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NRI トップ NRI JOURNAL 木内登英の経済の潮流――「『新しい資本主義』と『ステークホルダー資本主義』」

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木内登英の経済の潮流――「『新しい資本主義』と『ステークホルダー資本主義』」

金融ITイノベーション事業本部  エグゼクティブ・エコノミスト  木内 登英

#木内 登英

#時事解説

2022/02/10

岸田政権が経済政策の柱に掲げている「新しい資本主義」の全体像は、依然として見えてきません。しかし岸田首相の発言などから類推して考えると、その源流は、近年世界で注目を集めている「ステークホルダー資本主義」にあるように思われます。資本主義の修正を目指す「新しい資本主義」という政策パッケージは、果たして上手く行くでしょうか。

「ステークホルダー資本主義」と「株主資本主義(株主至上主義)」

「ステークホルダー資本主義」とは、「株主資本主義(株主至上主義)」の対義語です。「株主資本主義(株主至上主義)」では、短期的な株主利益の最大化が最も重要と位置づけられており、その結果、従業員や地域社会などに負荷をかけるという問題が生じていました。そこで、企業が株主に加え、従業員、取引先、顧客、地域社会といった幅広いステークホルダー(利害関係者)の利益に配慮すべき、という考え方広まったのです。これが、「ステークホルダー資本主義」です。
「ステークホルダー資本主義」は、海外では主に格差問題、環境問題などへの積極対応を企業に求める考え方ですが、岸田政権は、日本で特に深刻な問題である賃金の低迷への対応、すなわち賃上げ政策、分配政策をこれと結びつけ、「新しい資本主義」という政策のパッケージを作り上げようとしているように見えるのです。
ステークホルダーによる企業統治(コーポレートガバナンス)を通じて、企業を徐々に変革していこうというのが、海外での潮流です。これに対して日本では、政府が主導して一気に企業の変革を促そうとしているのです。

米ビジネス・ラウンドテーブルとダボス会議がきっかけ

「ステークホルダー資本主義」が世界で注目を集めるきっかけとなったのは、2019年8月に開かれた米経済団体ビジネス・ラウンドテーブルです。そこでは、「米国の経済界は株主だけでなく、従業員や地域社会などすべてのステークホルダーに経済的利益をもたらす責任がある」、とする声明が発表されました。この声明には、会長を務めるJPモルガンのジェイミー・ダイモンCEO(最高経営責任者)を含め、180を超える主要企業のトップが署名をしたのです。
米企業が株主第一の姿勢を大きく見直す考えを表明した背景には、格差問題の解消に向け、企業に責任的な対応を求める声が全米で高まっていたことがありました。2008年のリーマンショック(グローバル金融危機)以降、所得・資産格差の拡大が大きな社会問題となったのです。
さらにこれを受けて、2020年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が、「ステークホルダーがつくる、持続可能で結束した世界」というテーマを掲げたことが、「ステークホルダー資本主義」という言葉、考え方が定着するきっかけとなりました。その際、世界経済フォーラムの創設者クラウス・シュワブ会長は、「ステークホルダー資本主義の概念に具体的な意味を持たせたい」と語っていました。
今年1月18日に岸田首相は、この世界経済フォーラムにオンライン形式で出席し、世界の「新しい資本主義」の流れを日本がリードする、との思いを語ったのです。2020年の世界経済フォーラムで、「ステークホルダー資本主義」が世界の注目を集めたという経緯を踏まえたものでしょう。

日本に古来よりある「三方よし」の精神と渋沢栄一の教え

目先の利益を優先する企業の経営姿勢に修正を求める「ステークホルダー資本主義」が世界で注目され始めたことで、日本の企業や政府は、それは我が国の企業の伝統であり、まさに「我が意を得たり」との思いを強めたことでしょう。岸田政権が、「新しい資本主義」の流れを日本が世界でリードする、と主張する背景にはこの点もあるのでしょう。
例えば、近江(現在の滋賀県)に本店を置いて、かつて日本各地で活躍した近江商人がモットーとしていたのが、「買い手よし、売り手よし、世間よし」の「三方よし」の精神でした。日本の事業者は古来より、短期的な利益だけを追い求めるのではなく、広くステークホルダーの利益を重視して、社会のために貢献することを常に心がけてきた、と自負する向きが日本には多いのです。さらに、著名実業家の渋沢栄一は、「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳」として、100年も前に、経営に道徳、倫理を求めていたのです。
ただし、このような「ステークホルダー資本主義」の土壌が長らく日本に根付いていたとしても、「日本企業の経営に学ぼう」、という姿勢が海外で一気に高まることにはならないでしょう。日本経済の現状を見る限り、このような経営姿勢が、多少長い目で見た企業の競争力、良好な経済環境、豊かな生活、多様性社会の推進などを強く後押ししてきたようには見えないからです。

