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「価格」とDX(7・終):「価格」から「データリッチ市場」へのシフト―『データ資本主義』

2020/04/03

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価格シリーズの最後は『データ資本主義』を取り上げる。これまでは「価格」が果たす様々な役割や機能を見てきた。中には『ラディカル・マーケット』のように、価格にさらなる役割をもたせる議論もあったが、本書は「価格」という限られた情報だけで取引を行うことの限界を唱え、より多元的な情報に基づく取引を可能にする「データリッチ市場」を提言している。そこでは「価格」は取引を行う際の目安の一つに過ぎなくなる。そしてこの「データリッチ市場」は、貨幣、企業、市場の役割や存在意義を大きく変える。この波は金融にも大きな(そして厳しい)変化をもたらすだろう。

■データ資本主義

[著]ビクター・マイヤー=ショーンベルガー 、トーマス・ランジ
[翻訳]斎藤 栄一郎
[発行日]2019年3月22日発行
[出版社]NTT出版
[定価]2,700円+税

「価格」と「貨幣」の蜜月関係

さて、本シリーズは「価格」について色々と見てきたわけだが、最後に「価格」のみに依存しない経済システムについての考察が展開されている『データ資本主義』を取り上げる。

そもそも「価格」は、その商品やサービスの様々な要素(質であったり、希少度であったり、その他諸々)を単純化・集約したものである。市場で取引される際に「価格」という単一の評価尺度があることで取引は単純化される。例えば100円のりんごと、500円のりんごがあれば、500円のりんごは何かしら希少性が高い商品なんだろうなと想像がつく。また100円のりんごと100円のみかんがあれば、自分はりんごとみかんのどちらをより欲しいと思うかが決められる。つまり価格はその人の選好を判断する基準としても機能する。

そしてその「価格」を取引の尺度として用いるのと同時に、その交換手段として「貨幣」が用いられてきた。これは物々交換の煩雑さを想像すればよくわかる(とはいえ貨幣登場以前に、物々交換市場がその機能を果たしていたというのはある種の神話らしいという研究結果もある)。価格をその財に関する「情報」だとみなせば、「貨幣」はその情報を伝達する「メディア」ということもできる。

このように「価格」と「貨幣」はこれまでの市場で大きな役割を果たしてきており、実際、このメカニズムのもとで人類は急速な発展を遂げてきた。しかし、と著者は言う。この「価格」と「貨幣」というシステムは「妥協の産物」に過ぎないのだ、と。

「市場」の本来の機能と人間の限界

商品やサービスが取引される場を「市場」と呼ぶ。市場の本来の機能を一言でいえば「限られた資源を最も効率的に分配する」というものだ。そしてこのような効率的な市場が成立するには「自由な参加」「公平性」「透明性」といった条件が不可欠である。そして著者は「効率的な市場」には、もう一つ重要な要素が必要だという。それが「データの円滑な流通」である。

「それは価格が担ってきたんじゃないの?」というのが当然の反応だろう。しかし、著者は「価格は様々な次元の情報を過度に集約しすぎている」という。極端な「価格」の失敗例として、同書ではリーマン・ショックの引き金となったサブプライムローンを引き合いに出す。このサブプライムローンは、本来であれば全く異なる借主と担保物権の集合体であり、単純に一つの価格に集約できるはずのものではない。しかし、リスク度合いによって債権を集約し、さらに分割することで、あたかもリスクに応じた価格を持つ「金融商品」が生み出されたような錯覚を持ってしまったのである。

ではなぜ現在の市場では「価格」という単一尺度を利用しているのだろうか。その理由は取引コストにある。市場で取引される様々な商品は本来多様な特徴を持っており、それぞれの特徴を比較し、自分の好みにもっとも近い商品を選ぶのが理想である。しかし、これは言うのは簡単だが実行するのは非常に難しい。これはスーパーの商品棚を見ても実感できるだろう。多様すぎる商品と多様すぎる情報は人間の認知能力を超えてしまう。

さらに、人間には「認知バイアス」というやっかいな脳のバグを持っている。「アンカリング効果」や「双曲割引」といった人間の認知の歪みをうまく利用した価格戦略の事例は本シリーズの第一回でとりあげた『価格の心理学』でも数多く紹介されている。

市場が本来の機能を最大限発揮できるためには「データの円滑な流通」が必要だが、それは人間の認知能力の限界という制約に縛られている。そのため、妥協の産物として「価格」という過度に単純化された尺度を利用しているのである。

