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予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済

2019/08/22

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DX Book Reviewの記念すべき初回に取り上げるのは「予測マシンの世紀 AIが駆動する新たな経済」。DXのコア技術(BigTech)の一つであるAI(人工知能)がビジネス、社会をどう変えていくのか。その分析に経済学の枠組みを適用し、クリアな未来像を提示した良書。「AIは『予測』の価格を低下させる」という経済学的な定式化から導き出される数々の洞察には、これからの金融ビジネスへの重要な示唆が数多く含まれている。

[著]アジェイ アグラワル、ジョシュア ガンズ、他
[発行日]2019年2月6日
[出版社]早川書房
[定価]1,700円+税

AI(人工知能)を「予測マシン」と喝破した卓見

このコーナータイトル「DX Book Review」の「DX」とは「デジタル・トランスフォーメーション」のことで、一般的な定義としては「デジタル技術を活用することで、企業や組織のサービス、プロダクト、業務プロセスなどを変革していくこと」とでもなるだろう。このコーナーでは、そのようなDXに関連する本を取り上げていく予定である。

初回に取り上げるのは「予測マシンの世紀 AIが駆動する新たな経済」(早川書房)だ。DXで活用されるデジタル技術には様々なものが含まれるが、その中でもAI(人工知能)は重要なコア技術(最近だと「BigTech」という言い方もある)の一つであることに異論のある方はいないだろう。本書では、そのAIがビジネス、産業そして社会をどう変化させていくかを、経済学の枠組みを用いて分析・予想している。著者達は、トロント大学の「創造的破壊ラボ」の中核を担う3人の経済学者であり、長年にわたってシードステージのテックスタートアップ企業の支援を行ってきた研究者である。

本書の概要については以下のリンク先を参照してほしい。著者の一人であるアジェイ・アグラワル教授の主要メッセージと、本書の簡潔で必要十分な要約が提供されている。

本書では、現在そして近未来のAIは「知能」を実現するには至らず、機能としては「予測」を提供する技術であるとする。ここでいう「予測」とは、本書の定義では「欠落している情報を補充するプロセス」であり、その実際の機能は「『データ』と呼ばれる手持ちの情報に基づいて、新たな情報を生み出していく」ことである。この本の最大の特徴であり、また最大の貢献と言えるのが、「AI」を「予測マシン」と定義したことである。AIという一見とらえどころのない対象を『予測』という機能として定義することで、経済学の分析の対象にしたのである。

ここでいう「経済学の枠組みで分析する」とはどういうことかといえば、一つは予測の「価格変化」のもたらす影響を分析することであり、2つ目は「予測」と他の「財」との間のトレードオフを明らかにすることであり、さらにこれまでの歴史ですでにその影響が分析された既存の「財」と「予測」を比較することで、これから先の変化を予測する際に堅牢な理論的基礎を与えているということである。

AIが提供するのは「予測」であるという定義に戸惑うかもしれないが、例えば「翻訳AI」を例にして考えてみると、現在の翻訳AIは、文章の意味を解析しているわけではなく、「ある言語Xでの単語Aは、別の言語Yでの単語Bに相当する」というマッチングと、「言語Xでの単語Aが出現した場合、その次にくる最も出現頻度が高い単語」を「予測」し、その単語が「言語Yでどの単語に該当するか」を「予測」するというプロセスで翻訳を行っている。また、現在の自動運転では、様々な道路状況や外部環境をすべて情報処理して運転させるというアプローチではなく、実際の人間のドライバーの運転記録を大量に収集・学習することで「このような道路状況・外部環境で、『人間のドライバーなら次にどのような運転行動を行うか』」を「予測」するというアプローチが取られている。つまり、現在の(そしておそらく近未来の)AIが行っているのは「予測」なのである。そして近年、AIの性能向上によりこの「予測」は幅広く利用できるようになりつつあり、そのコストも劇的に低下しているのである。また「予測」の精度・能力も飛躍的に向上している。

「予想」が安くなると何が起きるのか:「補完財」

経済学ではある財の価格が変化したときに、他の財の消費にどのような影響を及ぼすかという特徴によって財を分類する。ある財の価格が上昇(下落)したときに、その財の消費が上昇(下落)する財を「代替財」と呼び、逆に価格が上昇(下落)したときに、その財の消費が下落(上昇)するを「補完財」と呼ぶ。前者の「代替材」は、例えばコーヒーと紅茶のような関係が挙げられる。コーヒーの価格が上昇すれば、コーヒーの消費は減り、その代わりとして紅茶の消費が増えるといった関係である。後者の「補完財」では、コーヒーとミルクがその例となる。コーヒーの価格が下落して、コーヒーの消費が増えれば、それにつれてミルクの価値が上昇する。コーヒーという財は紅茶に対しては「代替材」であり、ミルクに対しては「補完財」として機能する。ある財は、他の財によって「代替材」ともなり、また「補完財」ともなるのである。

そして「予想」もある種の財であるので、その価格が低下すれば「補完財」として価値が高まる財が生まれてくると本書はいう。例えば、自動運転では予測のコスト低下をきっかけに、車の周囲の状況に関するデータを集めるセンサーの価値が高くなった。

そして「予測」の価格低下は新たな補完財の価値を高めることになると本書は予想する。そのような補完財の一つが「判断」である。私達は普段大小問わず様々な意思決定をしている。そしてこの意思決定は普通ある程度の不確実性を持っている。そのため、意思決定には常にある種の「予測」がつきまとう。そして「予測」の結果に基づいて「判断」を行うことになる。これまでは意思決定に関わるような予測は人間によって行われていたため、その価格は高かった。しかし、AIによって実用に耐える精度の予測が安価に手に入るようになれば、「予測」に伴う「判断」の価値が高まるのである。