真の「人的投資」を推進すべき

岸田政権は、「新しい資本主義」の一環として、賃上げの促進に注力しています。賃上げ促進税制の導入を決定した上、現在行われている春闘では、企業側に大幅な賃上げを要請しています。その際に、賃上げは「人的投資」、と説明をしている点に注目したいと思います。「賃上げは企業にとって単なる負担ではなく、将来の収益増加へと繋がる、いわば先行投資である」、との主旨なのでしょう。
しかしこの表現は、誤解を招きやすいようにも思えます。賃金の本質は、「生産活動における労働の成果、労働者の貢献度として決まるもの」でしょう。賃上げによって労働者のモラール(勤労意欲)が高まり、それが生産性・収益の向上に繋がる、といった経路は考えられるものの、その効果は不確実です。効果が明確でないものに、企業が資金を投入出来ないことは当然のことでしょう。「人的投資」として政府が企業に賃上げを呼び掛けることは、企業にそうした行動を強いることになってしまうのです。
他方で、岸田政権が別途掲げている労働者の能力開発、技能習得、学び直し、リスキリングなどが、真の「人的投資」と言えるでしょう。それらは、労働生産性上昇、労働市場のミスマッチの緩和を通じた産業構造の高度化などに資するものです。また、企業にも大きなメリットを生みます。
持続的な賃上げには、労働生産性の向上、企業の成長期待の高まりなどが不可欠であることから、賃上げを目指すのであれば、直接的に賃上げを促すのではなく、真の「人的投資」を促すことに政策の重点を移すべきではないかと思います。

政府主導の企業改革にはリスクも

岸田政権が掲げる「新しい資本主義」が、「ステークホルダー資本主義」をベースにしているのであれば、それは既に世界的に広く受け入れられているものであり、必ずしも「新しい」とは言えないでしょう。
ただし海外では、「ステークホルダー資本主義」の考え方に基づいて企業の経営方針を見直す試みは、企業との対話を通じた、株主などステークホルダーによるガバナンスの下で進められている、という側面が強いのではないでしょうか。そして、その推進役を担っているのが金融、市場メカニズムなのです。
例えば、気候変動リスクの問題であれば、企業の二酸化炭素排出量の社会的コストを投資家が推定し、それを削減すれば株価上昇で企業価値が高まる、あるいは資金調達コストが低下するといったインセンティブが企業に与えられます。それを踏まえて企業は活動を見直し、社会的コストを減らすように経営を変革させていくのです。それは気候変動リスクがもたらす社会的コストを最小限に抑えるよう、企業の生産活動を変化させ、新たに最適な資源配分を見出すプロセスです。
岸田政権が掲げる「新しい資本主義」は、このプロセスに政府が強く関与することを想定しているように見えます。しかし、そこには相応のリスクがある、と言えるのではないでしょうか。
様々な社会的課題を解決する資源配分について、政府がその最適解を知っているとは思えません。気候変動問題のように長期的な課題の場合には、それは次世代の効用までも含めた最適解でなければならず、非常に複雑なのです。
企業に対して、政府がいたずらに規制強化を進めれば、資源配分は最適解から大きくずれ、また、企業活動や収益性を低下させて、株主や従業員など幅広いステークホルダーの利益をむしろ損ねてしまう可能性があります。
政府が資本主義の問題点を真摯に修正しようと試みるのであれば、その問題解決には、まず、ステークホルダーによるガバナンスのプロセスを尊重し、また金融の力を最大限活用したうえで、必要に応じて政府が限定的に関与する、との姿勢が重要なのではないでしょうか。

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プロフィール

木内登英

エグゼクティブ・エコノミスト

木内 登英

経歴

1987年 野村総合研究所に入社
経済研究部・日本経済調査室に配属され、以降、エコノミストとして職歴を重ねる。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の政策委員会審議委員に就任。5年の任期の後、2017年より現職。
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株式会社野村総合研究所
コーポレートコミュニケーション部
E-mail: kouhou@nri.co.jp

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