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「シャドー・トレーディング」は違法なインサイダー取引か?

2024/04/15

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特定の上場会社に関する重要な未公表情報を入手した者が、当該会社の株式等を取引する行為は、違法なインサイダー取引として規制されている。例えば、上場会社甲社の社員が、甲社が同じ業界の大手企業乙社によって買収されることになったという事実を知って、当該事実が公表されれば値上がりすることが見込まれる甲社の株式を買付ければ、違法なインサイダー取引の典型例として処罰されるだろう。

しかし、このほど米国では、甲社が乙社によって買収されることを知って、甲社ではなく、別の上場会社丙社の株式を買付ける行為も違法なインサイダー取引となり得るという判断が、裁判所で示された。

インサイダー取引と認定されたシャドー・トレーディング

2024年4月5日、カリフォルニア州北地区連邦地方裁判所で審理されている証券取引委員会(SEC)がマシュー・パニュワット(Matthew Panuwat)氏を相手取って提起した訴訟(注1)(以下、本件訴訟)において、被告パニュワット氏(以下、P氏)が自分の勤務先であったバイオ製薬会社メディベーション(Medivation)社(以下、M社)が、大手製薬会社ファイザーによって買収されることになったという未公表情報をM社CEOからの電子メールによって知り、M社の同業他社であるインサイト(Incyte)社(以下、I社)の個別株オプションを買付けた行為が、違法なインサイダー取引にあたるとする評決が陪審員団によって下されたのである。

米国では、特定の上場会社に関する重要な未公表情報を入手した者が、インサイダー取引規制の適用を回避するために、当該会社の株式等ではなく、当該会社と経済的にリンクしている他の上場会社の株式等を取引して利益を得る行為が横行しているとの指摘があり、「シャドー・トレーディング(shadow trading)」と呼び習わされている。シャドー・トレーディングは、例えば業種別株価指数と連動する上場投資信託(ETF)の売買などで行われているとの指摘があったが、裁判所で違法行為に該当するという認定がなされたのは、本件訴訟が初めてである。

なお、米国では、日本と同様にインサイダー取引を行った者が刑事訴追され、懲役刑や罰金刑を科されることもあるが、本件訴訟のように、SECが民事制裁金の支払いや将来にわたる違法行為の差し止めを求める民事訴訟を提起するという形で、インサイダー取引に関する責任追及が行われることも少なくない。

事案の概要

SECの訴状によれば、P氏は、事件当時、M社の事業開発担当社員であったが、大学の学部と大学院で生物学と薬学の学位を取得していたほか、トップクラスのビジネススクールでMBAも取得しており、2014年にM社に入社する以前には投資銀行でヘルスケア関連の投資銀行業務を手掛けた経験もあった。

P氏が、ファイザーによるM社買収に関するCEOからの電子メールを受領したのは2016年4月18日のことであり、P氏は、メール受信の数分後には、職場のPCを用いて行使価格が株式の時価を上回るアウト・オブ・ザ・マネーの状態となっていたI社のコール(購入)オプションを買付けた。I社はM社と同様に時価総額では中規模のバイオ製薬会社で、M社と同様に腫瘍病をターゲットとした新薬の開発実績を有していた。

2016年8月22日、M社は同社がファイザーによって買収されること、ファイザーによる株式公開買付け(TOB)の価格は時価を相当程度上回ることを公表した。この日M社の株価は約20%上昇し、I社の株価も約8%上昇した。P氏が取得した個別株オプションは価値が倍増し、P氏は10万7,066ドルの利益を得た。

インサイダー取引をめぐる法令と判例理論

SECは、上述のようなP氏の行為が、1934年証券取引所法10条(b)項及びSEC規則10b-5で禁じられているインサイダー取引にあたると主張した。なお、証券取引所法10条(b)項は、SECが定める規則に違反して証券の売買に関連した「相場操縦的あるいは詐欺的手段(manipulative or deceptive device)」を用いることを禁じる規定である。また、同項の規定に基づいて定められたSEC規則10b-5は、証券の売買に関連した「欺罔のための手段、計画または技巧」を用いることを禁じており、日本の金融商品取引法(以下、金商法)の不公正取引を禁じる一般規定(金商法157条)の母法とされる規定である。