「市場」を「データリッチ市場」に再構築する

さて、著者は「価格」と「貨幣」で単純化された市場を、もっと「リッチ」な市場に再構築すべきだという。そこには大前提としてインターネットの普及がある。しかし、現在のオンラインマーケットでも、まだまだ「価格」が主体の市場となっているという。本来の市場の機能つまり「希少な資源の最適な配分」を達成するには、様々な商品が持つ多様な情報を集約せずにそのまま流通させるべきだというのである。そしてそのためには次の3つの要素技術の高度化が必要だとする。

1. 商品やサービスを比較検討できる「標準言語」の確立

この要素技術は2つの段階に分けられる。最初は、それぞれの商品やサービスの内容を示す情報それぞれにラベルをつけ(サイズ、材質、色、形などなど)、さらにその商品が所属するカテゴリーを厳密に定めるというものである(例えば「家具」の「リビング」の「収納」の「すき間向け」の「木製」の・・・といったカテゴライズ)。このような分類を「オントロジー」と呼ぶ。そして次のステップでは、これらのラベルとカテゴリーを業界で標準化し、検索や比較を容易にすることが必要となる。

これは非常に困難な作業だ。実際、書籍では様々な書誌情報が構造化されており、検索するのは非常に簡単だ。一方で、YouTubeの動画を検索してもドンピシャの動画が出てくる可能性はまだまだ低い。しかし、現在急速に発展している機械学習を用いれば、このオントロジーが実用可能になるかもしれない。

2. 高度なマッチング・アルゴリズム

商品の比較検討が可能になる分類ができたとして、次に必要になるのが自分の好み・ニーズとあった商品やサービスを探してくれる機能である。そしてこの機能はおそらく人間ではなく機械が提供するようになるだろう。ここではこの機能をマッチング・アルゴリズムと呼ぶ。すでに実用化されているマッチング・アルゴリズムは多数ある。Amazonでは「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というのも一つのマッチング・アルゴリズムだし、音楽サブスクのSpotifyは延々とおすすめリストを更新して音楽を流し続けてくれる。このようなマッチング・アルゴリズムがより進化したものが必要になる。

3. 自分の好みを継続的に学習する仕組み

さて上のマッチング・アルゴリズムは既にあると言ったが、現状のものが完成形というわけではない。我々の好みやニーズは日々変わっていくだろうし、商品も変わっていくだろう。その意味では、マッチング・アルゴリズムもこちらの好みを継続的に学習して、より好みを正確に反映してくれる必要がある。

そのためにはマッチング・アルゴリズムに対してフィードバックを行える環境が重要である。実際、Amazonのおすすめにはそのおすすめ結果を調整する機能がついている。自分の購入履歴のなかでも特に好きな本に高い評価をつけたり、たいして面白くもなかった本は低評価にしたりなどといった調整を通じて、Amazonのおすすめはより自分の好みに近いものになるだろう。しかし、わざわざこのような調整をせずとも、ある程度自動的にこちらの好みをフィードバックできる環境がそのうち構築されるだろう。IoTというと大げさだが、一度買った家電がどの程度利用されているのかとか、kindleで買った本はどの程度読まれているのか(最後まで読んだのか、途中で放り出されているのか)といった情報は重要なフィードバックになるだろう。

この3つの要素技術が実用化されれば、市場には大量のデータが円滑に流通するようになる。それが「データリッチ市場」である。このデータリッチ市場では、もう価格だけで商品を選ぶことはない。例えばシャツを一枚買うにしても、自分の好みをわかった上で、さらにワードローブの中身を検討してくれた上で、しかも環境に優しい商品を自動で勧めてくれるようになるだろう(当然、サイズもぴったりだ)。実際、日本のサブスク衣料サービスである「AirCloset」では、自分のワードローブの写真を送れば、スタイリストがワードローブにあった服を勧めてくれるサービスがある。これが自動化された将来を想像してもらえばいい。

そしてこのデータリッチ市場は「市場」を革新する。とすれば、その革新の影で破壊される存在も出てくるだろう。その代表的なものが「企業」と「金融資本」である。

データリッチ市場がもたらす「破壊」:企業

データリッチ市場がもたらす破壊の一つは「企業」に対するものである。そもそも「企業」は「市場」の限界を解消するために発明されたものだと言える。市場は一般的に意思決定が分権化されており(誰でも自由に売買を決められる)、参加者は平等であり、そして情報は「価格」という集約された尺度だけが与えられていた。しかし市場の機能が貧弱だった時代、このような市場の特性は継続的かつ大規模な事業を行うには不向きだった。そこで発明されたのが「企業」というコンセプトである。

