業におけるIT活用実態調査2024」においても、デジタル化の推進に向けた取り組みとして、「経営トップの巻き込み、リーダーシップの強化」(38.8%)、「事業部門の巻き込み」(53.9%)を行っている企業の割合が比較的大きく、それらの重要性は多くの企業に認識されているといえます。経営層や事業部門の巻き込みにあたっては、コミュニケーションの方法が鍵となります。本コラムでは、はじめてデジタル戦略に携わる方、基礎から学び直したい方向けに、デジタル戦略の円滑な実行に向けて考慮すべきコミュニケーションのポイントを、よくあるストーリーを交えて解説します。

図表1:IT活用実態調査2024

デジタル戦略策定担当者が認識するべきデジタル戦略の円滑な実行を阻む4つの壁

デジタル戦略が計画通りに進まない主な原因として、4つの壁の存在があります(図表2)。デジタル戦略策定に向けた「体制組成」段階、戦略の内容を検討し取り纏める「原案策定」段階、取り纏めた案を経営層に提示し承認を得る「成案化」段階、策定した戦略を展開し現場層の協力を得る「現場浸透」段階の壁が、円滑な戦略実行を妨げています。これらの壁に共通する根本原因は、関係者間の認識や立場、組織の枠を越えたコミュニケーションが不十分なことにあります。

図表2:デジタル戦略の実行を阻む4つの壁

4つの壁を乗り越えるためのコミュニケーションのポイント

4つの壁を乗り越えるためには、各段階で適切なコミュニケーションをとり、経営層・事業部門・IT部門が共通の目的をもって合意形成を進めていくことが欠かせません。それらをよくあるストーリーを交えて解説します。

(1)体制組成の壁を乗り越えるためのポイント

デジタル戦略の出発点は、経営・事業・ITの三者が「何を実現したいか」を同じ言葉で語れる状態をつくることにあります。相互に前提を確認しながら策定を進めることで、デジタル戦略は事業戦略の実現を支えるだけではなく、自部門の課題や強みをデジタルの力で再設計し、事業戦略そのものを磨き直す契機にもなりえます。
そのため、デジタル戦略策定部門と事業部門による検討チームの構築が不可欠です。しかし、事業部門側からするとデジタル施策が短期的な収益にどう結びつくかが見えづらく、また役割分担が曖昧なまま現場で議論が始まると、体制の立ち上げは難航します。
この壁を越えるためには、まず経営層が旗を振り、デジタル活用を経営課題の一部として位置づける意思表明を行うことが重要です。経営層自らが「どのような経営・事業上の課題をデジタルで解こうとしているのか」「なぜ今、組織横断で取り組む必要があるのか」を語ることで、事業部門も参画しやすくなります。
同時に、デジタル戦略策定部門には、経営層が語る経営課題をデジタルの視点で具体化し、各事業部門が持つ課題・制約・強みと照らし合わせて共通の目的と施策の方向性を再定義することが求められます。
このように、経営層のメッセージを起点に、事業・ITが相互に確認しながら目的と施策の方向性を整えることで、協働体制の組成へとつなげていきます。

製造業A社では、縦割りで保守的な企業文化が根強く、部門横断的な体制づくりが進みにくい状況にありました。経営層の間でも、デジタル活用の必要性は認識されていたものの、具体的にどの領域にどのように適用すれば経営効果を得られるのか、その判断材料が十分ではないという課題がありました。
そこで、デジタル戦略策定部門が、競合企業の動向や先進事例、デジタル技術による業務変革や新事業創出の具体的効果を整理し、CDO/CIOが経営層との実例に基づく対話の場を設けました。議論を重ねる中で、社長自身も経営課題に対し、デジタル活用が果たす役割を具体的にイメージできるようになり、デジタル技術の活用を全社の重点課題として明確に位置づけることを決断しました。社長の決断を受け、CDO/CIOは各事業部門の担当役員や部門長と対話を重ね、それぞれの事業における効果や実現可能性を具体的に議論していきました。当初は慎重な姿勢を示していた部門も、自部門の課題解決と成長の文脈でデジタル活用を捉え直すことで共感が広がり、信頼関係が築かれていきました。こうして、経営層のリーダーシップのもと、デジタル戦略策定部門が実例を整理し共有することで、事業・ITが相互に確認し合いながら信頼関係を深める協働体制が形成されました。(図表3)

図表3:戦略検討チームの組成

(2)原案策定の壁を乗り越えるためのポイント

協働体制が整ったとしても、デジタル戦略の原案づくりではしばしば議論が停滞します。この段階では、デジタルの可能性を事業の短期的な課題や中長期的な変革テーマにどう結びつけ、全社の視点での構想にどう落とし込むかという共通理解づくりが鍵となります。
デジタル戦略の策定では、効率化や価値創造などの「事業ニーズ」と、AI・データ活用などの「技術シーズ」を結び付け、全社の方向性を踏まえた構想を描くことが求められます。しかし、事業とITの間では、それぞれの専門性や経験が異なるため、同じ言葉で議論していても解像度に差が生じやすく、構想が自部門の範囲にとどまり、全社最適の視点を欠くことがあります。
この壁を乗り越えるには、技術を体験しながら共通の言語とイメージを育てるプロセスに加え、他部門の取り組みや経営の方向性を共有し、視座を上げる機会が不可欠です。デジタル戦略策定部門には、例えば技術を体感し、事業での適用可能性を議論するワークショップなどを通じて、事業とITが相互理解を深め、全社的な視点で議論を広げられる場を企画・設計することが求められます。

