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赤澤大臣が訪米へ

赤澤大臣は、日米関税合意を巡る協議のため4日に訪米する。6日に帰国する予定だ。赤澤大臣は先週訪米する予定であったが、当日にキャンセルした。日米間で詰められていない論点が見つかったため、としている。
 
日本側としては、相互関税率の15%を超える既存の関税について、相互関税が上乗せされないこと、相互関税率の15%を下回る既存の関税については15%に引き上げられること、を大統領令で明確にすることをトランプ政権に要求している。さらに、時期が確定していない自動車関税の15%への引き下げについても、実施時期を確定し、大統領令で発出することを要求している。
 
こうした準備が米国側でなお整わなかったことから、赤澤大臣は先週の訪米を突然キャンセルし、事務レベルでの協議を続け、準備が整ったため今回訪米を決めたとされる。赤澤大臣の訪米のキャンセルは、トランプ政権が大統領令に日本のコメ輸入拡大を盛り込む意向を示したため、と一部で報道されたが、赤澤大臣はこれを否定している。

日米間で大きく食い違う対米投資計画について覚書を交わす見込み

この間、日米間でどのようなやり取りがなされたのかは不明であるが、今回の赤澤大臣の訪米で最大の焦点となるのは、日米関税合意に含まれた5500億ドルの対米投資計画を覚書という形で文書化することだろう。
 
日本政府は、今回の赤澤大臣の訪米の目的は、日本の自動車関税引き下げなどを大統領令で発出することに確約を得るため、と説明している。しかし、そもそも今回の日米協議は、トランプ政権が対米投資計画の文書化を日本に求めてきたことに端を発するものだ。
 
日本政府は日米関税合意の文書化は必要ないとの説明を繰り返してきたが、トランプ政権側から文書化し、覚書を交わすことを日本に求めたのであり、それには明確な意図があると考えるべきだ。
 
対米投資計画についてトランプ政権は、日本が5500億ドルの資金を提供する一方、それは米国の製造業の再生と拡大のためにトランプ政権が主導して投資先を決めることができると説明している。また、投資による収益の9割は米国に帰属するとしている。
 
他方日本政府は、日本企業が対米投資をする際に日本は政府系金融機関が出資・融資・融資保証でそれを支援する枠を5500億ドルに設定する一方、全体の1~2%程度と見積もられる出資部分に見合った収益の9割を米国が得る、と説明している。両国は、全く別の枠組みを説明しているかのように、非常に大きく食い違っている(コラム「日米関税合意とホワイトハウスのファクトシートの問題点」、2025年7月25日、「『対米投資5500億ドルで米国が9割の利益を得る』の意味は未だ不透明:正式な合意文書の作成が求められる」、2025年7月28日、「日米で大きな認識のずれを残す日米関税合意と5500億ドルの対米投資計画」、2025年7月30日、「日米関税合意を文書化へ:両国の認識の違いが改めて露呈されるリスクも」、2025年8月26日)。

日米は決裂か、それとも曖昧な覚書で合意か

今まではお互いの国民に対して都合の良い説明をそれぞれがしており、日本政府としては、そうした曖昧な状況を続けることを望んだのではないか。日米間で白黒はっきりさせようとすれば、日米合意が白紙に戻ってしまう可能性があるからだ。
 
他方、両国の意見が大きく食い違うことを問題視したトランプ政権側が、文書化することで両国の意見の食い違いを解消しようとしていることが考えられる。
 
仮にトランプ政権が自らの解釈に沿って5500億ドルの投資計画を覚書として文書化しようとすれば、赤澤大臣はそれに署名することは困難だろう。そうして、今回の訪米で両国間の軋轢が大きく露呈してしまう可能性がある。最悪の場合には、日米関税合意全体が白紙に戻される可能性もあるのではないか。
 
他方、文書化しても日米双方が引き続き自国向けに都合の良い説明ができる、かなり曖昧な文書を作成することで両国が合意する可能性もある。
 
しかし、両国の認識のギャップを曖昧なまま残しておけば、先行き、両国間で軋轢が表面化し、トランプ政権が日米関税合意を破棄して関税率が25%に引き上げられる可能性もあるのではないか。7月に成立した日米関税合意は、まだ完全な合意には至っていないと考えておくべきだろう。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。