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鉄鋼・アルミの関税率50%への引き上げで日本の対米鉄鋼輸出額は年間1,145億円程度減少

トランプ米大統領は3日に、鉄鋼・アルミニウム関税を25%から50%へ正式に引き上げる大統領令に署名した。大統領令では、従来の関税のもとでは国防需要に必要な生産稼働率を実現し維持することができなかったと、関税率引き上げの理由が説明されている。また、「関税を引き上げることで、これらの産業への支援を強化し、鉄鋼およびアルミニウム製品ならびにその派生品の輸入がもたらす国家安全保障上の脅威を低減または排除できる」と記された。
 
昨年の日本から米国への鉄鋼輸出額は3,027億円、アルミニウムは245億円だった。既に課されている25%の関税によって対米鉄鋼・アルミ輸出額は概ね1年間で573億円程度減少すると試算される。関税率が50%に引き上げられれば、輸出額は概ね1年間でその倍の1,145億円減少する計算だ。年間名目GDPへのマイナス効果は-0.01%から-0.02%に拡大する。現在の追加関税が日本のGDPに与える影響は-0.46%から-0.47%へとわずかに拡大する計算となる(コラム「日本製鉄によるUSスチール買収の成否が最終段階へ:鉄鋼への関税率を50%へ引き上げ」、2025年6月2日」。

トランプ大統領は関税政策姿勢を再び硬化か

トランプ大統領が一方的に関税を課す権限を巡っては、米国際貿易裁判所が1977年の国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく相互関税などの発動は違法との判断を下したことで、その法的根拠が問われている(コラム「相互関税に違法判決:トランプ関税に司法の壁」、2025年5月29日)。鉄鋼・アルミニウムへの関税は通商法223条に基づくものであり、今回の違法判決の対象ではない。

しかし、通商法223条に基づき米国の安全保障上のリスクを理由に、すべての輸入鉄鋼・アルミニウムに50%の関税をかけることもまた十分な法的根拠を欠いている。IEEPAに基づく相互関税の違法性が最高裁で確定するとしてもそれは数年も先のことであり、トランプ大統領の任期後である可能性も考えられる。また、トランプ政権は、相互関税の根拠法をこのIEEPAから通商法や関税法などに変更するかもしれない。そのため、今回の米国際貿易裁判所での違法判決によって、トランプ政権の関税策がすぐに行き詰まる訳ではない。

他方、米中間の関税率を大幅に引き下げた5月の米中貿易合意でトランプ関税策は修正に向かうとの見方も生じたが、その後、EUに50%の関税を課す考えを示す、中国への輸出規制措置を強化する(コラム「米中貿易合意は崩壊の危機か:半導体とレアアースを巡る覇権争い」、2025年6月4日)、鉄鋼・アルミニウムの関税率を50%に引き上げるなど、関税を巡るトランプ大統領の強硬姿勢が再び目立ち始めている。

米中貿易合意以降、関税政策を巡るトランプ大統領の弱気姿勢を指摘するTACO(Trump Always Chickens Out「トランプはいつも尻込みする」)という言葉が広まっている。これに対する反発が、トランプ大統領の姿勢をより硬化させる要因の一つになっている可能性もある。

日本製鉄によるUSスチール買収計画の承認期限が6月6日に

トランプ米大統領は3日に、鉄鋼・アルミニウム関税を25%から50%に正式に引き上げることを突然発表したのは、米国時間5月30日にペンシルバニア州ピッツバーグにあるUSスチールの製鉄所の集会での演説だった。なぜこの場で発表したのかは明らかではないが、この発表と6月6日に期限を迎える日本製鉄によるUSスチール買収計画に対する大統領判断とが関係している可能性もあるのではないか。
 
日本製鉄によるUSスチール買収については、バイデン前政権下から米国第2位のクリーブランド・クリフス社は強く反対してきた。日本製鉄が米国市場で大幅にシェアを拡大することを恐れたためだ。関税率引き上げは、米国の鉄鋼会社の米国内市場での輸入品に対する競争力を高め、そうした懸念を和らげる配慮かもしれない。
 
そうだとすれば、トランプ大統領が買収承認に傾いていることの1つの証左である可能性もある。その場合、100%の株式取得によるUSスチールの完全子会社化、あるいは過半数の株式取得を日本製鉄に認める考えであるのかもしれない。
 
ただし実際のところはまだ分からない。大統領が買収を認めるか認めないかの判断を示す期限は目前に迫っている。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。