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日米関税合意で日銀の利上げ時期が前倒しされるとの観測が強まる

日本時間7月23日に発表された日米関税合意は、日本の金融市場の景況感を改善し、直後に大幅な株高を生じさせた。さらに、金融市場では日本銀行の利上げ期待を高めることにもなった。同日の記者会見で内田副総裁は合意を「大きな前進」と評価したこともそれを後押しし、次回の利上げの時期についての市場のコンセンサスは年明けから年内へと前倒しされた感がある。

しかし、実際には合意が日本銀行の利上げ時期に与える影響は、それほど大きいものとは言えないのではないか。一部には9月の決定会合での利上げを見込む向きもあるが、その可能性は高くないだろう。筆者は今年12月の利上げという従来からの見方を維持する。

日銀が早期の利上げに慎重な4つの理由

日米関税合意後も、日本銀行が利上げ実施に慎重な基本姿勢は当面は変わらないのではないか。その理由は第1に、日米関税合意によって相互関税、自動車関税は25%から15%に引き下げられたが、それでも日本経済への打撃は避けられない。関税率がもっと引き下げられる、あるいは撤廃されることを期待していた企業にとっては失望感のある合意内容であり、景況感に悪影響を生じさせる(コラム「15%の相互関税・自動車関税で日米が合意:妥協の産物で経済への打撃は相応に残る」、2025年7月23日)。

第2に、合意を巡る日米間の認識のずれは大きい。5500億ドルの対米投資計画について、特にその傾向が強い(コラム「日米関税合意は対米貿易黒字を6.2兆円削減する計算だが黒字解消には至らない:トランプ政権による対日圧力はなお続く」2025年7月24日、「日米関税合意とホワイトハウスのファクトシートの問題点」2025年7月25日)。そのため、トランプ政権が日本は合意内容を履行していないとし、関税率を25%などへ引き上げる可能性がなお残されている。

第3に、米国と欧州連合(EU)、カナダ、メキシコなど主要国との間の関税協議は続いている。中国との間の協議もなお流動的な面が残る。これらの国との間の協議の行方次第で、トランプ関税が海外経済に与える影響は変わってくる。日本銀行は、関税が日本に与える直接的な影響のみならず、海外経済に与える影響を今後も見極める必要がある。

内田副総裁も23日の講演会で以下のように述べている。「(日米合意は)非常に大きな前進であり日本企業にとっては不確実性が低下したということではありますが、世界経済全体、日本経済全体にとっての不確実性は引き続き高いというふうに思います」。

植田総裁も6月17日の決定会合後の記者会見で、以下のように述べている。「更に通商政策がどこかのレベル内容で落ち着いたとしても、それが経済にどういう影響を及ぼしていくかということについての不確実性もきわめて高いというふうに考えています」。これらの発言は、日米関税合意が追加利上げに直接結びつく訳ではないとの日本銀行の認識を示すものだ。

第4は参院選後の不安定な政治情勢だ。与党の大敗によって、概して日本銀行の利上げに批判的な野党の影響力が高まったことは、日本銀行の利上げに一定程度の制約となる。また、石破首相が辞任に追い込まれ、自民党内で日本銀行の利上げにより否定的な人物が総裁に選出されれば、利上げの大きな制約となる可能性がある。

「不確実性はきわめて高く」との表現が修正されるかに注目

7月30・31日の次回金融政策決定会合では、追加利上げは見送られる可能性が高いが、金融市場は日米合意を受けて日本銀行の金融政策姿勢に変化が生じているかを確認するだろう。

最も注目したいのは、当面利上げを実施しないという日本銀行の意向を示してきた「不確実性はきわめて高く」との表現が修正されるかどうかである。「きわめて」が削除され「不確実性は高く」、あるいは「不確実性は残る」などの表現にトーンダウンされる可能性を見ておきたい。その場合、日本銀行の早期利上げ観測が金融市場でもう一段強まる可能性もあるだろう。

既に述べたように、今回の日米関税合意のみで利上げ時期が大幅に前倒しされる可能性は高くないと考える。ただし仮に9月あるいは10月に実施されるとすれば、関税が米国経済に与える悪影響や日本が景気後退に陥る兆候が明確に表れる前に、日本銀行が追加利上げを実施したいと考える、つまり「上げられるときに上げる」との戦略を採用するケースだろう。リスクシナリオとしては考慮しておきたい。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。