
はじめに
本連載の第1回では、デジタル化プロジェクトを進めていくにあたって直面する問題とそれを解決するためのデジタル化推進ガイドの全体像について紹介しました。第2回から第6回では、デジタル化プロジェクトで直面する5つの主要課題を取り上げ、具体的な解決方法を解説していきます。
第4回となる今回は、サービスを市場に投入した後の「グロース段階」に焦点を当てます。顧客にとってのサービス価値を維持・向上させるという観点から、効果的な進め方について解説します。
グロース段階の重要性
近年、顧客のニーズは日々変化し、テクノロジーの進化も加速しているため、従来の基幹システムのようにリリース後の長期間にわたり一定のサービス品質を保ち続けることが難しくなっています。継続的な改善が行われなければ、変化する顧客のニーズに応えることができず、システムの老朽化による維持コストだけが上がっていきます。その結果、リリース直後からプロダクトの利用価値が低下し、競合サービスに対する優位性が失われ、最終的には競争に負けてしまいます。
このような背景から、サービスの品質及び顧客の利用価値の持続的な向上を図る「グロース段階」の重要性が高まっています。グロース活動は、市場におけるプロダクトの競争力や顧客の継続利用を保つための重要な活動であり、まさに事業の生命線といえます。
しかし現実には、サービスをスケジュール通りにリリースすることに注力するあまり、サービスリリース後のグロース活動の重要性を十分に考慮しないケースが多く見られます。開発チームはリリースをゴールと捉えがちですが、顧客にとってはリリースがサービス利用の始まりです。この認識のギャップが、リリース後にサービスの価値が低下し、顧客の支持を失ってしまう事例を頻発させています。したがって、見落とされがちなグロース活動を最初から組み込んだ「サービス開発プロセス」の全体設計を行うことが重要です。
グロース活動における課題とその理由
課題1:グロース体制の偏りと意思決定の遅延
プロダクトのリリース後の保守体制として、グロース活動の体制が構築されているものの、ソフトウェアとしての安定品質の維持に偏っていることが多く見られます。また、新たな価値を生む機能改善を行う際には、社内決裁の取り直しや改善内容によって新たな人材のアサインが必要となり、実際にプロダクトを改善できるまでの期間が長引く傾向にあります。この課題の根本的な理由は、従来のシステム開発における目的や考え方、つまりプロダクトのリリース後は保守体制へ移行するという枠組みにとらわれていることです。このような従来の枠組みでは、常に変化し続けている市場や利用直後から高まるユーザーのニーズに応えることができず、多額のコストを掛けたプロダクトが負の遺産となってしまう可能性があります。
課題2:グロース活動に必要な要件の未定義
プロジェクトの要件定義がリリース時点までの範囲で考えられているため、リリース後の成長を織り込む視点が欠けています。具体的には、プロダクトがどのように使われているかの分析要件や分析方法などが、要件定義の段階で考慮されていないケースが多く見られます。グロース活動に知見がある人であれば、事前に決めるべき要件を察知することができますが、そうでない場合はリリース後に気づき、そこから要件定義を始めることになります。その結果、顧客にとって価値のない分析を行うためだけの開発が始まってしまいます。つまり、グロース活動を見越した要件定義の必要性が要件定義のスコープに入っておらず、必要性の理解及び策定すべき要件が不明確であることが課題となっています。
課題3:改善事項の優先順位付けの困難
一歩先を行くプロジェクトでは、グロース体制が構築され、リリース後の改善事項の収集フローが整備されています。しかし、数多くの改善事項が社内外から提出され、予算を超える、改善の規模が大きすぎて手が回らないといった問題が発生しているケースが多いのが現状です。その結果、規模の小さいものから実施し、本来やるべき優先度のものができていないケースや、規模の大きいものをグロース範囲内で実施し、他の改善が全くできないケースが起きています。この課題の根本的な理由は、改善要項の優先順位の設定や分類の基準が曖昧であることです。改善事項の収集体制は整っているものの、どの改善を優先すべきかの明確な判断基準がないため、効果的なグロース活動が阻害されています。
これらの課題を解決することで、プロダクトのサービス品質をシステムだけの観点からではなく、ユーザーにとっての有用性という広義の意味で捉えることが可能となり、それがサービス開発プロジェクトの成功のカギとなってきています。
グロース活動に向けた課題の解決策
先ほど、グロース活動の課題とその現状を三つの観点から解説しました。ここでは、グロース活動を円滑に行えるよう、それぞれの課題に対する解決策を提案します。
解決策1:プロジェクト計画にグロース活動内容を組み込むこと
「開発の目線から見れば初期リリースはプロジェクトのゴールで、顧客から見ればサービスの始まり」と考える必要があります。これは、リリース後の市場と顧客の反応を見て可能な限り迅速に対応できるようなプロジェクト計画が求められるということを意味します。
この解決策は、「グロース体制の偏りと意思決定の遅延」、および「グロース活動に必要な要件の未定義」という課題に対応します。デジタル化推進ガイドでは事業性検証の段階(プロダクトへの投資が決まる段階)で、グロースに必要な体制や予算を先立って確保し、プロジェクトの計画や工程に組み込むことができるようなプロセスとして定義しています。