米国のインサイダー取引規制は、SEC規則10b-5という抽象度の高い規定の適用をめぐるSECの審決や連邦裁判所の判例の蓄積によって形成されてきた。こうした判例法によるインサイダー取引規制を支える理論は、時代とともに変遷を遂げてきた。近年では、特定の上場会社に関する重要な未公表情報を知った者が、当該情報の情報源に対して負う信頼義務に違反して、当該情報を不正流用(misappropriate)したことをインサイダー取引責任の根拠として位置づける不正流用理論(misappropriation theory)が、支配的な判例理論となっている。

SECの主張

SECは、この不正流用理論に立脚しながら、P氏の行為は、M社CEOから得たM社に関する重要な未公表情報を情報源であるM社CEOに対する信頼義務に違反して、M社の競合他社であるI社関連の証券の売買のために不正に流用した行為であり、規則10b-5によって禁じられる違法なインサイダー取引であると主張した。

こうしたSECの主張は、不正流用理論という判例理論に依拠するものとはいえ、これまでのインサイダー取引規制の射程を大幅に拡大するものである。従来の判例理論では、インサイダー取引に利用される重要な未公表情報は、あくまで取引対象とされた株式等の発行会社に関する情報であることが、いわば当然の前提とされていた。これに対して本件訴訟では、M社に関する重要な未公表情報を入手したP氏が、当該情報が公表されればM社と同様に大手製薬会社による買収のターゲットとなることも想定されるため株価の上昇が期待されるI社の株式に係る個別株オプションを取引したことがインサイダー取引にあたるとされた点が、大きく異なっている。

SECは、P氏がM社への入社時に同意したM社のインサイダー取引指針では、職務上入手したM社に関する機密情報をM社の利益以外のためには用いないことを求めており、M社の発行する証券やM社以外の「重要な協力会社、顧客、パートナー、供給者、または競合他社」である上場会社の発行する証券等の売買によって利益を得ることは違法であると述べていることを指摘する。つまり、P氏はM社に関する機密情報を競合他社であるI社の個別株オプションの取引に利用することがM社によって禁じられていることを認識していたというのである。こうした指摘は、P氏が重要な未公表情報を不正に流用したというSECの主張を裏付けるものとなり得るだろう。

またSECは、「M社がファイザーによって買収される」という情報は、M社株式の投資判断に著しい影響を及ぼすという意味で「重要な(material)」な情報であるばかりでなく、M社と同様に腫瘍病分野で既に連邦食品医薬品局(FDA)の認可を得た新薬製造実績があり、時価総額規模もM社と同様に中規模であるI社株式の投資判断にも著しい影響を及ぼす重要な情報であったと主張する。

そして、M社の戦略アドバイザーとなっていた投資銀行によるプレゼンテーションの中でM社と競合他社の比較分析が行われ、とりわけI社がM社と共通点が多いとの指摘がなされ、当該プレゼンテーションの内容をP氏が知っていたこと、P氏は大手製薬会社が腫瘍病治療薬で実績のある中堅製薬会社の買収を経営戦略上の選択肢として検討しており、そのターゲットとなり得る会社はM社、I社など数社に限られており、両社のいずれかが買収されれば、残りの1社が次の買収ターゲットとなる可能性が高まって株価上昇が期待されることなどを認識していたことなどを指摘したのである。

本件訴訟の意義と今後の課題

本件訴訟は本稿執筆時点では終局していないが、陪審員団の評決は拘束力を有するため、P氏のインサイダー取引責任を認める判決が出されることは確実である。もちろんP氏側が判決に対して上訴する可能性もあり、今回の評決で直ちにシャドー・トレーディングへのインサイダー取引規制の適用が判例法の一部となったとまでは言えないが、画期的な判断が下されたことは間違いない。