流通業B社では、デジタル戦略策定部門が中心となり、各事業部門のキーパーソンを招き、事業の課題や構想とデジタル技術をどう結びつけるかを議論しました。しかし、最初の議論は思うように進みませんでした。意見そのものが出ない、出ても既存業務の延長にとどまるなど、活発な議論が生まれなかったのです。その要因は、デジタル技術やその活用に関する知識不足だけではありません。他部門とのつながりを意識しにくい、上下関係や部門間の力学から自由に意見を出しづらい――。こうした組織風土的な壁が重なり、 「全社視点での構想を共に描く」までには至りませんでした。
そこで、デジタル戦略策定部門は、議論の場そのものの設計を見直しました。まず、最新のデジタル技術やサービスを実際に体験できるワークショップを企画し、「何ができるのか」ではなく「何が変えられるのか」を共に考える形式に変えました。さらに、部門混成のチームを編成し、異なる視点の組み合わせを意図的に設けました。議論の初期では、「アイデアや方向性に違いがある」ことをあえて可視化し、そこから共通の課題意識を整理、中盤からは、デジタル戦略策定部門がファシリテーターとして問いを立て、議論を自部門最適から全社視点へと引き上げることに注力しました。
その結果、参加者の間に「自社がどの領域でデジタルを活かせるか」「どのテーマを全社で取り組むべきか」という認識が共有され、部門を越えた共通言語と方向性が生まれました。最終的には、ワークショップで抽出されたテーマを基に、全社戦略へと展開可能なデジタル戦略の原案をまとめることができました。

(3)成案化の壁を乗り越えるためのポイント

デジタル戦略の原案がまとまりつつある段階でも、次の関門となるのが「成案化」の壁です。経営層との合意形成が思うように進まず、戦略が承認まで至らないケースは少なくありません。その主な要因として、経営層と策定チームの間で「経営上の優先度」や「成果をどう測るか」といった前提の共有が十分でないことが挙げられます。
経営層は企業全体のバランスを見ながら投資判断を行う立場にあり、個別施策の意義を正確に伝えるだけでは納得に至りません。この段階でデジタル戦略策定部門に求められるのは、戦略の承認を通すことではなく、経営層とともに磨き上げる視点です。そのためには、経営会議の前段階から、経営層の関心や論点を把握しておくことが重要です。経営層の視点からの「リスクとリターン」「他の経営課題との整合性」といった論点を踏まえ、デジタル戦略全体の位置づけを調整します。
同時に、経営層との議論の中で得られた意見や示唆を、そのまま鵜呑みにするのではなく、これまで検討してきた戦略の軸と照らし合わせながら再構成し、経営層が自らの戦略として語れる状態にまで引き上げていくことが、最終的な承認への近道となります。つまり、成案化のフェーズは説明の場ではなく、経営との共創の場です。デジタル戦略策定部門は、経営の言葉で語り、経営と同じ視点で議論を重ねながら、戦略の完成度と実効性を高めていくことが求められます。

サービス業C社では、策定したデジタル戦略を経営会議で承認にかけました。デジタル戦略策定部門としては、各事業部門の意見を反映した内容であり、十分に合意を得られると考えていました。しかし、いざ経営会議で説明してみると、総論では賛同が得られたものの、各論に入ると役員ごとに関心や懸念のポイントが異なり、議論は平行線をたどりました。
経営層がそれぞれの立場から経営全体のリスクや優先順位を考える中で、戦略の方向性を一度の会議で理解・合意することは難しかったのです。そこで、デジタル戦略策定部門は、経営層一人ひとりとの個別対話に切り替えました。
各役員の問題意識や懸念の背景を丁寧に聞き取りつつ、これまで検討してきたデジタル戦略がそれぞれの事業課題にどのように影響するのかを再整理したうえで説明に臨み、合意形成を図りました。もちろん、こうした合意は一度の対話で得られるものではありません。議論を重ねる中で、時に優先順位の見直しや追加検討が求められることもありました。しかし、デジタル戦略策定部門が愚直に対話を重ね、経営層とともに戦略を磨き上げていく姿勢を貫いたことで、少しずつ理解と納得が広がっていきました。
その積み重ねの先に、経営層の間で「自らが関わり、責任を持って進める戦略」という共通認識が醸成され、最終的には経営会議での承認へとつながりました。

