&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

はじめに

日本でDX(デジタルトランスフォーメーション)が本格的に注目され始めて、約10年が経過しました。2018年に経済産業省が発行したDXレポートを契機に、レガシーシステムの更新や、機械学習・ディープラーニングを活用したデータ活用が、経営層を含め広く経営課題として認識されるようになりました。この潮流はテクノロジーの進展を起点に加速しましたが、同時にデザイン思考(ユーザー課題解決の発想法)やアジャイル(柔軟な開発手法)といった方法論の導入にもつながり、各社で実践が進められてきました。

とはいえ、方法論を知っていても、実際のデジタル化プロジェクト1の推進において「どの順番でどこからどこまでどの手法を用いて進めるべきか」「誰に何を合意するべきか」といった具体的な進め方や運用方法は、依然として企業ごとの試行錯誤に委ねられています。その背景には、プロジェクトの目的やアプローチが従来よりも多様化し、関与するメンバーもエンジニアや事業部担当者に加え、デザイナー、データサイエンティスト、経営層など幅広くなったことがあげられます。立場によって「進め方の常識」が異なったり、注目する観点が噛み合わなかったりすることで、議論が空回りしたり後工程で大きな手戻りが発生するケースが少なくありません。私自身もこうした課題に繰り返し直面してきましたが、振り返ると、特定の立場や領域に依らず、関係者が合意できる共通のプロセスとルールを持つことが成功の鍵になると痛感しました。

そこで本連載では、デジタル化プロジェクトの現場で起きている問題とその背景を整理し、それらを解決に導くための標準的なプロセスと、その運用に必要なルール(本連載において、総称してデジタル化推進ガイドと呼ぶ)について解説していきます。

第1回では現場で頻発する問題を取り上げ、それを解消するためのデジタル化推進ガイドの全体像を紹介します。第2回以降では、デジタル化プロジェクトで直面する5つの主要課題を取り上げ、各課題に対する具体的な活用方法を順に解説します。

  1. 1デジタル化プロジェクト:本連載ではデジタル技術を活用して既存事業の変革や新たな価値創造を実現する取り組みと定義

PoC疲れに陥る企業

デジタル化プロジェクトの現場でしばしば耳にするのが「PoC疲れ」です。新しいアイディアや技術の有効性を試すPoC(概念実証)は、不確実性の高い取り組みにとって有効な手法ですが、良好な検証結果がでても本番開発に進めないケースが後を絶ちません。では、どのような問題が起きているのでしょうか。

例えば、ある企業ではAIを使った顧客情報分析サービスのPoCを実施しました。PoC段階では良好な結果が得られましたが、本番開発に進む際に問題が発生しました。PoCは主にデータサイエンティストが中心となって進められており、分析やモデル構築に対する強みを発揮していました。しかし、本番システムで必要となる他システム連携やセキュリティ対策、エラーハンドリングといった実装品質を担保するスキルや経験については不足していました。そのためIT部門やSEチームの協力を仰ぐことになりましたが、検討経緯が十分に共有されていない難解な分析プログラムを突然渡されても受け入れられず、調整に難航しました。 この問題は、IT部門の巻き込み方もさることながら、本番開発を見据えて明らかにしておくべき要件がPoCを言い訳に十分検討できていなかったことに起因しています。

別の企業では、PoCを通じて要件を固めることを目指していました。プロトタイプの検証には、体験価値を測るものもあれば、技術的な実現性を測るものもあります。しかし、メンバーごとに検証したい観点が違っていて、どの検証から取り組むべきか優先度を決められず、混乱が生じました。これにより行わなくても良かった・手戻りに繋がってしまったような検証が多発してしまい、新たな発想で取り組む検証を行う余裕もなくなってしまいました。
この問題は、PoCで何を検証しないといけないのか、どういった段取りで明らかにしていくかといったステップをプロジェクトメンバー全員で共通認識化できていなかったことに起因しています。

このようにPoC疲れの背景には、検証手法の偏り、開発要件の具体化不足、リリース後の成長戦略の欠如、意思決定ポイントの不明確さ、進行に伴うスキル変化への対応不足など、複数の要因が絡み合っています。こうした要因は一つひとつ異なって見えますが、共通しているのは全体を貫くプロセスの不在です。つまり、各フェーズの出口条件や合意事項を定め、関係者が同じ前提で進められるようにする仕組みが不足しているのです。