グロースという視点が明確にプロジェクト計画に含まれると、従来のシステム開発における保守体制への移行という考え方から脱却し、社内決裁の取り直しや新たな人材アサインによる遅延を防ぐことができます。同時に、要件策定に向けたタスクや行動指針がプロジェクトマネジメントの一部となり、グロース活動を見越した要件定義の必要性が明確にスコープに含まれるようになります。全体のプロセス内で適切な活動が行われることで、リリース後に気づいて顧客価値のない分析開発を始めるという問題も回避できます。
また、グロースの工程を明確に定義することで、初期リリースに不可欠な機能と、市場反応次第で後の工程で開発する機能とを分けることが可能となります。この分担により、初期リリースのスケジュールも短縮し、効率的な開発が可能となるメリットもあります。
解決策2:グロース活動に必要なプロセスと実行判断の基準を明確にすること
この解決策は、「グロース活動に必要な要件の未定義」と「改善事項の優先順位付けの困難」という課題に対応します。プロダクトの評価に必要な評価軸の定義とプロセス、顧客ニーズを把握・収集するためのツールや仕組みを整備することが必要になります。
そのため、デジタル化推進ガイドではそれらが継続的に推進できるように、プロセスと実行判断基準の可視化を行い、グロース活動内で実行できるフレームワークとして提示しています。以下の具体的な取り組み例を記載します。
1)顧客ニーズの把握
プロダクトがどのように使われているのかの分析要件や分析方法を明確化します。ニーズを把握するだけでも必要な体制や費用が生じます。ただし、プロセスの定型化をすることで運用負荷の低減も可能です(分析ダッシュボードを構築し、すぐに閲覧できるようにする等)。以下が、ニーズの把握手段例になります。
- ①KGI/KPI分析:(KGIを構成するKPIのロジックツリーを元に各種数値の増減を把握)
- ②分析ツールを用いた行動分析:(GA4などの各種分析ツール)
- ③ユーザーの定性・定量分析:(NPS調査、CS部門の声、SNS等の反応の収集、ユーザーヒアリング)
2)改善事項の実行判断基準
曖昧だった優先順位の設定や分類の基準を明確化します。各改善事項について、以下の軸で一覧化することによって対応内容及び優先順位を決めやすくします。
(例)- ①背景:改善を行うに至った背景や根拠
- ②内容:どのような改善を実施するのか
- ③方法:開発/ツール(web接客等)/業務改善・運用変更
- ④費用*1:改善内容の方法に必要な費用(コスト)
- ⑤効果*2:改善することによって想定される事業指標やユーザー利益への影響
- *1改善に大きなコストが必要な場合は、別のプロジェクトとして扱い、適宜、PoCなどを通じて実施判断を検討する必要があります。
- *2例えば顧客からの問い合わせ数に応じて、オペレーションコストを算出できます。各部門と連携を取りながら、それぞれの改善事項に対する効果を「見える化」し、優先順位を決めやすくなります。
これらの取り組みにより、規模の小さいものから実施して本来やるべき優先度のものができないケースや、規模の大きいものをグロース範囲内で実施して他の改善が全くできないケースを防ぐことができます。
これらの解決策により、サービスの価値をリリース直後から減ってしまう「減価償却型」から、リリース後に時間とともに最大化させていく「増価蓄積型」に変革することが可能となり、デジタルサービスの成功のカギとなります。
おわりに
今回は、グロース活動の現状と課題、その解決策について詳しく解説しました。グロース体制の偏り、要件の未定義、改善事項の優先順位付けの困難という三つの課題に対し、プロジェクト計画へのグロース活動の組み込みと、プロセス・実行判断基準の明確化という解決策を提案しました。
しかし、プロジェクトの具体的な状況、組織体制、人材のスキル問題など、実際に取り組み始める際のハードルは非常に高いと言えます。そんな困難な状況でも、"グロース"というその言葉に重きを置き、どのように活動を推進していくかの議論から始めることが、活動の第一歩だと考えています。
デジタルサービス開発のゴールは、リリースではありません。開発の目線から見れば初期リリースはプロジェクトのゴールですが、顧客から見ればサービスの始まりです。そのため、グロース活動として、従来のシステム保守活動と異なる考え方だと認識していくことが大切です。この意識が多くのデジタルサービスの真の成功につながることを心から望みます。
プロフィール
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小池 翔太のポートレート 小池 翔太
サービスデザインコンサルティング部
事業会社を経て、2021年に野村総合研究所へ入社。デザインとエンジニアリングのスキルを活かし、新規プロダクトの立ち上げやグロースを専門とする。事業戦略策定やサービス仕様の検討に加え、PM支援として開発マネジメントなど、リリースまでの全体管理を担うサービスデザインコンサルティングに従事。HCD-Net認定 人間中心設計専門家。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。