陪審員団の評決を受けてSECの法規執行局長が発表した声明は、「本件には何も新奇な点はなく、陪審員はこれが純粋に単純なインサイダー取引であるということに同意した」と述べるが(注2)、それはあくまで平静を装ったポーズとも言うべきものであり、進行中の訴訟に関してそのような声明を公表したこと自体、SECが今回の評決の意義を高く評価していることを示すものといえよう。

仮にシャドー・トレーディングをインサイダー取引として規制する方向性が定着するとすれば、大きな課題となるのは、特定の上場会社に関する重要な未公表情報を利用した違法な取引といえる取引の範囲をどこまでとするか、換言すれば特定の上場会社と経済的にリンクする発行会社や証券の範囲をどうやって限定するかであろう。

本件訴訟とは異なる文脈ではあるが、特定の上場会社の株式が組み入れられ、相当程度の割合を占めている業種別株価指数に連動するETFといったケースについては、シャドー・トレーディングへのインサイダー取引規制の適用が、比較的理解を得やすいのではないかと思われる。特定の企業グループに属する上場会社群に特化した投資を行う投資信託といったケースも、同じであろう。本件訴訟についても、「大手の合併により業界再編期待が盛り上がり関連銘柄が上がる、という現象」であって市場で「ときどき見られ」るものだと、一定の理解を示す見解もある(注3)。

とはいえ、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な連想から行われる取引にまで、経済的なリンクがあるとしてインサイダー取引規制の適用を及ぼすのであれば、規制の対象が際限なく広がりかねない。親子会社や持分法適用会社など資本関係から範囲を限定できる場合ならまだしも、「同業他社」とか「重要な取引先」といったことから経済的なリンクがあるとすることには問題がないのだろうか。

他方、特定の上場会社の重要な未公表情報に接する機会は、上場会社の経営者や幹部社員以外の一般投資家にとっては頻繁に生じるわけではない。職務上の立場からそうした情報に接しやすい者に対しては、当該情報が公表されるまで一切の株式等の取引を禁じるのに等しいような厳しい規制が課されたとしても、それほど大きな弊害は生じないのではないかという見方も成り立ち得るかも知れない。

日本法ではどうか?

日本のインサイダー取引規制は、判例法に依拠する米国の規制とは大きく異なる。金商法には、会社関係者等が当該会社に関する重要事実を知って当該会社の株式等を取引する行為の禁止(金商法166条)、公開買付けなど株式の大量買い集めが行われることを知った公開買付者等関係者が買い集め対象会社の株式等を取引する行為の禁止(金商法167条)、会社関係者等や公開買付者等関係者による未公表情報の伝達や投資推奨の禁止(金商法167条の2)といったインサイダー取引を規制するための規定が設けられている。そこでは規制の対象者や対象となる情報や取引が、当該情報を知った状況までを含め、詳細かつ技術的に規定されており、現行法の解釈として、本件訴訟で問題となったようなシャドー・トレーディングが、インサイダー取引として規制されることはあり得ない。

金商法には、前述の157条という不公正取引を一般的に規制する規定が設けられている。金商法157条にあたる規定は、前身である証券取引法が制定された1948年から存在しているが、実際に適用されたことはほとんどない。この規定による刑事訴追が行われたほぼ唯一の例は、事件当時相場操縦禁止規定の対象とされていなかった店頭登録銘柄について権利の移転を目的としない仮装取引を行ったことが、同条にいう「不正の手段」に該当するとされた事案である(注4)。将来、本件訴訟で問題となったような取引が日本市場で行われた場合、金商法157条の適用が模索されたり、インサイダー取引規制自体を見直すといった議論につながったりする可能性もないとは言えないだろう。

(注1) SEC v. Matthew Panuwat
(注2)SEC, "Statement on Jury’s Verdict in Trial of Matthew Panuwat", April 5, 2024
(注3)梅本剛正甲南大学教授のブログ記事「競合他社株でインサイダー取引 ~シャドー取引」2023年2月22日参照
(注4)那須硫黄礦業事件(最決昭和40年5月25日裁判集刑事155号831頁)

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