このような価値変化は実は過去にも様々な場面で起きている。例えば、Excelのようなスプレッドシートが生まれたときのことを例に取る。スプレッドシート誕生以前では、財務分析や収支予測といった膨大な計算量を必要とするタスクは、計算に習熟した限られた専門家の付加価値の高いタスクだった。しかしスプレッドシートが登場して「膨大な計算量」が安価に提供されるようになると、財務分析や収支予測の付加価値は「より多様なシナリオを想定できる能力」にシフトした(モンテカルロ法やリアル・オプションなどの発展もこの文脈に沿った動きと言える)。

ビジネスにより安価な「予測」が提供されるようになると、その「予測」を活用する「判断」の価値が高まるということは、人間の役割の変化も意味するだろう。それまでの「予測」に従事していた人たちはその仕事の価値を奪われるだろう。従来からビジネスの世界で広く行われてきた在庫管理や需要予測といった「予測」タスク自体は予測マシンに代替されていくことが予想される。

一方で「予測」が安価に手に入るようになれば、「予測」のコストが高かったためそれまでは意思決定の領域に入っていなかったタスクに「予測」が利用されるようになるだろう。実際、農地の衛星画像をAIによって分析することで、その年の農作物の出来具合を予測するビジネスはすでに存在している。

「予想」が高精度になると何が起きるのか:「新たなトレードオフが生まれる」

さて、ついで「予測」が高精度になるとどのような影響が出てくるのだろうか。本書ではそれを「新たなトレードオフ」として分析している。経済学の基本的な考え方の一つとして、物事には常にトレードオフが存在するというものがある。たとえば、予測の精度を高めるためにはデータを大量に集める必要があるが、データ収集にはコストがかかるため、無限にデータを集めることはできない。必ずどこかのポイントでコストとベネフィットのバランスを取らなければならない。そしてこのトレードオフに従って現在のビジネスプロセスは構築されている。しかし、許容できるコストで高精度の「予測」が手に入るようになると、現在のトレードオフとは異なるトレードオフが発生する。

本書で挙げられている象徴的な事例がアマゾンのビジネスモデルである。現在のアマゾンはユーザの過去の購買履歴からおすすめの商品を勧めてくれる。「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というあれだ。しかし、現在のアマゾンの商流はあくまで「注文したら出荷する(ショッピング・ゼン・シッピング)」となっている。しかし、もしユーザの購入履歴からその人が次に何を欲しくなるかを高精度に予測できたとしたらどうだろうか。アマゾンはもしかしたら「顧客が欲しくなるだろう商品をあらかじめ発送する(シッピング・ゼン・ショッピング)」というビジネスモデルに転換できる。仮にその商品がほしくないと顧客が判断すれば返品すればいい。そうなるとアマゾンの物流機能も大きく変化するだろう。今のように個別の配達を行うのではなく、定期的に決まったルートを周回し、配送と回収を行う物流に転換するかもしれない。

このように「予測」の精度が劇的に向上することが予想された場合、アマゾンは新たなトレードオフに直面することになる。現在の「在庫を潤沢に持つ倉庫と迅速な配送網」に投資すべきか、それとも「顧客の需要をより正確に予測するAI」に投資するかを考える必要がある。「予測」の質が高まり、ある閾値を超えた段階で、現在とは全く異なるトレードオフに直面することになるのである。

「予測マシン」は金融ビジネスをどのように変えるのか

さて、「予測」の価格低下と精度の向上という2つの影響は、金融ビジネスをどのように変えていくのだろうか。ここから先は私の勝手な妄想である。

まず「予測」が安価になれば単純に金融サービスを提供できる顧客の裾野が広がることが予想される。それまでは採算の合わなかった少額の融資や保険契約といったものが可能になるだろう。この新たな顧客層にはもしかしたら人間以外も含まれるようになるかもしれない。それに伴い、与信プロセスやコンプラ体制といった「補完財」である「判断」にあたるプロセスの価値が一層高まるだろう。特に、アメリカなどですでに問題になっているような性別や特定の属性によって顧客に結果的に差別的で不利な判断を行わないように「予測」の公平性・公正性を維持することの重要性は高まるだろう。

そして、将来的に「予想」の精度が劇的に向上したら、金融はそのビジネスモデルの順序を入れ替えることになるかもしれない。例えば、申し込む以前に口座を開設したり、関連するサービスがすぐに使えたりするようにあらかじめ設定しておくサービスかもしれない。もっと言えば、融資を申し込む前に与信を行っておいて、必要なタイミングには自動的に貸出が行われるようになっているかもしれない。さらに顧客の資産を自動的に適切な(顧客のリスク選好を十分に把握した)ポートフォリオとして運用することかもしれない。このような段階にまで「予測」の精度が向上するかどうかは現時点では不明だが、仮にこのような状況が想定されるなら、金融ビジネスは「事前与信が可能な精度を持つAI」への投資を行うべきか否かというトレードオフを抱えることになる。

そして、現実として、アマゾンはアマゾンマーケットプレイスに出店している出店者に関して事前与信を行っているし、中国のアリババグループのアントフィナンシャルにも同様の機能がある。自動リバランスはロボアドバイザーの売りの機能の一つであり、日常の健康状態や運動量に連動した保険商品もすでに存在する。新たなトレードオフは実は意外と目の前に迫っているのかもしれない。ちなみに、アマゾンは2013年に「予測発送」の特許を米国で取得している。

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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