本ガイドが目指すのは、こうした断絶を埋めるピース=「共通プロセス・ルール」を提供することです。PoC疲れはその典型例であり、企画・構想からリリース後の保守・グロースに至るまで、同様の断絶は様々な場面で生じています。これらの工程に対して、共通の土台と道筋を示すことで、デジタル化プロジェクトを効率的かつ効果的に推進できるようにするのが、本ガイドの役割です。次章では、複数のデジタル化プロジェクトの分析から抽出した、多くの企業がつまずきやすい5つの課題について掘り下げていきます。

デジタル化プロジェクトの課題考察と解決策

複数のデジタル化プロジェクトに対して問題洗い出しと要因分析を行った結果、共通的なプロセスとルールで解決すべき5つの課題が見えてきました。本章ではそれぞれの課題について「プロセス・ルールの観点からどのように解決へ導くべきか」の方向性を示します。具体的な方法論や実践事例は、連載第2回以降で順を追って取り上げます。

【課題①】本番開発に向けて必要な要件の具体化が進んでいない

PoCを通じた仮説検証は重要ですが、その結果をそのまま開発につなげるためのプロセスが不足しているケースが多く見られます。特に、PoC段階では技術的な実現性やアイデアの有効性に注目が集まり、本番開発に必要な機能要件や品質担保の検討が後回しになりがちです。その結果、開発段階で追加検討が必要となり、手戻りやスケジュール遅延が発生するリスクがあります。

▶解決策の方向性

PoCから本番開発へスムーズに移行するため、機能要件や品質要件を段階的に具体化するプロセスを明確に定義します。特に、PoCの終盤で実施すべき要件整理や引継ぎタスクを標準化し、開発工程に必要な情報を確実に揃える仕組みを設けます。連載第2回「繰り返し重視のPoCから積み上げ型で確実に推進するPoCへ」にて、詳細内容を説明予定です。

【課題②】プロジェクト内で適切な手法を選ぶ/併用できない

デジタル化プロジェクトでは、仮説を検証するためにデータ分析(定量的に効果を測る)やユーザー観察(利用者の行動や体験を把握する)など、さまざまなアプローチが用いられます。しかし、プロジェクトの立ち上げ段階で一度特定の手法を選ぶと、担当者の専門性や既存のリソースに引きずられ、他の手法への切り替えや併用が行われにくいことがあります。その結果、ある観点では高い成果が得られても、別の観点では検証が不十分となり、プロジェクト全体の品質や成果に影響が及びます。例えば、データ分析の結果だけを見ると数値的には改善が示されていても、ユーザー観察を行うと実際の利用体験では使いにくさが残っていた、というように、一方の手法だけでは見抜けない課題が隠れている場合があります。

▶解決策の方向性

仮説や目的によって最適な手法を選定できるよう、手法と専門人材の適切な選択と、専門人材間の連携の仕組み化をプロセスに組み込みます。連載第3回「デジタル化プロジェクト成功のための3つのアプローチ融合」にて、詳細内容を説明予定です。

【課題③】リリース後のプロダクト成長に向けた汎用的なプロセスが定まっていない

MLOps、グロースハック、プロダクトマーケットフィットなど、開発後の成長戦略や運用手法がプロジェクトごとにバラバラで、標準化されていないケースが多く見受けられます。このため、ユーザーからのフィードバックや市場の変化を迅速かつ効果的に反映できないケースが見られます。

▶解決策の方向性

リリース後の成長を計画的に進めるため、運用・改善・成長の各フェーズをプロセスとして定義し、フィードバックループを組み込んだ改善サイクルを標準化します。連載第4回「グロース段階における持続的価値向上」にて、詳細内容を説明予定です。

【課題④】デジタル化プロジェクトを適切にStop&Goさせる意思決定ポイントが定まっていない

一般的に新規事業や製品開発では「ステージゲート法」と呼ばれる枠組みが用いられます。これは、アイデア創出から市場投入までを複数のステージに分け、各ステージの終了時に「Go/Stop」を判断する仕組みです。このステージゲート法ですが、複数の新規事業や製品開発案件を並行的に評価する仕組みです。一方、デジタル化プロジェクトは個々の案件ごとに進め方や判断が必要となるため、そのまま適用するのは難しく、意思決定の基準が曖昧になりがちです。

▶解決策の方向性

デジタル化プロジェクトの特性に合わせた意思決定ポイントと評価基準を設計し、各ステージで適切な判断を行えるようにします。これにより、必要に応じた軌道修正や中止判断をスムーズに行える体制を整えます。連載第5回にて、「適切な意思決定でデジタル活用の効果を最大化する」の詳細内容を説明予定です。