(4)現場浸透の壁を乗り越えるためのポイント

経営承認を得たデジタル戦略も、いざ実行段階に入ると、現場の理解と協力が得られずに停滞するケースは少なくありません。
その背景には、現場従業員がデジタル化の目的や自分たちへの影響を十分に理解できていないという認識のギャップがあります。
現場から見れば、「何のために変えるのか」「自分たちの業務はどうなるのか」が見えなければ、慎重な反応を示すのは自然なことです。デジタル戦略の実行には、現場が業務変革の当事者として納得し、自ら動ける状態をつくることが欠かせません。
そのためのポイントは、段階的な理解促進と双方向のコミュニケーション設計です。まず、現場リーダー層に「自分たちの仕事がどう変わるのか」「どんなメリットがあるのか」を実感できる機会を設けます。次に、納得感を得たリーダー層を変革の推進役として現場に配置し、現場の声を吸い上げながら、制度や運用を改善していくサイクルを回します。
こうしたプロセスを通じて、現場従業員はデジタル化を「一方的に押し付けられるもの」ではなく、「自分たちの意見が反映され、日々の仕事にもメリットがあるもの」として理解できるようになります。この納得の積み重ねこそが、不満や不安を解消し、戦略を現場レベルで動かす原動力になります。デジタル戦略策定部門には、こうした現場の理解を支える仕組みを設計し、現場リーダー層を後押ししながら、経営と現場をつなぐ媒介者として機能することが求められます。

金融業D社では、デジタル戦略の柱として営業部門の業務革新を掲げましたが、現場の従業員、特に営業支社での理解や協力が得られず、思うように進まない問題が発生しました。従来の業務スタイルに慣れていた現場従業員からは「今のやり方で問題がないのに何故変えるのか」という疑問や、「変えると営業成績が落ちるのではないか」という心配の声が上がりました。デジタル化のメリットを現場レベルまで伝えきれていないことが原因でした。
そこで、デジタル戦略策定部門は一方的な説明ではなく、メリットの実感と不安の解消に向けた2段階の取り組みを実施しました。
第1段階では、営業支社の支店長や現場リーダーに変革後の業務を体験する機会を設定しました。新たな機器やシステムのプロトタイプを作成し、業務スタイルがどう変わるのか、どういう効果が期待できるのかを実際に体験してもらう機会をつくったのです。第2段階では、デジタル化後の業務を体験したリーダー層を中心に「変革推進担当(エバンジェリスト)」を各部に配置しました。彼らは、現場にメリットを伝えるだけでなく、さらなる改善に向けて現場の課題や意見を吸い上げる役割も担当し、現場とデジタル戦略策定部門の双方向コミュニケーションのハブとして活動しました。エバンジェリストがより活動しやすいように、企画・総括担当への配置転換も実施し、現場の声や課題が経営層やデジタル戦略策定部門にタイムリーかつ的確に伝わるようコミュニケーションルートを整備した点もポイントです。
その結果、デジタル技術を活用した変革は、一方的に押し付けられるものではなく、自分たちの意見も反映されて現場にこそメリットがあるものだと理解し、自分たちの業務が煩雑になったり成績が落ちたりするのではないかという不安の解消につながりました。このように、デジタル戦略策定部門が現場の声を拾い上げ、リーダー層を支えながら制度設計と運用を磨き上げたことが、最終的には現場主導の実行力につながったのです。

おわりに

本稿では、デジタル戦略の円滑な実行を阻む4つの壁(体制組成、原案策定、成案化、現場浸透)と、それらを乗り越えるためのコミュニケーションのポイントを解説しました。これらの壁に共通するのは、関係者間の前提や目的の認識がずれたまま議論が進み、合意や実行の力を失ってしまうという構造です。
デジタル戦略の策定と実行を成功に導く鍵は、「伝える」ではなく「共に考える」コミュニケーションにあります。デジタル戦略策定部門は、その中心に立ち、経営・事業・現場の間をつなぎながら、対話を通じて戦略そのものを磨き上げていく存在であるべきです。体制組成の段階では、経営・事業・ITの言葉を翻訳し、共通の目的を描く。
原案策定の段階では、体験や対話を通じて共通言語を育て、全社視点で構想を広げる。
成案化の段階では、経営層との個別対話を重ね、戦略を共に磨き上げる。
そして現場浸透の段階では、現場リーダー層を支えながら、変革を自分たちの取り組みとして根付かせていく。
本稿で示したポイントを自社の事業や組織に合わせて実践することで、デジタル戦略を企業変革の原動力へとつなげていくことができるでしょう。

プロフィール

  • 荒木 啓介のポートレート

    荒木 啓介

    ITマネジメントコンサルティング部

    通信キャリアならびに航空会社にてDX・IT領域におけるPM、SEならびにCX領域の業務やマネジメントに従事し、2023年に野村総合研究所に入社。現在は、幅広い業界を対象にITマネジメントコンサルティング業務に従事。専門分野は、DX・IT戦略立案・推進支援、組織・人材改革、プロジェクトマネジメント。

  • 望月 魁のポートレート

    望月 魁

    ITマネジメントコンサルティング部

    専門コンサルティングファームを経て2023年に野村総合研究所に入社。現在は、幅広い業界を対象にITマネジメントコンサルティング業務に従事。専門分野は、IT組織改革、グループITガバナンス・マネジメント変革、ITファイナンス管理強化。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。