企業は意思決定が集権化されており、組織も階層化されている。そして、各階層で様々な情報が集約され、最終的には経営層によって意思決定がなされる。このような「企業」では、取引に関わるコストや不確実性を抑え、意思決定を効率化することが可能であった。しかし、データリッチ市場が本格化すると、この集権化・階層化された意思決定の優位性がなくなってしまうことが考えられる。実際、標準化可能な業務を外部に切り出すアウトソーシングが既に大規模に活用されていることを考えると、さらなる意思決定の「標準化」が進むのは必然だろう。

さて、では「破壊」されるかもしれない企業はどう振る舞うべきなのだろうか。著者は2つの選択肢を提示している。一つは「意思決定を自動化する組織」である。これは比較的単純な業務を限りなく自動化し、複雑な意思決定のみは人間が下す組織である。現在多くの企業が定型業務にAIやRPAを導入しているが、その対応の方向性はこちらの選択肢だろう。そしてもう一つの道が「企業の『市場化』」である。こちらは、組織をフラットかつオープンにし、必要なリソースは社内外を問わず「市場」で調達する組織形態を指す。この場合、すでに組織は階層構造ではなく、分権化されたチームの集合体(そして構成メンバーも社内・社外のメンバーが混在しているだろう)となる。この後者の組織形態の代表例として音楽サブスクサービスのSpotifyが挙げられているのは面白い(詳細は本書のpp.140-146を参照)。

日本企業の多くは(いやまだ少数は?)前者の道を選んでいるように見える。さて、どうなるだろうか。

データリッチ市場がもたらす「破壊」:金融資本

データリッチ市場が破壊するもう一つは「金融資本」である。順を追って見ていこう。

まず、データリッチ市場では「価格」は価値評価の一要素に過ぎなくなる。そして価値の伝達手段としての「価格」の役割は低下していく。言い換えれば「株価」という「価格」の役割が低下していくのである。それよりもその組織(企業)のリッチなデータをもとに、自分の信念やニーズに沿った企業をマッチング・アルゴリズムが推奨してくれるようになるだろう。そこではEPSや配当率といった「株価」を基準とした指標ではなく、企業の経営理念や環境負荷といったより多様な価値観が反映された意思決定が行われるようになる。そして実際にこのような動きは一部FinTechスタートアップが狙う市場として顕在化している。

一つはクラウド会計である。日々の企業の活動が会計データとしてクラウド上にリアルタイムに反映されるようになると、資金調達の手法は大きく変わる。実際、クラウド会計のデータをもとに素早い貸し出しを行うトランザクションレンディングは大きく成長している市場である。またクラウドファンディングなども、その商品やサービスのコンセプトへの共感によって資金調達を可能にしているプラットフォームである。また、個人向けの資金管理サービス(PFM:パーソナルフィナンシャルマネジメント)でも、個々人の資産状況に応じた投資助言や金融商品の仲介などが既に当たり前になりつつある。日本でも新たに「金融仲介業」という新業態が誕生しようとしている。データリッチ市場は金融資本の位置領域を確実に置き換えようとしている。

もう一つは、「貨幣」の地位低下による決済サービスの地盤沈下である。これまで銀行はあらゆる決済行為の最終的なゲートウエイだった。その意味で、価格と貨幣に代表される「古い市場」での情報はとにもかくにも集約できる主体であった。しかし、貨幣の役割が低下していく中、「貨幣」を通過しない様々な決済サービスが生まれつつある。この動きが加速すれば、銀行は様々な情報が既に抜き取られたあとの抜け殻である「決済」を処理する単なる「土管」になりかねない。

この動きを加速させる要因も既に存在する。EUのPSD2とそれと同様の効果を狙った改正銀行法によるオープンAPIは、銀行が握っていた「価格」と「貨幣」の情報集約機能を外部に公開させるものだと言える。そして、この流れはおそらく逆回転させることは難しいだろう。金融機関は「データリッチ市場」にどう対応していくのかという難しい課題を考えることが求められている。

さて、ここまで7回にわたって「価格」というコンセプトをめぐるいろいろな側面を見てきた。次回以降は・・・と言いたいところだが、しばらくは新型コロナウイルスへの対処に関する論考を優先したい。しばらくは更新頻度が落ちるかもしれない。気長にお待ちいただきたい。

なお、NRIでは以下のサイトに新型コロナウイルス対策の緊急提言を随時発信している。ぜひご覧頂きたい。
新型コロナウイルス対策緊急提言

執筆者情報

  • 柏木 亮二

    金融イノベーション研究部

    上級研究員

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