【課題⑤】プロジェクト進行に伴う必要スキルの変化に対応した体制構築ができない

デジタル化プロジェクトでは、初期は企画・デザイン寄りのスキル、後半は開発・運用寄りのスキルが必要になるなど、求められる能力がフェーズごとに変化します。体制設計や役割分担がこれに追随できないと、引継ぎ不備やタスクの抜け漏れが発生します。

▶解決策の方向性

フェーズごとに必要なスキルセットと役割を明確にし、適切なタイミングで人員を入れ替え・補完できる体制構築プロセスを整備します。これにより、スムーズな引継ぎと一貫した成果品質を確保します。連載第6回にて、「体制変更を前提としたプロジェクト推進の在り方」の詳細内容を説明予定です。

デジタル化推進ガイドの概観

これら5つの課題に対して、本ガイドでは次のように整理しています。課題①~③に対応するものとして、企画・構想から保守・グロースまでをカバーする6つの工程を定義しました。また、課題④・⑤については、各工程における意思決定ポイントと体制構築・役割分担の考え方を整理しています。
以下の図表はその概要についてまとめたものとなります。

プロセス分類 目的 意思決定ポイント 体制構築・役割分担の考え方
企画・構想 取り組む価値のあるアイデアと検証すべき仮説を明確化 ・取り組みテーマの価値と妥当性があるか
・検証テーマ/アプローチが適切か
業務部門がリードするが、早い段階でIT部門やデータサイエンティスト、UXUIデザイナーといったスペシャリストを巻き込み、経営層とも方向性を握ることで「後から手戻りしやすい」構造を防ぐ。
効果検証 仮説検証の進行に十分な効果があるかを確認 ・プロダクト化した際に十分な効果が得られるか(数値面・体験面) スペシャリストがリードして検証を進めるが、成果の解釈は業務部門が担い、次の実現性検証に渡せる形に整理する。
実現性検証 効果検証で得られた結果を基に、プロダクトとしての実現方針を決定 ・業務・システム的に実現可能な要件が揃っているか IT部門がリードし、業務とスペシャリストがフォローすることで「開発につなげられる粒度」まで要件を固める。
事業性検証 投資対効果を見込み、開発に進むべきかを判断 ・投資対効果(ROI)の妥当性があるか
・開発/運用に進む判断ができるか
業務部門と経営層がリードするが、ITとスペシャリストが裏付けを出すことで「投資判断に耐える材料」にする。
開発 事業性検証で決定した方針とスコープに基づきプロダクトを開発 ・初期リリース範囲の妥当性があるか
・品質・進捗が基準を満たしているか
IT部門が主導するが、要件定義や優先順位付けに業務部門が関与し続けることで「開発=丸投げ」を防ぐ。
保守・運用、グロース 安定的なシステム運用とプロダクトの改善 ・改善施策の優先度が妥当か
・リリース/改修が有効か
業務部門がリードし、ITがフォローする体制に移行。スペシャリストは改善アイデアを継続的に提供し、次の企画につなげる。

このガイドはすべてのプロジェクトに一律に当てはめるのではなく、特性や目的に応じて取捨選択や順序変更、並行実施、あるいは検証の省略も可能です。こうした柔軟性により、多様な状況にフィットさせながらも、関係者全員が共通のプロセス定義を理解し共有する基盤として活用できます。

特定の立場や領域に依らず、関係者が合意できる共通のプロセスとルールを持つことで、PoCから本番開発までの橋渡しが明確になり、再検討や追加作業による手戻りのリスクを大幅に抑えられます。加えて、各工程で評価基準が明確になることで、継続や中止といった意思決定を迅速かつ根拠を持って行えるようになります。そして、リリース後も改善と価値向上を計画的に推進できるため、プロダクトの持続的な成長を実現できます。

おわりに

この記事では、デジタル化プロジェクト推進を阻む5つの課題と共通的なプロセスとルールの整備による解決の方向性を述べました。DXは単なる技術導入ではなく、ビジネスモデルや組織文化の変革を伴うものであり、その成功には適切なプロセスが欠かせません。今後の連載では、より具体的な課題考察と解決策について詳しく述べていきます。まずは課題ポイント①に対する解決策について紹介します。お楽しみに。

プロフィール

  • 廣田 壮一郎のポートレート

    廣田 壮一郎

    サービスデザインコンサルティング部 データサイエンティスト

    

    2015年NRIに入社。
    アナリティクス技術を用いた業務変革やデジタルマーケティングを経験。
    その後、デジタル組織立ち上げやデータマネジメント設計といったコンサルティングに従事。
    現場の実情に配慮した机上の空論に留まらない実践的なDXプロセスの開発・普及に取り組む。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。