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円安によって歴史的な物価高が沈静化する時期が後ずれ

今年1月から5月まで、消費者物価上昇率(除く生鮮食品)は前年同月比1%台を続けており、過去数年にわたる歴史的な物価高には一巡感がみられ始めている。これは、ガソリン暫定税率の廃止、電気ガス補助金といった一時的な物価押し下げ要因によるところもあるが、それ以上に、円安を受けた食料品などの値上げの動きが鈍化し始めたことによるだろう。
 
内閣府の「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」によると、10%の円安が生じる際には、即座に物価(個人消費デフレータ)は+0.16%程度押し上げられる。その後しばらくは、さらなる物価押し上げ効果は目立ってみられないが、2年後から再び物価押し上げ効果が高まっていき、3年後までには累積で+0.27%程度に達する。円安によって即座に上昇するのは、ガソリンなど燃料価格だろう。そして、平均して2年程度経ってから、食料品を中心に、円安による原材料価格の上昇分が価格転嫁されていくとみられる。
 
ドル円レートは2022年年初の1ドル115円程度から、2024年には1ドル160円程度にまで円安が進んだが、その後はさらなる円安には歯止めがかかっていた。そのため、2026年に入ってからは円安を受けた食料品などの値上げの動きが鈍化し始めたものとみられる。
 
物価上昇率に頭打ちの傾向がみられ始めた直後に生じたのが、中東情勢の緊迫化を受けた原油価格の高騰だ。6月に入ってから原油価格は大幅に低下したが、それ以前の原油価格高騰の影響が遅れて表面化することから、7月から10月にかけてはナフサ由来の製品を中心に、物価上昇は本格化するとみられる。ただし、その動きも、年末以降には鈍化傾向がみられると考えられる。
 
しかし、円安がさらに進めば、再び物価上昇圧力は強まり、歴史的な物価高が沈静化する時期が後ずれし、個人消費への打撃が続くことになってしまう。円安による物価高は、通貨の価値を薄めてしまうことから円安要因となる。その円安がさらに物価高を生じさせるという形で、円安と物価高の連鎖が生じているのが過去数年間の特徴だ。

10%の円安で物価は0.27%上昇、家計負担増は年間1万2千円に

既出の内閣府の「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」によると、10%の円安は3年後の物価(個人消費デフレータ)を0.27%押し上げる。
 
一方、家計調査統計によると、4人世帯の2025年の消費支出は、月間平均で37万2,911円、年間で447万4,932円である。10%の円安によって物価が0.27%上昇する場合、同じ消費行動を続けても消費支出額はその0.27%分だけ増加する。それを円安、物価高による家計負担増と考えると、その金額は年間1万2,082円となる。
 
当面のところ、円安に弾みがつく場合には1ドル170円程度まで円安が進む可能性を見ておきたい。ドル円レートが1ドル160円から170円に6.3%円安が進む場合、家計負担増は7,551円となる。
 
さらに、急速な円安が始まった2022年年初の1ドル115円程度から足もとの1ドル160円程度までの39.1%の円安によって、家計の負担は4万7,241円増加した計算となる(2022年以降円安が進まなかった場合と比較した場合の、2026年の年間家計負担増の試算値)。
 
ちなみに、これは、食料品の消費税率を0%まで下げた場合の1年間の家計負担減少額7万1,460円、1%まで下げた場合の6万2,528円のそれぞれ66.1%、75.6%の規模となる。 
 
最近の円安は、家計の大きな負担となっている。円安がさらに進む場合には、その負担は一段と増加し、原油高の影響と併せて考えた場合には、食料品の消費税率引き下げなど物価高対策によっても容易に緩和できなくなる可能性が考えられる。

政府自らが高める円安リスク

4月末から5月にかけての1か月間で、政府は1ドル160円程度の防衛ラインを意識して、約11.7兆円の巨額のドル売り円買い介入を実施した。しかしそれによる円安修正効果は長くは続かず、先週には1ドル163円近くまで円安が進んだ。
 
政府は近い将来に、ドル売り円買い介入を再び実施する可能性は比較的高いとみられるが、それでも円安に歯止めをかけることができるかどうかは不確実だ(コラム「予想外に下振れた6月米雇用統計と為替介入の観測」、2026年7月3日)。悪いケースでは、1ドル170円程度まで円安が進み、政府の防衛ラインは1ドル160円程度から170円程度へと、10円程度後退を余儀なくされる可能性もあるのではないか。
 
足もとで目立ったドル高円安要因となっているのは、米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げ観測である。ただし、日本政府の政策が円安リスクを高めている面もある。それは、日本銀行の利上げ牽制と財政悪化だ。
 
先週は、骨太の方針の原案に、日本銀行の利上げを牽制する趣旨に見える文言が入るとの報道が、日本銀行の利上げ後ずれ観測を高め、円安圧力を生じさせた(コラム「骨太の方針原案で明らかになる政府による日本銀行の利上げ牽制姿勢と円安進行リスク」、2026年7月1日)。また利上げが遅れることで先行きの物価上昇率が上振れるとの観測から債券安(長期金利上昇)を生じさせた。
 
さらに、政府は食料品の消費税率引き下げや17分野の官民投資を進める方針を示す一方、その財源についての具体的な説明がなされないこと、また、17分野の官民投資については政府支出をどの程度増加させるかについての見通しも明確に示されないこと、財政健全化目標を見直すことなどを受けて、金融市場では財政悪化懸念が高まり、やはり円安と債券安が同時に進んでいる面がある(コラム「緩められる財政健全化目標と財政規律」、2026年7月3日、「消費税減税の財源問題先送り:金融市場の財政懸念を高めるリスク」、2026年6月29日、「戦略17分野の官民投資:従来の産業政策の枠を超える過剰な国家関与と財政悪化が懸念される」、2026年6月25日)。
 
政府は為替介入あるいは口先介入で円安を食い止めようとする一方、このようにして自ら円安リスクを高める、という矛盾した行動を見せているのである。

円安阻止に向けて政府と日本銀行が緊密に連携できる政治環境にはない

為替介入の規模は為替取引全体からすると僅かであり、為替市場の方向性に大きな影響を与えることは通常では難しい。為替介入は、それによって時間を稼いでいる間に、経済ファンダメンタルズが変化して為替が望ましい方向に動くことを期待する、他力本願の「時間を買う」政策だ。
 
ただし、政府の為替介入と日本銀行の金融政策が緊密に連携すれば、円安阻止に一定の効果を発揮できると考えられる。しかし、高市首相は円安のメリットに注目し、円安を食い止める強い意志を欠くように見える。他方、景気への悪影響を警戒して日本銀行の利上げを牽制しているとみられる。
 
そのため、現在は、円安阻止に向けて政府と日本銀行が緊密に連携できる政治環境にはなく、この点は金融市場にも見透かされているだろう。円安阻止に向けては、政府が積極財政政策を修正すること、日本銀行の利上げを牽制するのをやめることが一定程度は効果を発揮するのではないか。
 
ドル円レートの均衡水準は1ドル120円~130円と考えられる。しかし、現在の過度な円安がその水準まで修正されるまでには、4年~5年の時間を要するのではないか。ひとたび高まった中長期の物価上昇懸念が解消されるには時間がかかるためだ。
 
仮に、短期的にドル高円安が大きく修正されることがあるとすれば、それはFRBの利上げ観測の後退など、米国側の要因によって主に引き起こされるだろう。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。